電羊倉庫

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「ハネウマライダー」というポルノグラフィティを唄った曲

ハネウマライダー」(作詞:新藤晴一 作曲:ak.homma 編曲:ak.homma,PornGraffitti)

 

 至高の夏メロ、テンション爆アガリの傑作、ポルノグラフィティ中興の祖、タオルを振りまわして上腕二頭筋と肘をぶっ壊す時間、イントロのギターを弾く新藤晴一さん*1の顔を見るための曲、岡野昭仁さん*2が狂ったようにハンドルを切りまくる歌、MVが絶妙にダサい、いやあれがいいんだ、耳から摂取する抗鬱剤、ライブの定番曲、タオルの販促曲、ポカリスエットソング……いろんな評価があるだろうけど、名曲というのは一致した意見になると思う。

 歌詞は比較的ストレートで、尖っていた青年*3が、大切なひとができたことで多少は自分を曲げることできるようになった。独りよがりだった昔と違っていまは君がいるから遠くまで行ける。素直に解釈するなら、そういう人生をバイクに比喩した青春から成熟期への移行を歌った爽やかな曲ということになる。これに文句がある人はいないでしょう。おれだってない。ただ、別の見方があると提示したい。

 

ハネウマライダー」はポルノグラフィティというバンドの変遷をバイクになぞらえて歌った曲なのだ。

 

1部〈新たな旅立ちにMotorbike、オンボロに見えるかい?〉から〈Hey you!このBig Machineに乗っていけよ。〉まで

 このパートはバンドの黎明期を歌っている。結成時の彼らは〈オンボロ〉に見えるほど拙い技術しかなかったけど〈bike〉≒rockと呼べるものならどうだってよかった。自分たちを曲げる気はないし止まる気もない。まさに「夢だけはあった」。気性の荒い馬に乗っているかのように気力に満ち溢れていて、それがポルノグラフィティを〈遠く〉まで連れて行ってくれえた。ただ必死に頑張っていたら、気が付いたら〈君〉≒ファンがついてきてくれていた。

 

2部〈Mirror取り付け、見つめた後ろに寄添う人。〉から〈明日の忘れ物は今日にある。〉まで

 活動が軌道に乗り後ろを振り向く余裕ができた。いまは数えきれないほどのファンが自分たちについてきてくれている。最初に志した方向とは違うけど*4、ただ自分たちがやりたいことだけをやるわけにはいかなくなった*5けれど、あのころのままでいることがいいわけではない。ファンに好きでい続けてもらうためにも、脱皮すること、進化することを続けよう。

 

3部〈僕たちは、自分の時間を動かす歯車を持っていて、〉から〈Hey you!途中じゃ降してやらないぜ。〉まで

 自分たちだけで音を奏でたところで独りよがりにしかならない。けれど誰かに聴いてもらえたときに、初めて意味のあることになる。選んだ道は険しく大変だけど、ファンの目があるからこそ、進歩し続けられる。多くの人がかかわってくれて大きくなったポルノグラフィティというアーティスト*6に、ただついてくるだけだったファンがいまでは「もっとやれ!」と激励してくれる。そっちがそのつもりならこっちも最期までファンでいさせるために頑張るよ。……若さと勢いに溢れた決意表明で締められる。

――――――

 

 

 

 おれがポルノの「君」や「あなた」を「ファン」に置き換えて読んでしまう病の重症患者ということを差し引いてもけっこうおもしろい解釈なんじゃないかな。アーティストとファンの関係性という要素が入っているとするなら、ライブでの演奏回数が多いのも納得というか、よりしっくりくる。もちろん、単純に盛り上がれる曲だからというのが大きいのだろうけれど。

 あくまで個人的な意見だけど、晴一がこういう「ラブソングとも別の関係性ともとれる歌詞」を、大きな広い愛という「愛が呼ぶほうへ」系統とは別に作り始めたひとつのきっかけの歌だと思う。そして、その極北が「カメレオン・レンズ」だと思っている。ぜんぜん違う作風だけど遠いご先祖様に「ハネウマライダー」が入ってると思うとなんだか嬉しくなる……かな?

 

 ちなみにライブ映像では「神VS神」がおすすめ。ハンドルを切りすぎてもはや正拳突きにしかみえないハイテンションな昭仁をみることができる。

*1:以下敬称略

*2:以下敬称略

*3:一人称「僕」から類推。もしかしたら女性かもしれない

*4:なかったはずの〈handle〉を切ってるのはそういうこと

*5:〈海が見たい〉→〈Metal Blue〉にバイクを塗るっていうのは、ちょっと穿った見方かもしれないけど、独自のロック路線からプロデューサー主導のラテンポップ系にパブリックイメージが移行したことを指しているんじゃないかな。少なくとも、現在に至るまでラテンポップを演奏/作曲してくれているのはファンが望んでいるからなのだから

*6:ちょっと前後するけど〈Big Machine〉〈Gorgeousな風〉はそういうことだと思う