電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

湊かなえ『往復書簡』[詳細感想版]

 通常版が読んでもらえているので詳細版を作りました。

 

《構成》

 全編が手紙のやり取りで構成された連作短編集。作品ごとに主要キャラクターは入れ替わるけど、登場人物や赴任先の国など、小さなつながりがある。ただ、それも直接関連しているわけではなく、世界観を共有しているという程度。

 彼らはそれぞれの過去の「ある事件」を中心に手紙をやりとりし、徐々に事件の真相や登場人物の意外な一面が明らかになっていく。立場や性格によって人物への評価が大きく異なること、そして同じ出来事を経験していたはずなのに、それさえ違う印象をもってしまうことがある。主観の曖昧さ、人や物事の多面性がテーマの作品。

 

 

《収録作》

1.十年後の卒業文集

①登場人物

高倉悦子:放送部。既婚。アフリカ在住だが一時帰国中。悦ちゃん
谷口あずみ:放送部。婚約者がいる。最初の文通相手。アズ、あずみん
山崎静香:放送部。浩一と結婚。二番目の文通相手。静ちゃん。
千秋:放送部。音信不通で結婚式にも来ていない。ちーちゃん。
―――――――――――――――――――
浩一:放送部。学生時代は千秋と交際していたが、静香と結婚することになった。
文哉:放送部。千秋の事故について仮説を立てる。
良太:放送部。悦子の元カレ。
大場:放送部の顧問。

②感想

 たしか田中芳樹先生が言ってたと思うけど、日本の編集者って「冒頭に出てくる人数は多くても三人程度に絞れ。たくさんキャラクターを出すと読者が覚えきれずに混乱する」と指導するらしい。たしかにそうかも。この作品は特に綽名が二パターンあったりしたから余計に混乱した。ただ、すぐに慣れたのは主要人物といえるのが悦子、あずみ、静香、千秋の四人だったからだと思う。

 オチを知って読み返すとP69-70で悦子(に扮した千秋)が浩一の欠点を挙げつらねるシーンは、そのまま千秋の不満だったはずで、そう思うとクスっと笑える。ただ、静香との手紙では、静香が千秋にあまりいい印象を持っていなかったことをかなり赤裸々に書いていて、そう思うとちょっとゾッとする。

 手紙の終盤ではあずみと静香の二人とも事故への後悔と不信を告白するけど、千秋そのどちらにも優しく責任や事件性を否定している。これは千秋が真相を問いただしているというよりは、あずみと静香のわだかまりを間接的に解決してあげているって構図に近い。悦子になり切って書いている都合上、悦子の優しさに見えるけど、本当は千秋の優しさだったのだろう。

 同級生で同性同士というのもあるのかもしれないし、もしかしたら見当違いな感想かもしれないけど、ところどころ現在のステータスで間接的にマウントをとっているようにも見える。作中でもちょっと指摘されているけど、特に静香はそれが目立つ。あと同性同士の会話でいうと、P85の静香の文章みたいに相手を怒らせたら、まずは相手の怒りを肯定し素直に自分の間違いを認めてから自分の考えを書く、というのは生き方が上手いというか、もしかしたら井戸端会議的な感覚なのかな、と思ったりした。

 あとはやっぱり細かいネタがちりばめられているのが良かった。あずみへの最後の手紙で「よかったら、千秋にも招待状を送ってあげてください。喜ぶんじゃないかな」と書いているけど、たぶん千秋の本心だったのだろうし、悦子を名乗っていたのが事件の当事者だった千秋だった、というオチへの前振りとしてよくできていたと思う。最後の最後で、「実は伝承では声に出して願掛けすると願いは叶わなくなる」ことが明かされる。五年前の事件で、千秋は声に出して「浩一のお嫁さんになれますように」と願ったけど、声に出してはいけないことを千秋だけが覚えていたわけで、この時点で千秋は相当浩一と別れたかったのだということが読み取れる。高校時代、本当に浩一を好きだったのは誰か、なんてことを考えて読むと面白いかも。

 

  1. 二十年後の宿題

①登場人物

大場敦史:教員。放送部顧問。「十年後の卒業文集」の文中にも登場。
竹沢真智子:引退した教員。大場にかつての教え子たちと連絡を取るよう依頼する
河合真穂(黒田真穂):既婚。竹沢のことを尊敬している。
津田武之:証券会社勤務。 竹沢に感謝している。
根元沙織(宮崎沙織):既婚。二児の母。竹沢には不信感を抱いていた。
古岡辰弥:土木会社勤務。自罰感情が強い。
生田良隆:元いじめられっ子。竹沢に悪感情を持っていた。
藤井利恵(山野梨恵):看護師。竹沢に相談していることがある。

②感想

 収録作の中で一番意外な結末だった。他二作に比べて話し手の人数が多く、事件や人物への印象が二転三転し、矢継ぎ早にいろいろな情報が飛び出すのが印象的。そう考えると、収録作の中で最も長編向きというか、長編にもできただろうなあ、と思う。

 竹沢先生に対する印象は接触した人物順に「好意/感謝」→「不信」→「後悔」→「嫌悪」→「信頼」となっている。元生徒たちの立場や性格からするとかなり説得力がある。語り口や文体も同じで、特に良隆の手記はかなりそれっぽい。ああいうタイプは絶対に一人称は私でちょっと硬い文章を書くはず……と思えるリアリティがある。

 一作目に引き続き読み返すと印象がガラリと変わる。特に辰弥は良隆の手記でも変わるし、最後のオチを知ってからも印象が変わる。ガキ大将、口が悪いけど他人に気を使えるやつ、強引で嫌な奴、自罰感情が強く繊細だけど善性。中でも良隆の「強引で嫌な奴」って印象は彼の性格からいえばかなりリアル。辰弥との会話はオチを知ってから読み返すとかなり面白い。彼が何を確認し、大場に対してどんな感情を持っていたのかが、やや乱暴な言葉の裏に見え隠れする。

 物事とか人間の多面性ってこの連作短編集自体のテーマだと思うけど、それが最も色濃くでている作品だと思う。その反面、他二作(「一年後の通信網」は掌編なので除外)に比べてミステリ要素は低め。オチはどちらかというとおれが書きそうなくらいのハッピーエンドだけど、正直、事件の真相とはあまり関係がないような気もする。……と思ったけど、辰弥と利恵の自罰感情が問題の根本だったという意味では関係ないわけではないのか。

 竹沢は(多少の異論はあると思うけど)良き教師として描かれている。ただ定年まで勤めあげただけあってどこか頑固さ(P175-176の作文への意見、P180で良隆が指摘する教師の偏見)があるけど、それが却ってリアリティに繋がっている。彼女の夫は珍しく(?)非の打ち所がない善人だった。もちろん、描写の少なさも関係しているのだろう(多いと善人設定でもボロがでたりする)し、かなり周囲に毒づいていた良隆の手記で褒められていたから、というのもあるだろうけど。途中までは「男の子たちと遊びに行って水難事故にあったけど、夫は小児性愛者で手を出そうとして抵抗されて起きた事故なんじゃ……」と気が気ではなかった。杞憂に終わって本当に良かった。

 ただひとつちょっと気になるのが、最後の最後にどんでん返し(元教え子に会ってきてほしいというのは方便で、実は利恵の望みをかなえるためだった)はちょっと不誠実な気がする。もしくは理由付けがちょっと弱いような。倫理にもとるとはいわないけど、大場の責任感の強さを利用している感があるのが気になる。まあ、終わり良ければすべて良しかなあ。

 

  1. 十五年後の補習

①登場人物

岡野万里子:純一の恋人。事件当日の記憶がない。
永田純一:教師。国際ボランティア隊としてP国に派遣されている。
一樹:純一と幼馴染。柔道で県の強化選手になるほどの実力者。
康孝:純一と幼馴染。華奢で本ばかり読んでいる。
――――――――――――――――――――――――――
由美:万里子の友人。恋人から暴力を受けている。

②感想

 一作目と二作目に比べて読み直してもそれほど印象は変わらない。

 漫画家では浦沢直樹先生がよく使うけど、記憶喪失は面白い物語の基本っていうことが再確認できた。情報を小出しにしてわくわくさせられるし記憶を回復させればそれまでの前提をひっくり返してオチを作ることができる。事件の真相は、単純な放火と自殺→煙草による失火→純一が全ての黒幕→一樹を殺したのは万里子、康孝を追い詰めたのは純一、と移り変わっていく。

 一樹が物理的に暴力をふるって康孝をいじめていたのは事実だけど、康孝は人に見えないところで一樹を侮辱し精神的な暴力をふるっていた。善悪が単純ではなくて、いじめも一方的とは言えない。物理的な暴力は目に見えやすく、精神的な暴力は目に見えにくい。それに二人の身体能力や学校での立場の違いが(知らなかったとはいえ)万里子や取り巻きの女子たちに偏見を生んでいたことを考えると、彼女たちが正義とも言い切れない。物事や人の多面性というテーマが強く出ていると思う。生き方や暴力について万里子も純一も、彼らなりに信念があるのも印象的。

 証言によって人物や事件への印象が変わるのは他の作品と同じだけど、読み返しても大きな発見はなかった。理由は他二作にはあった意味深な台詞やオチへの前振りが薄いからだろうけど、逆にミステリ要素は他の二作よりずっと強い。なんだか矛盾してみえるけど……。

 P283の「小説は何度も繰り返し読むと新しい発見があるし登場人物のイメージも変わってくる」というのはこの連作短編集のテーマなんだろう。

 ただ、最後の時効の話はどうだろう。純一が罪に問われるなら放火で、あとは康孝への仕打ちから自殺教唆にあたるのかな。他二作に比べて、どこか薄暗く感じるのは、事故ではなく確実に事件で死人がでているのが理由なんだと思う。自己憐憫というと言いすぎだけど、ちょっとモヤモヤする。

 

  1. 一年後の連絡網

①登場人物

近藤亮介:国際ボランティア隊でT国に赴任。
三浦雅晴:国際ボランティア隊でP国に赴任。
梨恵:国際ボランティア隊でT国に赴任。看護師。「二十年後の宿題」に登場。
純一:国際ボランティア隊でP国に赴任。教師。「十五年後の補習」に登場。

②感想

 7P程度のショートショート。一通目の亮介から手紙で二作目に登場した梨恵が国際ボランティア隊でT国に赴任していることが明かされ、二通目の雅晴からの返信で、三作目に登場した万里子が恋人の純一に会いに行っていたことが明かされる。三作目のフォロー(読みようによっては最後のシーンが本当に幻覚に見えるから?)と、二作目と三作目を繋げて、連作全体が同じ世界で起きたことを強調している。文庫版から追加されたらしくて、ハードカバーからの読者へのサービスに近い。

 

 

《全体の感想》

 書簡形式のミステリで期待されることって「藪の中」的な証言の食い違いや、代筆偽作みたいなトリックだと思うけど、その期待に応えられる連作短編集だと思う。ある人の違う一面、物事の違う一面=表面的な付き合いでは分からない一面、もしくは自分でも気づいてなかった別の性質とも言い換えられる。

 イヤミスの女王っていうのが湊かなえ先生の世間一般のイメージだろうし、おれも、『告白』くらいしか読んでなかったからかなり警戒して読み始めたけど、あの後味の悪さや底意地の悪さはかなり薄く、かなり穏当でそれほどドロドロしてもいなかった。同文庫から出ている『山女日記』も「新しい景色が背中を押してくれる連作長篇」と紹介されているから、知らないだけでそういう作風に方向転換したのかもしれない。

 どの短編も最後の一通に意味を持たせているのが良かった。全体のテーマは人間や事件の多面性だけど、「あの日の事件」の性質や役割が三作三様で面白い。それぞれ一作目は「事故はただの事故で、本当に知りたかったのは真相ではなく、当事者二人の感情」二作目は「事故は単純な美談ではなく大人たちの思惑が絡み合っていて、登場人物の重荷になっていた」三作目は「事件の真相はより残酷なものだったけど、明らかになった真相が登場物の心を軽くした」特に二作目と三作目が好対照だと思う。

 三作しかないしどれも面白かったから、ベストを選ぶのは難しいけど、やっぱり「二十年後の宿題」かな。やっぱりこのくらいのハッピーエンドのほうが好き。