電羊倉庫

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最近見た存在しない映画(2022年8月)

黒博物館Ⅱーゴースト&レディー(2020年、日本、監督:富士鷹和宏、119分)

 素晴らしい。もちろん一作目の「スプリンガルド」も素晴らしいアニメ化だったけど、今作はそれを上回る、オールタイムベストに挙げられるくらいの完成度。原作のファンだけでなく史実のナイチンゲールに興味ある方、純粋にファンタジーアクションが好きな方、ほろ苦いラブストーリーが好きな方、と枚挙にいとまないくらい広い客層に勧めて回りたい傑作。

 二時間でまとめるために、一巻の中盤くらいまでのエピソードがかなり削られていたけど、それだけフローとグレイの正念場であるクリミア戦争が濃密に描写されている。人物の動きはもちろんのこと、背景描写も時代考証が入っているらしく緻密で繊細。音楽のことはわからないけど、感想サイトではヴィクトリア朝の雰囲気が良く出ていると言われていた。文句をつけるとしたら、グレイがCGで処理されていたのはやや残念……と言いたいところだけど、それすら演出の一環に組み込んでしまっているのは感心を通り越して小憎らしさすら感じる。CGと作画の質量感の差をあまりに巧く利用している。

 原作者の善悪観というか「悪いやつが良いことをするシーンが好きだけど、それはそれとして報いは必要」という信念に近いものが最も良い形で描かれたラストシーンの美しさは至高そのもの。天から差す光を見上げるグレイの表情も、おれの拙い語彙力ではとても表現しきれないものがある。文句なく必見の一作。

《印象的なシーン》咆哮とともに膨れ上がり襲い掛かるフローの〈生霊〉。

 

 

死ね、マエストロ、死ね(2005年、アメリカ、監督:エドワード・H・ウォルドー、126分)

 不思議な体験だった。「ああ、良い映画だったな……いや、なんか違うような気がする。ちょっと原作読み返してみよう……えぇ、映画は全然ダメじゃん。けどなんか気になるからもう一回見返すか……あれっ、めっちゃ面白いじゃん」二時間の映画、60ページの小説を往復するたびに少しずつ感想が変わった。

 良く出来た映画だった。それは間違いない。フルークの異常な(そしてとてもありふれた)感情の発露と、そして周辺キャラクターの魅力的な人物造形がオーソドックスなサスペンスを完璧に彩っている。けれど、それでも原作の素晴らしさを上回ることはなかった。映像作品は文章作品も心情描写が難しいのはわかっているけど、どうあってもスタージョンの筆力に脚本も演技力も演出もすべてが追い付いていない。そんな比較は酷なのかもしれないけど、もう少し、ほんのちょっとだけ踏み込めれば……と思わずにはいられない。

 ちなみに『タキシード・ジャンクション』を演奏するシーンは賛否両論みたいで、おれは普通に良かったと思うんだけど、なにやら細かいミスが見受けられるらしい。あと、これは原作を読んでいた時にも思ったことだけどフルークの造形で、福本信行/かわぐちかいじ『告白』を思い出した。そういえばあれも映画化していたはずだから来月にでも観てみようかな。

《印象的なシーン》フルークの絶叫。

 

嘔吐した宇宙飛行士(2005年、日本、監督:茶川茂、88分)

 感動した。たぶんこの映画(と原作小説)で感動した地球上で唯一の人物だと思う。読んで字のごとくタイトルそのままの内容の作品で、くだらないの一言で済ませる人が大勢だろうし、正直おれもストーリーについてはほぼ同感。言葉遊びといえば聞こえはいいけどほぼ駄洒落の展開においおいというオチがつく脱力系おバカ映画。

 では何に感動したか? もちろん嘔吐の描写だ。素晴らしい。純粋な描写でこんなに不愉快になったのは筒井康隆「最高級有機肥料」以来、というレベルの高さ。「嘔吐の描写ってこうすればよかったんだ!」なんて世界で一番意味のない学びを得た。あまり詳細に書くと気分を害する人も多いだろうから多くは語らないけど、真正面から見続けるのは拷問に近いほど迫真の描写だった。人生で何の役にも立たない「嘔吐の描写」技法を学びたいなら一見の価値がある。もちろん、不快な描写に耐性のあるおバカ映画好きの方なら観ても損はしない。

《印象的なシーン》李が回収されるシーン。

 

 

蟲の恋(1976年、日本、監督:小垣昌代、113分)

 一見タイトルと内容の乖離が大きくみえるけど、実は登場人物たちはすべて実在する虫の習性になぞらえて肉付けをされている……ということを各種感想サイトで知った。例えば、死への旅路の準備にいそしむ臼井はウスバカゲロウに、高い地位や財力をフル活用して偏見にめげることなく子育てに奮闘する田亀はコオイムシに、子供のために盗みを働く赤井はアカイエカなど。老若男女の恋をする人々が生き生きと、そして時には物悲しく描かれている。

 とりわけ中心人物である美濃と三野賀はミノムシ(ミノガ)にその生涯を落とし込まれているのだけど、やるせなく、辛く、この上なく美しい。病弱でほとんど外には出られず部屋の小窓から外を眺めることしかできない美濃がどうして(不自然なほどすんありと)身分違いの三野賀と結ばれることができたか、そして妊娠が発覚した際のお抱えの医師が見せる表情は、二人がどんな運命を辿ることになるかを如実に物語っている。「蓑」に仮託された「家」に必要なのが何だったのか……少なくとも賤しい身分の美男でも病弱で役に立たない美女でもないのは、哀しいほど明らかなのだから。

《印象的なシーン》窓越しに見つめ合う美濃と三野賀。

 

 

ネコと時の流れ(2024年、日本、監督:真崎有智夫、15分)

 短時間でそれなりに緩急がついている良作。鋭い人はエンドクレジットを観る前に気づくかもしれないけどアニメならではの仕掛けもある。ただ、自主製作作品であることを勘案しても動画のレベルは決して高くはない。けれど観て損はしないと断言できる暖かさと強さがある。

《印象的なシーン》少年から撫でられたネコの気持ち良さそうな表情。