電羊倉庫

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星新一はアル中を救う

 辛いことから逃げるための三種の神器がある。

 

 まずは音楽。とりあえず音楽。聴けば無条件にテンションが上がる音楽を聴いて乗り切る。ポルノグラフィティネオメロドラマティックLUNKHEAD「螺旋」椎名林檎「真夜中は純潔」みたいな、イントロが鳴った瞬間に血液が沸騰してたまらず身体が走り出してしまうようなハイテンポハイテンションな楽曲でカンフル剤を打つ。キマればこっちのもので、いとも簡単に嫌なことはぜんぶどこかに飛んでいく。仕事とか将来とか年齢とか人間関係とか。で、こういう音楽が効かないときはどん底みたいにくらいのを聴く。ポルノグラフィティ「Fade away」鬼束ちひろ「私とワルツを」ムック「我あるべき場所」みたいな、何が起きたかはよくわからないけど、ただやるせなく辛く怒りがこみ上げ哀しい気持ちだけが伝わってくる楽曲で自分をぶん殴る。やりすぎると『バキ』のスペックの最後みたいになるけど、タイトル戦で千堂に二度も倒されるけど「伊達戦のときの自分を越える」ために立ち上がった一歩みたいになれる。

 

 それが効かないときは漫画を読む。第一候補は島本和彦吼えろペン』だ。あまり知名度は高くないけど本当に傑作で、ギャグと熱血が絶妙なバランスで、読んでいると元気になれる漫画だ。特に二巻六話「強盗と似顔絵」は秀逸。P64の似顔絵を掲示に見せるシーンは間合いと流れがそれなりにシリアスなだけに笑いが止まらない。何度読んでも笑えて楽しくなれるって本当に貴重だと思う。『吼えろペン』はひとしきり笑って前を向いて頑張って生きていこうかなって気持ちになれる。そんな気持ちになれなかったら、かなり追い詰められているから日常漫画に逃げる。もうそれは、あずまきよひこよつばと』には助けられた。無邪気なよつばの描写もいいけど、周囲の人間におおよそ悪意の欠片も存在しないところが良い。穏やかで優しい日常描写はマジで心を癒してくれる。

 

 最後の手段がアルコール。幸い悪酔いするタイプじゃないから、飲めば飲むだけ不安や怒りが頭から抜け落ちていく。もちろんこれは最終手段で、さすがに夜にならないと飲まなかった。それくらいの分別はあった。それが、二か月くらい前に、ちょっといろいろあって福本信行『最強伝説黒沢』六巻四十五話の「押し入れ」のたとえ話みたいに詰め込まれた諸問題が漏れ出てきたことがあった。たくさんの不安や恐怖が頭の中に靄を作っているみたいで、心も体もいうことを聞かなくて、解決するには何か行動を起こさないといけないはずにどうすることもできなかった。そしたら「ずっと物置に仕舞ってた梅酒が出てきたからちょっと毒見してくれ」と頼まれた。特にすることもなかったし、小量ならそれほど酔いもしないからと引き受けてほんの少し口にした。

 夏日に氷が溶けるように不安が消えていった。

 ああ、これがアル中か……と思った。それくらい劇的だった。夜に飲むより遥かに効果的で、怖いくらい綺麗に不安が消えて、何が起こったわけでもないのに楽しい気持ちになれた。そしてアルコールがぬけていくにつれて如実にあの漠然とした不安たちが戻ってきた。こいつをまた追い払うにはもう一杯口にするしかない。

 こうやって不安や怒りをごまかすために昼日中から酒を飲み始めるのがアル中の始まりなんだろう。もし宗教者の言葉が梅酒の代わりになるなら、宗教にのめりこむ人の気持ちがマジで痛いほどわかる。そりゃあ、上手くいかない、どうしようもない人生を言葉一つで救ってくれるなら金も地位も人間関係さえ差し出せるようなあ。救いってそういうものなんだ。だから……

 

 

 

 ……その数日後、なんとなく幼少期好きだった星新一『ボンボンと悪夢』を読み返していた。比較的SF色の薄めで、どちらかというとクライムストーリーが多いショートショート集。ずっと昔に読んだっきりあまり読み返していなかったからか、多くの作品を新鮮に読むことができた。特に「すばらしい食事」はよくできたコントみたいで、クスっと笑えて程よくどたばたして、最後にちょっとゾッとするオチが、しかもきちんと前半部分でキチンと前振りをしているという完成度がかなり高いショートショートだった。

 読み終わってびっくりした。心が軽くなっていた。昼日中に梅酒を飲んだときと全く同じ効用があった。頭上から誰かが糸で釣り上げていくみたいに不安や恐怖が消えていった。少なくとも一冊を読み終えて余韻に浸っている間は、嫌なことを忘れられた。ずっと昔に読んだことあるはずのごく短い小説は、酔いによる現実逃避よりずっと健全な逃げ道になってくれていた。それからは「押し入れ」の不安や恐怖への対策で、ちびちびと少しずつ読み返している。

 星新一はアル中を救うと思う。わりとマジで*1

 

 

 

*1:一応真面目に書くと、星新一じゃなくても「幼少期から親しんだ本当に好きなこと」ってやつは本当にアルコールや神様の代わりをしてくれると思う。みんなそういう趣味は大切にしようね