電羊倉庫

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夢野久作はサイエンス・フィクションの夢を見るか?

 夢野久作ドグラ・マグラ』を読み返してて、ふと思った。時代が時代だったらこの人SF作家になってたんじゃないかな。

 

 日本三大奇書の一つ『ドグラ・マグラ』はその仰々しいキャッチコピー*1とは裏腹に物語の筋はとても単純だ。記憶喪失の青年が次々出てくる変な人や変な資料に惑わされながら自分の過去や周囲の事情を少しずつ把握していく。最終的な結末(主人公の正体や実験の目的、そもそもこの世界が現実なのか否か、など)の解釈は別れるにしても、途中経過については多少時系列が混乱するくらいでそれほど奇異なものでもない。他の奇書のイカれ具合に比べればとても読みやすいくらいだ。

 この小説の奇書たるゆえんは「不確かさ」にある。結局主人公の記憶が完全に戻ることはない。そして物語は「九州帝国大学」とされる場所で完結し、主人公が主体的に行動し情報を確かめる*2ことができていない。与えられる情報に対して常に受け身で、若林博士、各種資料、正木博士の語る内容を鵜呑みにするほかない。ここが本当に九州帝国大学の病院なのか、目の前にいる人間が本当に存在するのか、そもそも目の前で進行していることが本当の現実なのか、確かめる術はない。さらに睡眠、資料への没頭などで意識が現実から逸れることで時間の連続性が消失し、いま目の前で進行している事態がさっきまでの現実と地続きなのかわからなくなる。

 そんな閉塞感が漠然とした不安を生み、タイトルの通り戸惑い面食らわせられる。精神に異常をきたす……かどうかはともかく読み終わってもすっきりしない。あれはいったい何だったんだろう、どういうことだったんだろうと、また一から読み返してみると序盤に患者が書き上げた『ドグラ・マグラ』という作文が作中作として登場し、これからの展開を説明している……。

 夢野久作はそういう「主観の不確かさ」を主題にした短編小説もいくらか書いている。「キチガイ地獄」は信頼できない語り手どころか、信頼できない聴き手を作り出す。明快な正解を提示しないという意味では「死後の恋」も主観の不確かさを題材にしている。だから生涯のテーマだったとまではいわないまでも関心のある題材の一つだったのだと思う。で、こういうテーマを比較的描きやすいのがSFというジャンルだ。

 

 SF作家なんてそれこそ星の数ほどいるわけだけど、「現実と非現実」について素晴らしい作品を作り上げた作家が日米に一人ずついる。フィリップ・K・ディック山野浩一だ。

 ディックはリドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」の原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で有名だけどSF者からは『ユービック』や『宇宙の眼』『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』のような「ふとした瞬間に目の前の現実が崩壊し、本当の世界が顔をのぞかせる」という作品のほうが高く評価されている*3

 山野浩一は競馬の血統評論の第一人者として有名で、同時にニューウェーブと呼ばれる運動の旗手として活動したSF評論家/作家でもある。寡作ながら「現実と非現実」を見事に描いた作品を遺している。「メシメリ街道」や「カルブ爆撃隊」などがあるけど、中でも「内宇宙の銀河」はその極北だ。「内宇宙の銀河」の主人公はある奇妙な病に罹るのだけれどその病状や病原の具体的な説明はほとんどなくて、主人公はシームレスに不条理世界に迷い込んでいく。継ぎ目があいまいだから、どこから主人公が見ているものが信用できなくなるか、どこから現実世界でなくなったのかわからなくなり、それこそ戸惑い面食らう。

 あくまで個人的な感想だけど、ディックは「自分ではなく世界がおかしくなる」作品が多くて対して山野は「世界ではなく自分がおかしくなる」作品が多い。そして、ディックのほうが陰謀論的だ。夢野久作にディックのような陰謀論的な傾向がなかったわけでもない。『ドグラ・マグラ』にもそういう要素はあるし、なにより「戦場」はまさにそういう陰謀を取り扱っている。

 もし夢野久作がSFという道具を使って「現実と非現実」や「主観の不確かさ」を描いたとしたらどちらの方向に寄っていただろう。もしくは二人とは全く違うタイプの作品を書いていただろうか。

 

 もし夢野久作が現代……とまではいかないまでも戦後に生まれていたらどんな小説を書いていただろう。もちろん、SFに関心がいったとは限らないけれど、少なくともニューウェーブには関心を持ったんじゃないかな。より主観に張り付いた小説を、もっと工夫を凝らし、精巧に理論を組み立てた『ドグラ・マグラ』ができていたんじゃないだろうか。

 SFについて浅い見識しか持っていない身でこんな大上段なことを書き散らすべきではなかったのかもしれないけど、そんなことを考えてしまう。

 

 

 

 

 

*1:「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」という角川文庫版裏表紙の文句

*2:例えば外部の人間に会いに行き証言をとるなど

*3:……と思う。間違ってたらごめんなさい