電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

ポルノグラフィティ「メビウス(仮)」の可能性〔ぬいぐるみ、ネオメロドラマティック、老いた人〕

 後段にかなりセンシティブな話題が含まれます。可能な限り言葉や表現には気を付けるつもりですが不愉快にさせてしまうかもしれません。もし、そのような声があれば相応の対処を取ります。

 

 今回取り上げる「メビウス(仮)」は17thライヴサーキット 「続・ポルノグラフィティ」で初披露された楽曲。ライヴの最終公演はウェブ配信されて何度も聴き返すことができ、また歌詞の字幕がついていたこともあって、その全容を正確に把握することができた。ただし、(仮)とあるようにまだ仮歌の段階で、おそらく正式にリリースされるときにはメロディも歌詞も、もしかしたらタイトルも、かなり変化しているかもしれない。けど、ひとまずはこの配信で得られた情報をもとに考えてみたい。

 驚いたのは歌詞がひらがなに開かれていたことだ。音としてだけ聴き取れば、かなりビターではあるものの、ポルノグラフィティでは比較的よく取り上げてきた悲恋の歌だったものが、意図的にひらがなに開いてあるというだけで途端に別の顔を見せはじめる。

 この歌詞には三つのポイントがある。「意図的にひらがなに開いていること」「壊れてしまった愛という表現」「チャイムが鳴り家に帰るという描写」この三つが「子供の視点の歌」や「悲恋の結末」という明快な解釈を阻んでしまう。解釈はこの三点をいかにうまく処理するかが重要になる。

 解釈はいろいろあると思うけど、とりあえずほかの人の意見を一切参照せずに考えたものが三つあるから、今回はそれを書いてみたい。穏当なものから順番にそれぞれ、「子供とおもちゃ」「恋人たち」「親子」が題材となっている。

 

1.子供とおもちゃ

 視点は「壊れてしまった大きなぬいぐるみ」だ。壊れてボロボロになってしまった大きなぬいぐるみを、親が捨てに行っているのを泣きじゃくって別れを嫌がる子供を描いている。

……………

 優しいあなた(=持ち主の子供)は別れを嫌がり首根っこに抱き着き(≒締め上げ)て泣いてくれている。そうしてくれることが(おもちゃとして)どうしようもなく嬉しい。(あなたが悲しんでいるのに)恥ずかしいことだけど、許してほしい。抱き着くと喋りかける機能がついていたけど、もう壊れてしまった(≒肺が萎んだままでいる)。

 造られた身体なのに、抱き着かれれば「ぼくの名前を教えて!」なんて何度も何度も名前を欲しがったね。ごめんね、もう忘れてよ。赤い目をして泣きじゃくるあなたをもう見ていたくはない。

 遠ざかっていくあなた。夕方のチャイムが鳴っている。そうだ、もう、家に帰らなくちゃね……。

……………

 いつも、どこへ行くにも一緒だった、大好きなぬいぐるみとの別れの場面を描いた、映画『トイストーリー』を思わせる哀しくも優しい歌だ。

 

 

2.恋人たち

 視点は「読み書きがうまくできない弱い立場にいる人」だ。おそらく、「優しい人」同士だった二人は、それゆえに最悪の結末を迎えてしまう。

 かなり直接的な暴力を振るわれながらも相手を「やさしいあなた」と表現する視点者は、優しくもどこか無垢でありすぎる印象がある。そういう意味で個人的に「ネオメロドラマティック」のバッドエンド版だと思っている。本筋から外れるから詳しくは書かないけど「ネオメロドラマティック」は「他人から見れば見当はずれなことをしてしまうような、どこかズレた優しさを持つ、他人からいいように使われてしまうような人を、正常とか常識とかそういう方向へ矯正するのではなく、寄り添い支えることを決意した歌」と思っていて、そういう「愛」がうまくいかなかったという意味で「ネオメロドラマティック」の結末の一つの可能性を描いた歌だ。

 

 

3.親子

 視点は介護者である子。いわゆる老老介護の場面で、痴呆症によって認識を蝕まれた親と限界を迎えてしまった子の結末を描いている。

……………

 貧窮と過労の果てに、子が親を絞め殺そうとしている。蝕まれた意識の中、優しいわが子を見上げて、最期に子供のことを思い出せたことを幸せに感じてしまった。親として恥ずかしいけれど、どうか許してほしいと思ってしまう。こんな結末になってしまったけれど、わが子への愛情は本物だった。

 もう何も残っていないほど老いてしまっている。何度も「自分の名前」と「わが子の名前」を、ほかならぬわが子に問いかけてしまった。束の間に戻った認識の中、声にならない声でそれを謝罪する。

 夕方のチャイムが聞こえて、まだ健在だった自分と小さかったわが子の、幸せだったあのころが頭をよぎる。

……………

 やるせなく、つらい。たしかに筋は通るけれど、可能性としては低いと思う。あくまで解釈の可能性の一つとして。

 

 

ーーーー

 どうだろう。ここでもちょっと書いたけど、個人的には「子供とおもちゃ」が一番しっくりくる。ただもう少しストレートに読めば「恋人たち」の解釈が妥当だと思える。「親子」は解釈にやや無理があること、そして題材があまりにも辛くやるせなく哀しすぎて、これまでのポルノグラフィティの楽曲の傾向からしても、可能性はかなり低いと思う。

 配信で歌詞を「見た」とき、本当に驚いた。これまでのポルノグラフィティの楽曲は(主に新藤晴一さんの作詞で)絶妙な比喩表現で解釈に幅を持たせるものが多く、それがポルノグラフィティの魅力の一つなのだけれど、「メビウス(仮)」のように「敢えてひらながに開く」という技巧によって解釈の余地を作ってるのは、かなり画期的だと思う。そういう意味ではポルノグラフィティにおける表現技法の転換点になりえるのではないか、と期待すらしている。

 どちらの作詞かはわからないけど、リリース版の歌詞を「見る」のがいまから楽しみだ。もちろん、この三つの解釈が全く見当はずれの可能性も含めて。

 

 

 

 

最近見た映画(2021年12月)

ソウ(2004年、アメリカ、監督:ジェームズ・ワン、111分)

 やっちまった。あまりに有名な映画で「たぶん観ないだろう」という油断もあったけど、鑑賞前に最後のオチを聞いてしまった。マジで後悔している。知らない状態であのオチを観たかった……。

 複雑だけど単純明快。矛盾した表現になってしまうけど、そうとしか言いようがない。余計なものがほとんど入っていないからこその傑作。ただ、ゴードンはあそこに連れてこられるほどの人ではない気がするんだけどなあ……。

 世代柄、作品の設定や行動の経過に脱出系のフラッシュゲームを感じてしまうけど、たぶん順序が逆で本作のヒットでああいうゲームが増殖したのだろう。そういう意味では(間接的に)思春期に多大な影響を受けている作品なのかもしれない。

《印象的なシーン》挿入される三つのゲームでの早回し演出。

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バスターの壊れた心(2016年、アメリカ、監督:サラ・アディナ・スミス、97分)

 ホテル従業員が徐々に心のバランスを崩していくという意味では『シャイニング』を、宗教めいた雰囲気にSFを絡めた現実逃避的な作風はフィリップ・K・ディック*1を連想する作品。細部を無視すれば物語の筋自体はそれほど難しいものではないけれど、きちんとすべてを解釈しようとすると途端にわからなくなる。

 逆向き、駆除業者の男=テレビに出ていた科学者(?)、鯨の腹の中、玉ねぎ型の宇宙……最後の最後の宙に向けての発砲は玉ねぎ型の宇宙の中心を抜けていったということなのかな。世界がおかしくなったのか、自分がおかしくなったのか。現象やモチーフの意味がわかりそうでわからない……からこそ妙に魅力的な映画になっている。作中で派手な出来事が起きないこと、主人公が比較的口数が少ないことが良い方向に作用しているような気がする。

 そしてやっぱりキリスト教モチーフがあまりピンとこない。海外小説で宗教文化の違いでひっかかった記憶はないけれど映画には地の文の説明がないからかもしれない。もしくは視覚映像で提示されると余計に混乱してしまうのか。

《印象的なシーン》「駆除業者を送ったわ」

 

 

昆虫怪獣の襲来(1958年、アメリカ、監督:ケネス・G・クレイン、71分)

 なんでこういうのを定期的に見たくなるんだろう。90分以内で完結する「何をするのか何を目指すのか」が明確な映画となるとやっぱりこの辺に落ち着くからかもしれない。もしくは高尚な作品や超大作に触れたくないという心の老化か。

 肝心の内容は、うーん……いや、時代を考慮してもちょっと誤魔化しが多すぎないかな。主題の昆虫怪獣との戦いはラスト20分もないくらいで、しかもろくなアクションシーンはなく終わってしまう。もちろん、山越しにこちらを覗いてくる巨大蜂、という恐怖感を強調する演出は良かった。ただ、それにしても70分しかないのに30分以上を現地へ向かう旅程に費やすのはいかがなものかなあ……。そりゃあ、すんなりアフリカに行かないほうがリアリティとかあるだろうし、旅程のシーンだって別にレベルが低いわけじゃない。ただ、そういうのを求めて観たわけじゃないからなあ。

  本編評価とはちょっと外れるけど中盤の現地部族による急襲のシーンがとてもよかった。バラバラと統制が取れていないけれど勇猛果敢な描写は原始的な戦争形態としてかなりよくできているんじゃないかな*2

《印象的なシーン》中盤の現地部族による急襲。

 

 

項羽と劉邦 鴻門の会(2014年、中国、監督:陸川、116分)

 想像の十倍くらい陰鬱な映画だった。華やかさは薄く、どこか息苦しくて埃っぽい。そして劉邦晩年の粛清をメインで取り扱っているだけに宮中も薄暗くて人々の表情も暗く、しかも主要人物たちはみな老いさらばえていてどこか物悲しさすらある。けれどそこが妙にリアルというか、文明が進んでいたといっても古代国家なわけだからそのくらいのほうが現実味があってとてもよかった。

 ラストの「鴻門の会こそが人生そのものだった」というセリフの通り、全編にわたり剣舞のイメージがちりばめられていている。あの会合に人間関係が圧縮されているし、ちょっと穿った目でみれば「多くの人に助けられながら自分は具体的になにか立派なことをできたわけではなかった」という鴻門の会の顛末はそのまま劉邦の人生だった、ともとれる。まあ、さすがにそれは劉邦を過小評価していると思うけど。あと本編の評価とはあまり関係ないけど竹簡が管から流れてくるシーンはなんだか『未来世紀ブラジル』みたいだなあ、なんて思った。あと知名度の問題で仕方ないとはいえ、邦題に使われている項羽の出番や言及される回数は少なく、どちらかというと「韓信劉邦」だった。

 ちょっと歴史の話になるけど、正直韓信についてはあまり同情できない。反逆の意志があったかはともかく、まともな保身の行動がとれていなかったのは事実だし。あと戚夫人もあの最期が適切だったとは言えないけど、処断されること自体は当然ではある。明らかに利己心から敵対行動をとっているし。まあ、この辺は中華大陸統一の最初期なわけでほぼ前例がないことだったし、過剰には責めたてるのも不公平なんだろうけど……。

 どこまで時代考証が正確なのかはわからないけど、建物や儀式などが詳細に描写されていて、史書の『史記』や『漢書』が読みたくなってくる。

《印象的なシーン》張良が泣きながら献策するシーン。

 

 

あたおかあさん(2020年、日本、監督:大倉寛之、10分)

 うーん……もっとサイコサスペンス的なコメディなのかと思っていて、そういう意味では期待外れだった。ただ、根幹のオチは嫌いではないしタイトルについても「さん」を付けていることの意味を好意的に解釈すれば、まあ、納得できなくはないんじゃないかな。あと終盤だけ妙に口の動きと音声がずれているの気になる。

《印象的なシーン》冒頭のジョキンジョキン。

 

 

ヤツアシ(2021年、日本、監督:横川寛人、12分)

 やりたいこと、試したい工夫がハッキリしていて好感がもてる映画。ジャケットの雰囲気から見てたぶん往年の特撮映画のパロディ的な側面もあるのだろうけど、そのへんはよくわからない。良くも悪くも単純明快で、それ以上でもそれ以下でもない感じ。

《印象的なシーン》高架道路をぬめぬめ動くタコ。

ヤツアシ

ヤツアシ

  • 田口ゆたか
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*1:特に「駆除業者」が「知りすぎたから殺される」と訴えるあたり

*2:というか古代史をテーマにした映像作品で(地中海世界を例外として)キッチリ方陣を組んで戦っているのがちょっと不自然なんだと思う

印象的な小説のタイトル650選

 本を選ぶ基準はひとによっていろいろあると思う。表紙のデザインだったり裏表紙のあらすじだったり冒頭数行だったりページ数だったり口コミだったり雑誌に載っている書評だったりネットの感想文だったり書店のポップだったりウェブサイトの関連商品だったり。そんな数多ある要素の中でもおれはタイトルで選ぶことが多い。ということで積読本も含めてメモっていたものを羅列。長編/短編集はもちろん、連作短編集の一作やショートショート、長編の副題と章題も無差別に記載*1

*1:なお、一部タイトルには現代では差別的とされる表現が使われているが原題を尊重して伏字等の処理はせずそのまま記載する

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「続・ポルノグラフィティ」感想〔おったまげて我が目を疑い震えた〕

 弦楽器独奏全身打震。

 生声鼓膜幸甚。

 脳髄破裂。

 至福。

 

 福岡公演に現地参加、配信で最終公演に参加*1。配信では公式で歌詞が表示されたのはありがたかった。円盤でもオン/オフで実装してくれると個人的には嬉しいけど、やっぱり人によっては邪魔だったりするのかな。

 岡野昭仁さん*2の歌声と新藤晴一さん*3のギターを堪能した二時間だった。

 

M1. IT’S A NEW ERA

 もちろん絶対に演奏されるだろうとは思っていたけど一発目はちょっと意外だった。本当になんとなくなんだけどアンコール一曲目かなあ、と思っていた。

 現地では久方ぶりの爆音で耳があまり機能していなかったこともあって記憶があいまい*4だけど最初の一音が鳴った瞬間の高揚感だけはハッキリと覚えている。配信ではファンクラブ限定特典映像「テーマソングのはじまり」の流れでかなり良いテンションで聴くことができた。最近の楽曲にしてはかなり英語の歌詞が少なく日本語の濃度が高いだけに歌詞が表示される恩恵が大きく、そういう意味では今回のライブでもっとも好感度が上がった曲。シングルで聴いたときはどうしても同カップリングの「REUNION」に気をとられていたから印象が薄かったけど、こうやって聴くとやっぱりいい歌詞だ。

 

M2. 幸せについて本気出して考えてみた

 これもちょっと意外だった。「UNFADED」で披露されているし、それほどライブの定番曲でもないからこんなに短いスパンで再演されると思っていなかった。やっぱりこのご時世だからということもあるのかなと思う。〈時々はその「それなり」さえも誉めてほしい〉という歌詞も、おれが歳を取ったからというのもあるだろうけど、この時代では特に刺さる人も多かったはずだ。

 

M3. ドリーマー

 ソフトには未収録のかなりレアな曲。根強い人気があるイメージだったからちょっと意外だった。

 こうやってライブで聴いてみるとコメディと切実さのバランスが良くて、微笑ましくもちょっとだけ前向きになれる。

 

M4. ANGRY BIRD

 近年楽曲の中でも割と披露回数が多くファンの間でも評価が高い一曲。生演奏で聴くとロック感がより強化されて気持ちがいい。

 現地ではライトがちかちかして爆音や昂るハイテンションと相まってちょっとくらくらした。もちろん、それを含めて「ああライブに来たんだ、音を浴びに来れたんだ」と如実に感じることができた一曲でもある。

 

M5. 今宵、月が見えずとも(最終公演)
M5.Love,too Death,too

 現地で「Love,too Death,too」が流れた瞬間ガッツポーズした。ここでもちょっと書いたけど思い入れのある曲でいつかライブで聴きたいとずっと思っていた。

 それだけに最終公演が「今宵、月が見えずとも」で一瞬だけがっかりしたけど、すぐにそんな気持ちが頭から吹っ飛ぶくらい楽しかった。いつもながらロングトーンの伸びがえげつなく、ギターソロもカッコイイ。

 

M6. Free and Freedom(最終公演)
M6.ウォーカー

 現地での「ウォーカー」が流れてすごくホッとしたことを覚えている。前五曲が割と高カロリーで腕もちょっと死にかけてたからゆったり落ち着いて聞けるのが嬉しかった。

 配信での「Free and Freedom」は思わず叫んでしまった。初めて家に来た*5シングル「ジョバイロ/DON'T CALL ME CRAZY」のカップリング曲ということで個人的に思い入れがあって、まさか演奏されるなんて思っていなかっただけにものすごくうれしかった。CD音源よりも冒頭の〈I'm an innocent gipsy〉をよりしっかりと発音していたり、と英詞の発音の違いが楽しめる。あと〈ハイヒール〉の語尾を上げる感じが好き。アウトロのピアノも良い。

 

M7. Love,too Death,too(最終公演)
M7.君の愛読書がケルアックだった件

 脳がバグってるからキチンと思い出せないけど「君の愛読書がケルアックだった件」も「Love,too Death,too」みたいにアウトロにギターソロが入ってたっけ? もしそうだとしたら思い出せないのが痛恨すぎる。そのくらい「Love,too Death,too」のギターが素晴らしかった。何がいいのか表現する言葉はないけれどとにかく好き。ライトの演出もカッコイイ。もし可能なら公式でYouTubeに……というは流石に贅沢が過ぎるか。

 

M8. ミステーロ(アコースティック)

 近年の晴一意味深不可思議ソングの代表選手でファン人気も高い。アコースティックという言葉の意味はよくわからないけど数あるライブアレンジの中でも特に好きなタイプだった。

 

M9. サウダージ(アコースティック)

 このライブの目玉の一つ。MCでも言っていたけど最終公演で五階のひとたちは聴こえていたのかな。配信にはバッチリ音が乗っていてマイクを通さない生声を堪能できた。

 現地で聴いたときには心が震えた。席も中段だったこともあり冒頭の生声がハッキリと聞き取れた。演劇系を現場で見たことはないけど、オペラが好きな人の気持ちがちょっとわかったような気がする。

 

M10. 鉄槌

 マジか。比較的少ない晴一の暗い歌詞の中でもかなり好きな曲だけど、やっぱりややマイナーだし暗い曲はライブで披露される回数がかなり限られるから現地で聴けるとは思ってなかった。演出も格好良くて赤いライトはたぶん脱獄者を捜索をイメージしているのだと思う。

 そしてギターソロ。スゲエカッコイイ。最近は昭仁弾き語り→晴一ギターインスト曲の流れが多くて、それはそれで大好きだけど、それこそ「神VS神」のときの「Twilight,トワイライト」みたいに重厚な曲でのギターソロアレンジが悶えるほどたまらない。自分の感性が多数派かは分からないけど、ぜひ、今後もこの手の曲でアレンジを入れてほしい。

 

M11. Fade away

 もしかしてセットリストおれが考えたのか? 一番好きな晴一暗黒ソングからドン底ネガティブ昭仁ソングが聴けるなんて、大袈裟な言い方になるけど夢みたいだった。曲のテーマ的に難しいかもしれないけどこれからも定期的に披露され続けてほしい一曲。

 

M12. 元素L

 個人視点に降りてきた新藤晴一の詩情が炸裂する曲。とても可愛い恋愛の歌で「Fade away」との落差がすごい。弾き語りからのバンドメンバー参加の流れが美しい。

 

M13. Winding Road

 個人的には歌詞を見ながら聴きたい曲の一つだったから配信での恩恵が大きかった。「元素L」のあとにこれを演奏するというのはちょっと意味深な感じがしなくもない。「始まりと終わり」もしくは「子供と大人」の対比なのかな、なんて思ったりした。

 

M14. THE DAY

 おお、ここでこれか。後半にこんな高カロリーな曲をもってきてもキチンと歌い上げるのは流石の一言。咽喉の筋肉は全てを解決する。いつもながら素晴らしい。

 

M15. REUNION

 直近のライブ「REUNION」で披露したばかりということで「聴きたいけど演奏しないだろうなあ」と思っていた曲だっただけに嬉しかった。ライブ版から増強された意味深な言葉を堪能できた。ラストの「ウォオーオーオ」も健在。

 

M16. メリッサ

 定番曲だけに安定して良かった。この終盤であのロングトーンはヤバいでしょう。どんな咽喉しているんだ。凄え。

 

M17. ハネウマライダー

 現地参加しときに「えっ、マジでやるの?」と驚いた。たしかに事前アナウンスで「タオルは振るな」とは言ってなかったけど、まわしていいかどうかがわからなかったからやらないものだと思い込んでいた。定番中の定番を、不完全ながらもキチンと楽しめた。これをやってこそのライブですわ。

 

M18. テーマソング

 やっぱり本編ラストはこれですね。

 あまりコールアンドレスポンスや客に歌わせるパートは好きじゃないけど、やっぱりこんなご時世になってくると、この歌や「アゲハ蝶」「ライラ」なんかを現地で一体になって歌える日が待ち遠しくなる。そういう意味では「テーマソング」がどんな風に仕上がっていくのかとても楽しみだ。

 

EN01. メビウス(仮)

 現地でおったまげた。えっ、いま「首を絞める」って言ったよね!?えっ、「はずかしい?許してほしい……?」えっ、怖ッ……。

 で、配信で公式に歌詞付きで聴いて我が目を疑った。ひらがな! マジか。最初は字幕のミスかと思ったけど〈人ぎょう〉なんて開き方をしていたから意図的なのは間違いない。

 なにをモチーフにしているんだろう……ちょっとセンシティブな表現になるけど「漢字を書けないような弱い立場の人」の不実な愛の結末っぽく見える。ある意味では「ネオメロドラマティック」のバッドエンド版みたいな、そういう歌詞。

 ……けどちょっと違うんじゃないかなと思い始めた。実は「子供がぬいぐるみとお別れする場面をぬいぐるみから見ている」歌詞なんじゃないかな。歌詞がひらがななのはそのまま視点が子供向けのぬいぐるみだから。小さな子供が大きな人形に抱き着いているのって首根っこを絞めているように見えるし、「萎んだ肺のままでいいの」というのも抱きしめると音が鳴るタイプのぬいぐるみが壊れて鳴らなくなったことの比喩表現だ。泣きじゃくって別れを悲しむ子供に向けたぬいぐるみの悲しみと思いやりの歌。……というのが現状もっとも穏当な解釈だと思う。

 言葉のチョイスや題材は晴一っぽい気がするけど、〈もうめぐらせなくてもいいの〉なんかは「ROLL」〈めぐりめぐる〉「海月」〈輪廻転生の〉「メリーゴーラウンド」〈壊れても回り続けるメリーゴーランド〉と、どちらかというと昭仁っぽくて判断がつかない。どっちの作詞なのかいまから楽しみで仕方ない。

 

EN02. ナンバー(仮)(最終公演)

 なんともう一つ新曲! やったぜ! 

 なんとなく7thアルバム「ポルノグラフィティ」っぽい曲だなあと思った。「農夫と赤いスカーフ」を連想したからかな。〈シルシとしての田園〉≒理想化された故郷ということかな。広がる風景やモチーフは絵本の世界のようで温かみがあるけど、なんとなく不穏な感じもする。〈数えるのではなく満ちる/欠けるのを知っているの〉という歌詞は正確な時計が存在しなかったころの農民たちの時節の感覚を表現していて、これは時間に無頓着で日が昇り落ちることだけ理解していた子供時代の時間感覚と重なる。あの頃と今、そしてもう存在しない田園と現在の対比が読み取れる……かな?

 少年時代のノスタルジーにどこか寂しさや哀しさを乗せているところは昭仁っぽい気がするけど、やっぱり全体のモチーフや表現は晴一っぽい気がする。どっちなのかやっぱり楽しみだ。

 

EN03. ジレンマ

 アンコールラストはいつもの定番曲。最近は割と「ライラ」なんかがよく演奏されていたけど、声が出せないご時世ということもあって「ジレンマ」に回帰しているのだろう。

 いつものように楽しかった。「ライラ」も好きでアンコール曲として定着してほしいけど、やっぱりカッコイイ曲で締めてほしいという気持ちもある。ソロパートは特にtasukuさんの「ジングルベル」皆川真人さんの「Hard Days,Holy Night」が印象に残っている。

 

 

―――

 いまは「メビウス」に顳顬を撃ち抜かれそこから脳がとろとろ流れ落ちていて碌にモノを考えられないので、この辺でアーカイブを周回するお仕事に戻ります。

 

 

 

*1:なので唯一「LiAR」は聴けていない。すごく好きな曲だから聴きたかった……けど競合が「今宵、月が見えずとも」「Love,too Death,too」なら仕方ないか。

*2:以下敬称略

*3:以下敬称略

*4:M5あたりまではそんな感じだった

*5:母が買ってきた

浅倉久志編『世界ユーモアSF傑作選』〔会話よりもシチュエーションで笑いをとるタイプが多い〕

『世界ユーモアSF傑作選 1』

 スピンラッドの単行本未収録短編が目当てだったけど、シェクリイやディクスンの短編もあったのが嬉しい誤算だった。この三人の短編もよかったけど、「美味球身」や「コフィン療法」「ガムドロップ・キング」「夢は神聖」と収穫の多い良質なアンソロで、特に最近ユーモアが足りてなかったからいい気分転換になった。

 純粋に明るくて面白い話ならやっぱり「ガムドロップ・キング」が頭一つとびぬけてた。こういうショートショートを書きたくて頑張ってきたけど、イイ手本になるかもしれない。SFというジャンルを茶化しているタイプは「ベムがいっぱい」「終わりのはじめ」より「ノーク博士の島」のほうが好き。なんとなく含みがあるような気がする。「コフィン療法」と「夢は神聖」は筋の運び方やセリフ回し描写方法がどこか映画っぽかった……と思うのは最近いくらか映画を見ていたからかもしれない。「夢は神聖」なんかは一時間半程度の良くまとまったコメディ映画みたいだ。アイディアでいえば「コフィン療法」が比較的奇想だったけどとびぬけてとまではいえないかな。

 ベストを選ぶのは難しいけどやっぱり「コフィン療法」「ガムドロップ・キング」「主観性」の辺りかな。「主観性」はオチよりも頭の方の文章で笑ってしまったけど、あれはどちらかというと翻訳の勝利かも。

《収録作》

チャド・オリヴァー/チャールズ・ボーモント「終わりの始め」
エドモンド・ハミルトン「ベムがいっぱい」
ラリー・アイゼンバーグ「美味球身」
ロバート・アーサー「魔王と賭博師」
ウィリアム・テン「おれと自分と私と」
シリル・M・コーンブルース「かわいそうなトポロジスト」
アーサー・エディントン「呼吸のつづく狒々がいて」
ロバート・ブロック「ノーク博士の島」
ゴードン・R・ディクスン「コンピューターは問い返さない」
ロバート・シェクリイ「宇宙三重奏」
ノーマン・スピンラッド「主観性」
アラン・E・ナース「コフィン療法」
ウィル・スタントン「ガムドロップ・キング」
ピーター・フィリップス「夢は神聖」
フィリップ・ホセ・ファーマー「進めや 進め!」
ジェームズ・E・ガン「女嫌い」

 

『世界ユーモアSF傑作選 2』

 一巻は収録作家で選んだけどこの二巻は「二冊分くらい揃えておくか」という気持ちで購入した。ガンの姉妹作が一巻の終わりと二巻の始まりに配置されているのはなかなか小粋な構成。漫才的な掛け合いの面白さよりはシチュエーションやパロディで笑いを取るタイプが多かった。言語の壁があるから難しいのかもしれないけど、掛け合いで笑いを取るタイプのユーモア小説をもっと読みたい。掌編が二作入っているけど、どちらも好印象。

 ベストは「早熟」か「マーティン・ボーグの奇妙な生涯」かなあ。群を抜いて面白いという作品はなかったけど割と打率は良かった印章。ただ後半に載っていたヴォネガットラファティはいまいちはまらなかった。二人ともアンソロジーとかでたまに読むけどやっぱりどれもあまり琴線に触れてこないからたぶん相性が悪いのだろう。どちらかと言うと一巻のほうが好みだった。

《収録作》

ジェームズ・E・ガン「種あかし」
クリフォード・D・シマック「埃まみれのゼブラ」
ポール・アンダースン「冒険児クロンカイト」
ジェローム・ビクスビイ「火星をまわる穴・穴・穴」
アラン・ネルスン「ナラポイア」
キャサリン・マクリーン「雪だるま効果」
H・アラン・スミス「天国と地獄」
E・B・ホワイト「要約すれば……」
デーモン・ナイト「早熟」
ハワード・シェーンフェルド「創作論理学入門」
ウィリアム・テン「地球解放」
ロン・グーラート「債鬼」
ジョージ・コリン「マーティン・ボーグの奇妙な生涯」
カート・ヴォネガット・Jr.「ザ・ビッグ・スペース・ファック」
R・A・ラファティ寿限無寿限無
チャド・オリヴァー/チャールズ・ボーモント「われはクロード」

 

O・ヘンリ『O・ヘンリ短編集(一~三)』〔世界で愛される名作。いろいろな短編があって素晴らしいけどちょっと訳語が古めかしい〕

 O・ヘンリの小説を初めて読んだのは中学生くらいのころだったけど、一巻一作目の「赤い酋長の身代金」がいまいちピンとこなくて読み進めることなくそのまま放置していた。きちんと全部読んだのは高校の終わりか大学のはじめくらいのころで「へえ~けっこうおもしろいじゃん」とか「あっ、有名なあの話の元ネタってこれかあ(「最後の一葉」)」くらいの感想だったのを覚えている。

 その後ロアルド・ダール、サキなどの有名所を読んで「そういえば海外ショートショート/短編作家で初めて読んだのO・ヘンリだったなあ」と懐かしくなった。思い返してみると非SF/ファンタジーの海外小説で初めて読んだのもO・ヘンリだった。そう考えると自分の読書体験的にけっこう重要な擦過だったのかもしれない。全三巻だけどあまり厚くもないしサクッと再読しようかな……というわけで新潮文庫版の全三巻を、それぞれ一冊の中でのベストを選びながら読み返した。

 

『O・ヘンリ短編集(一)』

 ベストは「ハーグレイブズの一人二役」かな。再読なのにオチを完全に忘れてて、しかもタイトルを覚えていれば容易に察しが付くのに、思わず膝を叩きそうになるくらい感動してしまった。「緑の扉」とか「よみがえった改心」みたいなストレートなハッピーエンドも好き。まあ、「よみがえった改心」については無罪放免でいいのかよ!?と思わなくはないけど、まあそれはねえ……。

 ちなみに「自動車を待つ間」は好きだけど嫌い。いや、そのくらいの嘘は許してやれよ、って思うのはポルノグラフィティ「ルーシーに微熱」「LiAR」みたいなのが好きだからなんだろうなあ。「桃源郷の短期滞在客」と分かりやすく対になっているあたり、O・ヘンリが虚栄心にかなり否定的なのがわかる。

 

『O・ヘンリ短編集(二)』

 印象的なのはラストを飾る「運命の道」だ。マルチバッドエンドというべき作品で、どちらかというとロアルド・ダールみたいな味がする。最後のくだりが伏線回収のような働きをしているところが上手い。一巻に比べてバッドエンドというかブラックユーモアな作品が多く、「詩人と農夫」「犠牲打」「二十年後」なんかも割とバッドエンドっぽい。

 ほかにも「賢者の贈り物」なんかは超有名作品だけあって筋はほぼ覚えていたけど、何回読んでもいいなあって思えるあたりやっぱり名作だ。「千ドル」みたいな陽気でどこか都会的な良い男は好き。ベストは……うーん……「賢者の贈り物」「千ドル」「運命の道」のどれか。

 

『O・ヘンリ短編集(三)』

 前二巻に比べてアベレージヒッターというか、とびぬけて好きな作品が一つ二つある、ってタイプじゃなくて全編が割と平均的に好きな短編集だった。

 ベストは難しいけど「愛の使者」「伯爵と婚礼の客」「心と手」かなあ。こうやって選ぶとハッピーエンド好きという性癖がよくわかっておもしろい。「心と手」みたいな犯罪者と警官という立場の入れ替わりでオチをつけるのはアメリカでは割とメジャーなのかね。スタージョンの最初期の掌編にもそんなのがあったような気がするし、思い出せないけどほかでも似たような設定を見たような気がする。もしくはO・ヘンリがその手法の開祖だったりしないよね?

 虚栄心とかそういうのに否定的な印象のあるO・ヘンリにしては珍しく「伯爵と婚礼の客」ではハッピーエンドを用意してくれている。「愛の使者」は星新一「肩の上の秘書」を思い出したけど、似ても似つかない穏やかで優しい物語がいい。

 

 

――――――

 こうやって読み返してみるとサキやロアルド・ダールよりO・ヘンリが好みで、あまりブラックではないユーモアとかちょっとした人情話が好きなんだなって再確認できた。もちろん「警官と讃美歌」みたいにハッピーエンドとは言えない作品もあるけど、あんまり突き放してないというかダーンとオチをつけるためにキャラクターを地獄に突き落としたりはしない……って表現が正確かはわからないけど、ともかくそう思った。サキはともかくダールはけっこう突き落とすからなあ。バッドエンドでもどこかユーモラスに感じるって点ではやっぱり星新一もこの系列かな。

 と、書いていて分かったけど「嘲笑を浴びせない」ってところかもしれない。天の視点としての作者の考えがあまり見えないというか、ラストシーンで嘲笑う誰かの顔が思い浮かばないというか。まあ、そんな感じ。例えば「手入れのよいランプ」なんかはダールが料理したらかなり攻撃的で苦い味のする短編になってた気がする。

 けっこう装飾が多い文体で、この点でもダールやサキと好対照な気がする。もちろんO・ヘンリが読みにくいというわけではないけれ、すんなり読み進められるのはどれかというとダールかなあ。こうやって読んでみると訳文の古さが気になってくる。新しめの翻訳のほうも買うべきか。

思い出:フリーにはたらく

今週のお題

 

 フリーにはたらく、と聞くと思い出すことがある。

 

 まだ小学生くらいのころだ。分厚くて小さなテレビでは「もはや戦後ではない」なんて言われていたっけ。いまはもう廃業してしまったけれど、ぼくの実家はミニトマト農家を営んでいた。休みの日に家族全員で昼食をとると、隣に座っている父から汗の臭いと蔓の香りの入り混じった匂いがしていたことを昨日のことのように思い出せる。あのころはどこのお父さんからもそんな匂いがするものだと思っていた。

 実家はあまり裕福ではなく人を雇う余裕なんかなくて、ほぼ家族だけで業務を回していた。高齢だった祖父母も働いていたくらいだから当然ぼくらは貴重な労働力だったわけで、幼少期によく手伝いに駆り出されていた。

 

 主な仕事は摘果作業だった。ミニトマトを栽培しているビニールハウスは畝と畝の間に1.5人が通れるくらいの通路が真っすぐ流れていている。そこを手押し車にコンテナを二段ほど積んで押しながらキャスター付きの小さな椅子に座って両脇に実っているミニトマトをもぎりながら進んでいく。気を付けることは色味が青いものを間違ってもぎらないことと、ヘタを取らないように気を付ける程度のことで、単純作業でさほど負荷のある労働ではなかった。ただ、蒸し暑さには閉口させられたし、なにより遊び盛りの身には貴重な休日を仕事でつぶされるのがたまらなかった。

 だからよく逃げ出した。ビニールハウスは縦に100メートルほどあり、蔦や蔓が生い茂っていることもあり反対側はほぼ見えない。入り口から反対側には畑(おそらく他所の土地)が広がっていて、片道が終わるとそこから抜け出して用水路の溝に隠れたり近所の友達の家に逃げ込んだりした。

 大抵は一時間もすると祖父がぼくらを見つけ出して「内緒だよ」と言いながらお菓子をくれて機嫌を取り、優しくビニールハウスに連れ戻してくれた。ぶつぶつ言いながらも兄もぼくもミニトマトを収穫し、たまには隠れたり逃げたりした。その辺はたぶん両親も織り込み済みだったのだろう。それほど強く咎められることはなかった。

 

 自営業という意味では自由なフリー職場でぼくらは無責任フリーでほとんどタダフリー*1ではたらいていた。両親がぼくらのサボりに目くじらを立てなかったのはぼくらが子供だったということ以上にキチンと賃金を払っていなかったからだと思う。両親は責任と賃金の関係性をぼくの両親はよく理解していた。働くこと……というよりお金をいただくための責任を幼いぼくらはよくわかっていなかった。自営業のシビアさを知っていた両親はそういう価値観の元で(意識的にかは分からないけど)接していた。

 

 もう実家はもう取り壊され、ビニールハウスがあった土地はコンビニになっているらしい。兄は遠く離れた別の田舎町に移り住み、いろいろあったみたいだけれどそれなりに幸せに暮らすことができている。ぼくは都会に出て、現代でいうところのブラック企業だった小さな食品工場に勤めることになった。そこで歯を食いしばって生き抜き、いまはドロップアウトして、こうやってブログを書き、たまに近所の同好の士と盆栽や鯉を見に行ったりしている。

 

 だからあのころの事を思い出すのだ。

 

 安易に昔はよかったなんて口が裂けても言わない。ただ、あのころに戻ってみたいと思うことがある。あの幼かったころに、実家の手伝いを通して責任と収入についてもう少しだけキチンと考え、何かを掴んでいれば……もっと違う人生を歩んでこれたのかもしれない。もっと違う選択ができたかもしれない。もっと違う後悔をしていたかもしれない。もっと違う人と出会ったかもしれない。もっと違う……。

 イラストレーターを夢見ていた、という過去が頭をちらつくのは、ぼくが老い先短い身の上だからなのだろう。

 

 

*1:正確にはお小遣いをもらっていた気もするけど、だとしてもかなり少額だったことは間違いない