電羊倉庫

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SFといえばフィリップ・K・ディック

 男はバカだから「初恋の人」を生涯忘れられずに引き摺り続ける、と何かで読んだ記憶がある。これはたぶん真理で、そして「初恋の作家」にも同じことがいえる。少なくともおれはそうだ。

 ディックを初めて読んだのは大学一年生のころだった。せっかく大学生になったのだからそれまであまり手を出したことがなかった海外作家の小説にも本格的に手を出してみようかなと思い立っていろいろ調べていくうちに「読むべきSF100選」みたいなウェブサイト*1を見つけて、その中から(主にタイトルのかっこよさで)この三作品を選んだ。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?月は無慈悲な夜の女王鋼鉄都市

 読んだのはハインラインアシモフ、ディックの順だったと思う。前二作はそこそこで『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』が一番面白かった。というわけでまたタイトルで『流れよわが涙、と警官は言った』を購入。

流れよわが涙、と警官は言った

 これがディックを本当に好きになったきっかけの小説だった……というのは正確な表現じゃない。実はこの小説の解説で大森望さんが水鏡子さんの「ディック断想」から引用する形で「タヴァナーがディック的なアンドロイド」であることを指摘してくれたおかげだ。これがなかったらきっとこの二作品がディックの生涯のテーマである「感情移入能力」について書いた力作であることが理解できなかった。その指摘のおかげで『流れよわが涙、と警官は言った』を読み終えたときの気持ち悪さが解消して、遡って『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』での疑問が氷解した。『流れよわが涙、と警官は言った』のおかげ、というか解説を書いた大森望さんが水鏡子さんの指摘を引用してくれたおかげで好きになったということになる。そして古本屋を駆け巡って短編集を探し回り『ディック作品集』のシリーズで「まだ人間じゃない」や「ジョンの世界」で「あっ、これは星新一*2くらい素晴らしい作家だ」と当時のおれにとって最大級の誉め言葉で賛美し、ディックの作品を探し回るようになった。

 ディックとそれまで好きになった作家……例えば星新一夢野久作との決定的な違いは「一から自分で探して好きになった作家」ということ。それ以前の作家は多かれ少なかれ周囲の誰かを経由して好きになった。星新一は両親がファンで新潮文庫ショートショート集がそれなりに家にあったから好きになったのだし、夢野久作は姉が『ドグラ・マグラ』(大槻ケンヂさんのエッセイ経由で興味を持ったらしい)を半分もいかないくらいで挫折して放置していたのを、気になって読み始めておれのほうが夢中になった。星新一夢野久作も家族からの推薦があったから読み始めたけど、ディックは具体的な言葉による推薦を受けていない*3

 そういう意味で、ディックは「初恋の作家」だ。時系列ではなく精神的な意味で。そして、おれは例に漏れずバカな男の一人だから初恋を引きずり続けている。

 ディックより優れたSF作家はたくさんいる。小説の完成度、という面でディックよりずっと巧い人は数えきれないほどいる。現代の作家はいわずもがな、同じように古典となった作家と比べても、純粋な描写能力ではエリスンのほうがはるか高いレベルにいるし、抒情的な文章ならブラッドベリ、短編の切れ味や完成度ではティプトリーが優れているのは間違いない。もちろん、ディックにはディックの色があるから単純な優劣の問題ではないし、作品単体で行けばその辺の作家に勝るとも劣らないものだってある。けれど、少なくとも短編作品を全体で見たときに優秀とは言い難いのも事実だと思う。ほかの作家とは違うテーマを取り上げることが多くて、それが色合いなわけだけど、それは小説の完成度とはちょっと違うベクトルにある。短編小説の完成度で、ほかの作家より優れているところがある、とおれは即答できるだろうか。いや、たぶん、それは……。

 いままで好きなSF作家と問われれば、フィリップ・K・ディックと答えてきたけど、とても不誠実な答えだったんじゃないか。しょせん初めて好きになったから惰性で好きと言っていたにすぎないのではないか。本当はすぐれた作品とは思っていないんじゃないか。

 今週のお題「SFといえば」ということでディックの思い出を振り返ってみたけど、どういうわけか凹んできた。けれど、せっかくそんなむかしのことまで思い出したのだから、とりあえず短編をまとめて読み返してみよう。答えを出すのはそれからでも遅くはない。まとまったディックの短編集といえばこのシリーズになる。

アジャストメント ディック短篇傑作選 (ハヤカワ文庫SF)トータル・リコール (ディック短篇傑作選)変数人間

変種第二号小さな黒い箱 ディック短篇傑作選 (ハヤカワ文庫SF)人間以前 (ディック短篇傑作選)

 《ディック短編傑作選》はディックの短編集が新品ではなかなか手に入らなかった時期に刊行された短編集のシリーズで、既刊の本と併せてディックの短編をほぼ網羅できるというのが売り文句だった。リアルタイムで刊行された初めてのディックの本ということで喜び勇んで本屋に買いに行った記憶がある。

 実はこの記事を書いている段階で一冊目の『アジャストメント』はすでに読み終えている。短編個別の感想は別で書こうと思っているけど、とりあえず簡潔に。

 下手なところもある。けれど、思っていたよりずっとちゃんとしてるし、あれっ、ちゃんと面白い。良い所だってちゃんと挙げられる。

 ……あれれ?

 正直なところ、当てが外れた。思い出を振り返っているうちに悲観的な気持ちになってきたから、ディックにけりをつけようと思って急遽短編集を見繕った。具体的には今週のお題「SFといえば」という出だしより前の文章を書き終えた時点で読み返したのだけど……極端に明るくなるわけでもなく、決して悲観的に切り捨てることもなく、なんというか「まあ、やっぱ好きだなあ」って感じというか……きっちりはっきりした感情がでてくると思っていたけど、そんなことはなかった。

 まだ一冊目だけど、改めて読み返すことでディック作品と決別するとか、逆にディック作品のすばらしさを再認識して盲信するようになったとか、そんな劇的な変化は起きそうにない。思い出の中で過剰に美化することがあるみたいに、どうも過剰に悪く思い込みすぎていたみたいで、それがフラットな位置に戻るだけになりそうだ。この記事の文章は短編集を読み始める前と後でそれなりに時間が空いているわけだけど、後半の文章を書きながら読み返すと、なんだか別人が書いているみたいだ、と本当に他人ごとのように感じてしまう。

 結局ディックは欠点も多いけど良い作家だよね、なんて毒にも薬にもならない結論に落ち着きそうだ。ブログの記事としてはこれ以上ないほど平凡で退屈でダメなオチになってしまった。けれど、まあ、それでいいのか。初恋なんてそんなものだ。それに、いまもむかしも変わらずディックはディックで、おれにとってSFといえばディックなのだから。

*1:検索したけど見つからない。ブログとかじゃなくて個人が作ったサイトで、たぶん『このSFが読みたい』みたいな雑誌の企画で挙がった作品をリストアップして、既読か未読かのアンケートを取っていた。

*2:亡くなられた方は敬意をこめて呼び捨てにしています。ご了承ください

*3:ウェブサイトで名前と表紙は調べたけど内容はほとんど調べていない