電羊倉庫

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ポルノグラフィティ「メビウス(仮)」の可能性〔ぬいぐるみ、ネオメロドラマティック、老いた人〕

 後段にかなりセンシティブな話題が含まれます。可能な限り言葉や表現には気を付けるつもりですが不愉快にさせてしまうかもしれません。もし、そのような声があれば相応の対処を取ります。

 

 今回取り上げる「メビウス(仮)」は17thライヴサーキット 「続・ポルノグラフィティ」で初披露された楽曲。ライヴの最終公演はウェブ配信されて何度も聴き返すことができ、また歌詞の字幕がついていたこともあって、その全容を正確に把握することができた。ただし、(仮)とあるようにまだ仮歌の段階で、おそらく正式にリリースされるときにはメロディも歌詞も、もしかしたらタイトルも、かなり変化しているかもしれない。けど、ひとまずはこの配信で得られた情報をもとに考えてみたい。

 驚いたのは歌詞がひらがなに開かれていたことだ。音としてだけ聴き取れば、かなりビターではあるものの、ポルノグラフィティでは比較的よく取り上げてきた悲恋の歌だったものが、意図的にひらがなに開いてあるというだけで途端に別の顔を見せはじめる。

 この歌詞には三つのポイントがある。「意図的にひらがなに開いていること」「壊れてしまった愛という表現」「チャイムが鳴り家に帰るという描写」この三つが「子供の視点の歌」や「悲恋の結末」という明快な解釈を阻んでしまう。解釈はこの三点をいかにうまく処理するかが重要になる。

 解釈はいろいろあると思うけど、とりあえずほかの人の意見を一切参照せずに考えたものが三つあるから、今回はそれを書いてみたい。穏当なものから順番にそれぞれ、「子供とおもちゃ」「恋人たち」「親子」が題材となっている。

 

1.子供とおもちゃ

 視点は「壊れてしまった大きなぬいぐるみ」だ。壊れてボロボロになってしまった大きなぬいぐるみを、親が捨てに行っているのを泣きじゃくって別れを嫌がる子供を描いている。

……………

 優しいあなた(=持ち主の子供)は別れを嫌がり首根っこに抱き着き(≒締め上げ)て泣いてくれている。そうしてくれることが(おもちゃとして)どうしようもなく嬉しい。(あなたが悲しんでいるのに)恥ずかしいことだけど、許してほしい。抱き着くと喋りかける機能がついていたけど、もう壊れてしまった(≒肺が萎んだままでいる)。

 造られた身体なのに、抱き着かれれば「ぼくの名前を教えて!」なんて何度も何度も名前を欲しがったね。ごめんね、もう忘れてよ。赤い目をして泣きじゃくるあなたをもう見ていたくはない。

 遠ざかっていくあなた。夕方のチャイムが鳴っている。そうだ、もう、家に帰らなくちゃね……。

……………

 いつも、どこへ行くにも一緒だった、大好きなぬいぐるみとの別れの場面を描いた、映画『トイストーリー』を思わせる哀しくも優しい歌だ。

 

 

2.恋人たち

 視点は「読み書きがうまくできない弱い立場にいる人」だ。おそらく、「優しい人」同士だった二人は、それゆえに最悪の結末を迎えてしまう。

 かなり直接的な暴力を振るわれながらも相手を「やさしいあなた」と表現する視点者は、優しくもどこか無垢でありすぎる印象がある。そういう意味で個人的に「ネオメロドラマティック」のバッドエンド版だと思っている。本筋から外れるから詳しくは書かないけど「ネオメロドラマティック」は「他人から見れば見当はずれなことをしてしまうような、どこかズレた優しさを持つ、他人からいいように使われてしまうような人を、正常とか常識とかそういう方向へ矯正するのではなく、寄り添い支えることを決意した歌」と思っていて、そういう「愛」がうまくいかなかったという意味で「ネオメロドラマティック」の結末の一つの可能性を描いた歌だ。

 

 

3.親子

 視点は介護者である子。いわゆる老老介護の場面で、痴呆症によって認識を蝕まれた親と限界を迎えてしまった子の結末を描いている。

……………

 貧窮と過労の果てに、子が親を絞め殺そうとしている。蝕まれた意識の中、優しいわが子を見上げて、最期に子供のことを思い出せたことを幸せに感じてしまった。親として恥ずかしいけれど、どうか許してほしいと思ってしまう。こんな結末になってしまったけれど、わが子への愛情は本物だった。

 もう何も残っていないほど老いてしまっている。何度も「自分の名前」と「わが子の名前」を、ほかならぬわが子に問いかけてしまった。束の間に戻った認識の中、声にならない声でそれを謝罪する。

 夕方のチャイムが聞こえて、まだ健在だった自分と小さかったわが子の、幸せだったあのころが頭をよぎる。

……………

 やるせなく、つらい。たしかに筋は通るけれど、可能性としては低いと思う。あくまで解釈の可能性の一つとして。

 

 

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 どうだろう。ここでもちょっと書いたけど、個人的には「子供とおもちゃ」が一番しっくりくる。ただもう少しストレートに読めば「恋人たち」の解釈が妥当だと思える。「親子」は解釈にやや無理があること、そして題材があまりにも辛くやるせなく哀しすぎて、これまでのポルノグラフィティの楽曲の傾向からしても、可能性はかなり低いと思う。

 配信で歌詞を「見た」とき、本当に驚いた。これまでのポルノグラフィティの楽曲は(主に新藤晴一さんの作詞で)絶妙な比喩表現で解釈に幅を持たせるものが多く、それがポルノグラフィティの魅力の一つなのだけれど、「メビウス(仮)」のように「敢えてひらながに開く」という技巧によって解釈の余地を作ってるのは、かなり画期的だと思う。そういう意味ではポルノグラフィティにおける表現技法の転換点になりえるのではないか、と期待すらしている。

 どちらの作詞かはわからないけど、リリース版の歌詞を「見る」のがいまから楽しみだ。もちろん、この三つの解釈が全く見当はずれの可能性も含めて。