電羊倉庫

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フィリップ・K・ディック『宇宙の眼』[ぼくがかんがえたさいこうのせかい=他人には地獄]

 偏った人間が考えた「最高の世界」から抜け出す物語。 

 

 

 ディックは「現実/非現実」みたいな作品より「人間/非人間」みたいな作品のほうが好きで、幻想的なSF作家みたいに評されてるのがあんまり気に食わなかったけど、改めて読んでみるとやっぱりそういうのも良いものだなあ、と単純明快単細胞にそう思った。前振りできっちり思わせぶるし、各種ディストピア描写も行き過ぎない濃度で胸焼けすることなく、けれど飽きることもなく楽しめた。

 キャラクターはそれぞれ、宗教、お花畑、陰謀論共産主義闘争社会(?)って感じかな。前から二番目までが特に描写的に不安や異物感が強くて好き。こう並べてみるとシルヴェスター的な人が知り合いにいなくて本当に良かったなあ。プリチェットよりかなり厄介だと思う。長さに偏りはあるけど、だんだん手ごわくなっていく感じもいい。

 あと、これは完全に失念してたけど、この作品も奥さんのところに帰ってくるのか。シルキーとの描写がちょっと怪しかったけど、夫婦円満(はちょっと言い過ぎか)なところに帰っていくのは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』くらいかと思い込んでいたからちょっと意外だった。その辺に注目してディックの小説を読み返してみるのもおもしろそう。あと意外といえば、宗教についても結構否定的に描いてたこと。やっぱり『ヴァリス』とか『聖なる侵入』の印象が強くて、変な神学にのめりこんでるイメージがあるけど、冷静に考えたら『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』もそんなに宗教に肯定的でもないし、むしろ『ヴァリス』的なモノが少数派なのかもしれない。

 

 

 ここから先は現実を交えたちょっと嫌な話。もともとこの小説を読み返そうと思ったのは、ツイッターで繰り広げられるいつものちょっとした地獄を眺めていて「この人たちって『宇宙の眼』にでてきた人たちみたいだなあ」とふと頭をよぎったからだったんだけど、我ながらかなり適切な表現だったんじゃないかと思った。

 ツイッターに限らずインターネット……いや、インターネットに限らず世界のどこにでも「ぼくのかんがえたさいこうのせかい」をむやみやたらに披露したがる人はいる。もちろん、たいていはたいして害のない他愛のないものだ。所得税が存在しない世界に住みたいとか人類すべてがガンダムオタクの世界に住みたいとか……別に本気でそうしたいわけではなくて、単なる願望をちょっと大げさに表現しているだけというのが大半だと思う。

 けれどなかにはそんなことを本気で願い、他人を攻撃するための口実にしている人もいる。例えば「純〇〇人」だけの国家に住みたいとか「△△」という属性が存在しない世界に住みたいとか。バリエーション豊富に、こうしている間にも延々と変種が生まれ続けている。

 もちろん、えてしてこういうことを言い出す人は個人的に辛い経験をしている(……と少なくとも自称している)わけだけど、たとえそれが事実であったとしても、それとこれとは話が別なわけで、第一、世界にはいろいろな人がいて、それぞれにいろいろな経験がある。誰かにとっての最高の世界はたいていの他人にとっては地獄だ。さっき上げた無害な例で行けば「全人類がガンダムオタク」の世界は、そりゃあおれにとっては生きやすいけど、世界にはロボットものや戦争ものそれ以前にアニメ自体が嫌いな人だっているはずで、そういう人たちにとっては「全人類がガンダムオタク」であることを強制される世界は決して住みよい世界ではないはずだ。そういう主観で世界と創るとこういうことになる、と『宇宙の眼』は教えてくれる。

 ……と偉そうなことを書いたけど、まあ、けどそんなのはSF者の傲慢なんだろう。別にディストピアユートピア小説を読んでいなくたって、そのくらいの常識はあるはずだ。けど、ああいう人たちが『宇宙の眼』みたいな小説を読んだらどう思うのかはちょっと興味がある。反省するのかなんとも思わないのか、それともこれさえ他人を攻撃するための道具にするのか。