電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

最近見た存在しない映画(2021年11月)

脱走と追跡のサンバ(1981年、日本、監督:尾令正子、125分)

 凄まじい映画だった。かなり原作に忠実(というか忠実過ぎる)で狂騒と混乱と饒舌と思考と嘲笑と脱走と追跡に満ち溢れていた。ただ画面の切り替わりが多いわりに場面の切り替わりが少なくいのがちょっと気になる。あと技術的に仕方ないけどやや画質が荒くて*1余計に辛いところがあった。特に序盤のボートのシーンで画面の乱れがかなりきつくて、場面の意味を考えればもしかしたら意図的なものなのかもしれないけど……。

 世界がおかしくなっているのか、自分がおかしくなっているのか、もしくはその両方か。原作はそういう問題ではなかったような気がするけど映画のほうは世界がおかしくなって、その結果として「おれ」がおかしくなった、という立場をとっていた……と思う。もしくは映画もそういう問題ではなかったのかも。この辺はもう一回見直さないと断言できない。

 この映画最大の仕掛けはエンドクレジットにある。かなり昔の映画だからさすがにネタバレで怒る人はいないだろうし、軽く感想を漁ってみたらクレジットの意図が伝わっていない人も多かったから書くけど、キャストのクレジットがアニメでいう原画や作画スタッフのように具体的な役名もなくただ羅列されていたのは全役者が全役をランダムに演じているからだ。だから序列が存在しないように円形にグルグルと表示され、しかも流れている間にも名前の位置が入れ替わっている。全役者が……子役もベテランの俳優も若手の女優も……「おれ」であり「緑色の服の男」であり「正子」であり「正子の父親」であり「ボート屋の男」でもある。こんなむちゃくちゃを成立させている役者の演技力もすごいけれど、違和感なく画面映えさせているメイクや特殊効果の技術もすさまじい。アイディアを思いつくところまでなら簡単だけどキチンと成立させているからこそ価値がある……という古今東西の文学作品に通じる価値がある映画だと思う。

《印象的なシーン》「おれ」が時計店に来訪し続けるシーン。

 

 

プリティ・マギー・マネーアイズ(1978年、アメリカ、監督:スレイ・ハーソン、89分)

 エリスンの煌びやかな文体が良く反映されていると思う。おれにはよくわからなかったけど、感想を漁ってみると諸々の小道具にエリスンらしさがにじみ出ていて、監督はエリスンのことをよく理解しているらしい。そのへんは判断できないけど、少なくとも華やかなカジノとみすぼらしい主人公の男、そして妖艶な瞳のマギーという三要素はキッチリ抑えてあるし特に変なアレンジも加えられていない。好印象の映画だった。

 ただ、やや単調で退屈になる場面も少なくなく、時代を考えてもエフェクトが安っぽすぎるという致命的な欠点もあった。他の箇所ならともかくよりにもよって終盤の解放と束縛のあの瞬間にこれが来たものだからちょっと……いや正直に言ってかなり興ざめしてしまった。もう少しどうにかならなかったのか。あと主人公の男のみすぼらしさを強調するあまりちょっとみっともなさすぎるシーンがいくつかあったのは良くない。個人的にエリスンの小説の中でも特に好きな短編ということもあってちょっと期待しすぎていたところがあるにしても、この辺はやっぱり批判されても仕方ないんじゃないかなとは思う。

《印象的なシーン》嗤う瞳。

 

 

劉邦項羽(2016年、日本、監督:卯金刀邦季、155分)

 まさか邦画で楚漢戦争が観れるなんて!「歴史ものなのに地味」「戦争描写が少なすぎて娯楽性に欠ける」「劉邦項羽も変な描かれ方をしている」と、評論家筋から大層評判が悪いみたいだけど、かなり不当な評価だと思う。二時間半近くあるとはいえ続編なしの単発映画で劉邦項羽の生涯60年近くを描ききっている点はちゃんと評価すべきだし、そういう意味では戦争シーンを大幅にカットしたのは英断だ。それに劉邦像や項羽像が一般に流布しているものと違うからといって「制作陣は中国史がわかっていない」なんて狭量がすぎる。もちろんこれは逆側にも同じことが言えるけど、今回はとりあえず関係ないのでとやかくは書かない。

 戦争シーンを大幅にカットしているだけあって政治劇、思想的な闘争については他の追随を許さない濃さがある。個人的に画期的だと思ったのが劉邦項羽の国家観の違い……というかブレーンたちの統治観の違いだ。統一後に名乗った称号や行動も対比的で、善悪と言うより受けてきた教育*2の違いとして描いているのは素晴らしい着眼点だ。その分極端な悪役がいないからカタルシスには欠けるけどかなり公平な作品に仕上がっている。

 もちろん晩年の粛清については若干……いや、かなりきつく描かれていている。とくに韓信はともかく盧綰と樊噲を疑ったのは劉邦の生涯で拭いきれない汚点の一つとして克明に描かれている。けれど、それでも従来の作品にありがちだった「往年は仁君、晩年は暴君」みたいな描かれ方をされてなかったのは高く評価したい。劉邦/呂后による統一直後の粛清(と張良と蕭何の進退の選択)こそが彼らと始皇帝を分かつ最大の特徴で、良い意味でも悪い意味でも後世のモデルケースになっている。試行錯誤を繰り返し発展したり原始に帰ったり、太平の世が現れたと思ったらちょっとした地獄が出現したりと、そういう中国史のスケールを感じさせるラストシーンも素晴らしい。

《印象的なシーン》辞官を申し出る張良を見つめる劉邦

 

 

ニッポンの農業の夜明けの始まり(2013年、日本、監督:日野元太郎、60分)

 日本で行われているありとあらゆる農業を肯定的に捉えなおすというコンセプトの映画らしいけど、さすがに範囲が広すぎて60分で深く掘り下げるのは不可能だったらしく、かなり散漫な作品になってしまっていた。だったら、例えば比較的長尺で取り上げられている稲作と梨農家に絞って作ったほうが良かったのでは?あと妙にトラクターを推してたけどヤンマーがスポンサーにでもついていのか?

 ただ、そういう手の広げ方(とタイトルのセンス)はともかく、真剣に日本の農業のことを考えて作られた映画だということはわかる。だからあまり批判はしたくないんだけど……あまりに矢継ぎ早すぎて「ポケモン言えるかな?」みたいだった。ちなみに監督名は複数人の合同ネームらしい。日野元なのか、元太郎なのかちょっと気になる。

《印象的なシーン》冒頭のトマトが実るまでを定点カメラで観察した映像。

 

 

暗がり(2000年、日本、監督:真崎有智夫、10分)

 なんだこれ。オープニングもなにもなくいきなり真っ黒な画面が映し出され、何の動きもなく虚無みたいな10分間がただひたすらに流れ、あっけなく終わった。は?なにこれ?画面に反射して移った自分の顔しか見えなかったんですけど。

 意味不明すぎる。そもそも本当に映画なのか?最初はアマゾンプライムの不具合だと思ったけどそうではないみたいでちゃんと大手映画情報サイトなどに記載があった。ただ、どれだけ探しても監督以外のスタッフの名前すら出てこない。感想を漁ってみると「数秒ごとに色合いが微妙に変化している」とか「コンマ数秒ごとにアニメーションが挿入されている」とか「明度を挙げるとうっすらと文字が浮かび上がってくる」とか真偽不明の情報がでてきた。本当かよ……10分程度とはいえさすがに少しの意識も切らさずただ暗いだけの画面を見続けるだけの集中力はないから確認する気にはなれない。どこぞのカルト組織で流されていた洗脳ビデオを見ているような気分だった。

《印象的なシーン》なし。

*1:2017年にデジタルリマスター版が出ていることをさっき知った。入手しなければ……

*2:帝政への理解度や実務処理の重要性の認識の違いなど