電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

最近見た存在しない映画(2022年7月)

そばかすのフィギュア(1995年、日本、監督:菊池るみ、88分)

 この時代のアニメを観ているとなぜか懐かしくなってくる。どうしてなんだろう。年齢的にほとんど自我はなかったはずだけど、どこかで原体験になっているのかもしれない。

 原作を読んでから観たアニメは違和感との闘いになることがあるけど、この作品も原作との違いが気になる……というのはちょっと正確ではない。おれが読んだのは2007年に刊行された再編集版で、下のリンクのイラストのイメージだったけど元の書籍は表題作ではないからそもそもカバーイラストにはなっていなくて、扉のイラストもシャープなタイプだから、そういう意味では原作をキチンと取り込んだデザインになっている。軽くレビューを読んでみたけど概ね好評みたいだから、間違っている(?)のはおれのほうらしい。

 ストーリーは原作をやや膨らませた程度で大筋は変わっていない。物悲しくも力強い別れのシーンも、この時代特有の雰囲気がある。原作ではサークル仲間以上の役割を与えられていない山下と近藤もそれなりに見せ場をもらえている。原作にはなかった要素として別ベクトルの恋愛要素が匂わせられているけど、それも原作の後味を壊すような露骨で安易なものではない。

《印象的なシーン》窓の外のNNPフィギュア。

 

 

クラッピー・オータム(2010年、イスラエル、監督:エマヌエル・テイテルバウム、100分)

 ドタバタコメディ色が強いけれどキャラクターの得体の知れなさがなんとなく不気味でもある、という変わった映画。いろいろな出来事が起きるけれど、何が変わったかと言われると何も変わっていないような。文字通り「ろくでもない秋」だったわけだけで、それはイドの「成長もないし何かを学んだわけじゃない」というセリフに集約されえている。けど、本当に無意味な顛末じゃなかったはずだ。少なくともイドにとっては。

 序盤と、それに対応する終盤の雰囲気がいい。爛れているわけではないけど気怠くて穏やかな時間。ピザが食べたくなる。キャラクターとしてはやっぱりトニーが好き。吹き替えで観たから原語版での役者がどんな感じだったのかわからないけど、少なくとも日本語版の役者は絶賛されてしかるべきレベルだった。繊細な演技が必要な役柄ではないと思うけど、トニーの存在が映画の芯を担っているのは間違いない。ある意味では『宇宙人ポール』のポールみたいなものだと思う。

《印象的なシーン》人間性を発揮するトニー。

 

 

流浪の民(2009年、中国、監督:曹淑林、98分)

 原題は「徙民」で「強制移住政策」のような意味で、中国大陸の諸帝国ではよく行われてきたことらしい。そういわれてみれば三国志でも「孫権荊州から住民を強制徴収して本国に連れ帰った」みたいなのを見かけて困惑した記憶がある。あのころは意味が分からず娯楽としての狩猟を獣ではなく人間でやっている悪趣味極まりない所業だと思っていた。

 そういう意味では邦題はちょっと間違っている。古代(明言されてないけどたぶん後漢末くらい)から清の嘉慶帝くらいまでの人口の移り変わりを一つの血族にフォーカスして描き出しているわけだけど、彼らは別に流浪していたわけではなく、基本的に定住して農耕に従事している。兵役や徙民、戦乱から逃れるための移住で放浪することはあるけど、流浪の民はちょっとニュアンスが違う。けど、あんまり堅い雰囲気にしたくなかったのもわかるから批判するほどでもないか。

 およそ1500年という壮大なスケールに困惑するところはあるけど、基本的にはミクロ視点で物事が進むから歴史に詳しくなくてもそれなりに楽しめると思う。ただ、当時の税制や人口調査のシステムを知らないと混乱する場面はどうしてもある。そういう意味では多少事前に知識を仕入れておいたほうが楽しめる。

《印象的なシーン》族譜をジッと見つめる少女。

 

 

夢みる頃を過ぎても(1985年、日本、監督:木南都築、114分)

 尺の都合というよりは役者の都合だと思うけど、原作の高校パートがバッサリカットされたのは残念だけど、欠点らしい欠点はそれくらい。過剰さのない演出が心地良い。作中時間は三年くらい経過しているはずなのに、そうと感じられないほど穏やかな時間の流れで描かれている。決してテンポが悪いわけではないし、淡泊なわけでもない。印象的な場面は多いけど、どれも演出過剰に音楽を鳴らしたりわざとらしい構図を作ったりしてはいない。約二時間があっという間の映画だった。

 当時の社会問題(学歴社会など)についても触れられているけど、比重はそれほど大きくない。この辺は高校のパートが削られた影響が大きいのかな。群像劇の色合いが強く、主にサル、恭一、黄菜子の視点で描かれているけど、黄菜子については原作では一話分(全体の1/5)でしかない「夢みる頃をすぎても」が映画の半分を占めている影響もあって実質主人公のようになっている。後半は個人的に好きなサルがあまり登場しなくなってしまうのがちょっと寂しかったけど、まあ仕方ないか。あと、漫画ではどこかコミカルで憎めないキャラクターだった空子だけど、現実の人間でやるとちょっと嫌な面が目につきすぎるのはもうちょっとどうにかしてほしかったかな。

《印象的なシーン》ざあざあと降り続ける雨と二組の膝枕。

 

 

ご機嫌直しまであと何単位?(2019年、日本、監督:真崎有智夫、10分)

 全編が主観視点POVで作られてた日常映画。アクションが存在しないのにカメラの性能が悪いのか撮っているやつが悪いのか妙に画面が揺れる。ただ、こういう映画で前半と後半で視点が変わるのは新鮮だった。冬のある日のなんでもない景色。

《印象的なシーン》悪魔のようににっこりと笑う女性。

ニセ彼女

ニセ彼女