電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

フィリップ・K・ディック『人間以前』[ファンタジーと子供たち。そして最良と最悪の発露]

「地図にない町」(The Commuter)翻訳:大森望

 現実崩壊。とてもシンプルな作品で、ほかの同系列の作品と違って緊迫感には欠けるけど、あちらが主観的な恐怖ならこちらは徐々に現実を侵食されていくことへの客観的な恐怖を味わうことができる。過去改変による現実への波及を一般人の視点から描いた作品とも読める。どこか山野浩一「消えた街」「メシメリ街道」を思い出すけど、時系列でいえば逆になるのか。ちなみに、さっき機械翻訳にかけて知ったけど原題は「通勤者」という意味らしい。

 

「妖精の王」(The King of the Elves)翻訳:浅倉久志

 こちらもオーソドックスな作品。ただ、このタイプの作品の主人公が老齢というのは珍しいんじゃないかな。ディックの作品メモによると最初はバッドエンドにするつもりだったらしいけど、たぶんフィニアスは本当に……ということだったんだろうなあ。どちらかというとそっちのほうがディックっぽかった気はする。あと、どうでもいいけどelfの複数形ってelvesってことをこの小説の原題から知った。fはいったいどこへ……。

 
「この卑しい地上に」(Upon the Dull Earth)翻訳:浅倉久志

 偽物と現実崩壊。ディックの隠れた名作。ふとした拍子に世界が崩れてしまう恐怖を不条理小説的に描いていて、SF的な処理はほとんど存在しないけど(ディックにしては、という但し書きがつくけど)ものすごく理性的に作られた完成度高い小説という印象。発端と結末の理屈をあまり具体的に説明していないのが良い方向に作用しているのかも。P104から始まる崩壊、逃避、そして訪れる終焉は絶品。一つの不正行為がすべてをバグらせてしまい取り返しがつかなくなってしまう絶望感は普遍性があると思うからぜひとも若い読者に勧めてみたい。できればこういう作品を単発のドラマで観てみたかったなあ。

 

「欠陥ビーバー」(Cadbury,the Beaver Who Lacked)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊(?)。わからないけどなんかすき。ファンタジーの皮を被った普通小説の皮を被った不条理小説……かもしれない。寓話的な物語からシームレスに世界観が崩れていく絶妙な構成がたまらない。文体も落ち着いていて読みやすく会話文も抑制が効いていて品性がある。抑鬱的な男、ヒステリックな妻、物知り顔な精神分析医、そして家庭の外側の女たち、とオールスターでディックの自己分析っぽいところは筒井康隆脱走と追跡のサンバ』を思い出す。

 

「不法侵入者」(The Cosmic Poachers)翻訳:大森望

 単純明快。解説にもある通り、ちょっとSFに触れたことがある人だったら(もしかしたらそうでもない人でさえ)すぐにオチを察することができる。ディックの薄暗い文体を貫通する気楽さは唯一無二かもしれない。ラストのどこかすっとぼけた感じが星新一味を感じさせて(ある意味では)面白い。もちろん特に出来が悪いわけでもないので読んでもそんなに損はしない。

 

「宇宙の死者」(What the Dead Men Say)翻訳:浅倉久志

 上位存在(?)。中編寄りの短編作品。病的な女性(少女?)と抑鬱的な男性というディックによくある組み合わせ。設定の面白さはもちろんのこと、クルクルと動き回る展開はそれなりに楽しく読める。面白かったけど、その終わり方はちょっと中途半端じゃないかなあ。まあオチはちゃんとついているからあれで十分といえば十分なんだけど……。ただ、主人公はとてもじゃないけど好感の持てるキャラクターではなくて、そこに引っかかる人もいると思う。あとディックの描く女性にしてはかなりまともそうだったセーラ=ベルが物語からフェイドアウトしてるのはちょっともったいない。

 

「父さんもどき」(The Father-Thing)翻訳:大森望

 偽物。多くの子供たちが一度は体験する大人の二面性への恐怖心をホラーSFに昇華した作品。「宇宙の死者」と同じくスッと終わるけど、こちらはどこか子供たちの成長を感じられて清々しくさえある。SF的なギミックもチープではあるけどそれほどあからさまではない。実直で娯楽性の高い良作。

 

「新世代」(Progeny)翻訳:浅倉久志

 Twitterで似たようなことを主張している人がいたなあ。エドもジャネットも、どちらも広く存在するのだろう。徹頭徹尾無関心というか冷淡というか、本人はごく真剣に提案しているのにまったく取り合ってもらえない様子は物悲しいけど、まあエドの提案も子供からしたらねえ……。思わせぶりなラストシーンは非人間的な存在に対するディックのスタンスがよく表れている。

 

「ナニー」(Nanny)翻訳:浅倉久志

 ディックにしては珍しく直截な暴力が描写されている。保育者としてのロボットは割と定番の題材だけどディックが描くとこんなにも仄暗くなる。最初は飼い犬がモチーフなんじゃないかなと思ったけど流石にそういうわけではなさそう。商業主義への嫌悪感はあからさまだけど、無駄なもの≒生活に不要なものを買わされるのがダメというなら作家なんてその最たるものなわけで、なんだかなあと思わなくもない。もちろん、欲しいから買うのと購入を半ば強制されるのとでは意味が違うのはわかるけど……。

 

「フォスター、おまえはもう死んでいるぞ」(Foster,You're Dead)翻訳:若島正

 前作に続き商業主義的への嫌悪感が満ち溢れた作品。こういう同調圧力は日本の専売特許みたいな言われ方をしたりするけど、こういう作品を読んでいるとそういうわけでもなさそう。親の主張は間違っているわけではないけど、そのしわ寄せが子供に向かってしまうというのがとても哀しく感じるようになったのは加齢のせいかもしれない。フォスターの言動はあまりにも切実で、それだけに一時的な喜びと安堵の行動はもう少し引いた目から見れば喜劇的ですらあり、ラストの辛さを際立たせる。

 

「人間以前」(The Pre-Persons)翻訳:若島正

 ディックの全短編の中で最も賛否分かれるであろう作品。解説および本人による作品ノートにもある通り反中絶作品とも読める……というかそう読むのが正統でジョアンナ・ラスの怒りはごもっともと言わざるを得ない。けれど人間の定義に対するSF的な(≒性格の悪い/皮肉な)アイディアは魅力的で極めてディックらしいのも否定しようがない。詳しくは後段で書くけどディックの悪い所と良い所の両面が顕著に表れた作品でもある。ちなみに邦題は「まだ人間じゃない」のほうが好き。

 

「シビュラの目」(The Eye of the Sibyl)翻訳:浅倉久志

 一度読んでいたはずなのに、まったく内容を覚えてなかった数少ない作品の一つ。『ヴァリス』に連なる作品なのは間違いないけど、内容はなんというか……うーん……もちろん、そのわけのわからなさを楽しむことはできるけど、それは正統な読み方ではないよなあ。そもそもおれは『ヴァリス』を高く評価しないタイプのファンなわけで本作のメインターゲット層ではないから仕方ないのかもしれない。ただ、全体の雰囲気自体は嫌いじゃない。

 

 

――――――――

 解説の通りファンタジー系と子供関連の作品が多い短編集。ファンタジーはオーソドックスな作品からディックの特徴が出ている作品までそろっている。ディックの不条理小説的な側面が綺麗にまとまった「この卑しい地上に」から神学幻視的な方面に発露した「シビュラの目」と幅広い。子供に関する作品のうち「ナニー」と「フォスター、おまえはもう死んでいるぞ」はどちらも消費社会への嫌悪感が根底にあるけど、実は子供のおもちゃを買うのに心底うんざりした経験がベースになっていたりして……と思ったけど両作の発表年が1955年で第一子の誕生が1960年だから全く関係ない下衆の勘繰りでした。ちなみに両作品とも軍拡を暗喩した作品とも読める。

 ベストは「人間以前」……なんだけど、この作品を語るうえでどうしても避けられないので以下、嫌な話が入る。

 この作品に中絶反対のプロパガンダ小説としての一面があるのは否定しようがなくてジョアンナ・ラスの怒りは当然のこと、というのは作品個別の箇所で書いたけどそれ以上にこの小説には拙いところがある。善悪の属性付けにあからさまな偏りがあることだ。読んでもらえればわかるけど、作中で生後処理を推し進めようとするのは母親ばかりで反対するのは父親ばかりだ。ディックは明らかに自分と同じ属性(父親)を善、対立する存在として母親を悪として描いている。生後処理への態度ばかりではなくそもそもの人物描写にも顕著に表れていて、父親たちは思慮深く冷静なのに対して母親たちは冷淡で攻撃的だ*1。よく挙げられるディックの欠点の一つに「まともな女性を描けない」というのがあるけど、本作はその最たる例でもある。

 じゃあなんでそんなのをベストに挙げるのか、というと当然それを相応の良さがあるからだ。といっても単純な話で「人間以前」のメインアイディアがSF的なIFの発想で素晴らしいということ。本作は人間の定義をディックらしい視点で描いている。胎児がどの段階からヒトであるかは時代と地域によってさまざまだろうけど出生した赤子と胎児で扱いが違うのはある程度共通すると思う。出生によって人間になる*2ということはゼロ歳になった瞬間に人間になるということだ。デジタルで明確な区分だけど、ゼロ歳で人間になることに具体的な理由はない。そこで年齢ではなく知性……具体的には高等数学を理解できれば知性を持った人間と認める。人間ではない存在は殺害しても殺人とはならない。ヒトの定義を具体的数値で決定することを極端に推し進めるとこういう風にもなる。具体的な定義は素晴らしいものであるはずなのに推し進めていく不合理な事態が起きてしまう。星新一白い服の男」に通じるSF的な発想の豊さがある。

 そういう意味で「人間以前」はディックの美点と欠点が煮詰まった作品だ。そして人間性をテストによって判別するという点では『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の関連作ともいえる。

 

 以下、本作への感想とはちょっとズレる話。

 小説に限らず映画や漫画でも、たいていの作品には良いところと悪いところがあって、両面を勘案して評価を下すわけだけど、各種レビューサイトやブログ等を見ていると悪いところをピックアップしすぎているような気がする。もっと部分評価すべきなんじゃないかなと思う。「ダメなところもあるけどこういう良いところもあるよなあ」という風に。これはディック特有のことではない。あえて反対側の立場の人を挙げるけどコニー・ウィリス「わが愛しき娘たちよ」はかなりわかりやすく男を悪玉、女を善玉にしていて不公平の度合いで言えば本作とあまり変わらない*3けど、サスペンス的な部分があまりにも素晴らしいからこそ名作に数えられているのだと思う。ほかの名作諸作品だって大なり小なりそういうところがある。そういう欠陥に焦点を当てすぎるとたいていの作品は見るに堪えないものになるだろう。

 もちろん、ある一点がどうしても受け付けないから駄作と断言するのも間違いではない。一滴の汚水が混入したワインはもうワインではないというのも正しい。けれど、もう少し個別評価をしてみたって良いんじゃないかな、と辛辣な言葉が並ぶレビューサイト等を見ていると考えてしまう。

 

 

※作品の発表時期や邦題などは「site KIPPLE」を、一部感想などは「Silverboy Club」参考にした。

収録作一覧

「地図にない町」
「妖精の王」
「この卑しい地上に」
「欠陥ビーバー」
「不法侵入者」
「宇宙の死者」
「父さんもどき」
「新世代」
「ナニー」
「フォスター、おまえはもう死んでいるぞ」
「人間以前」
「シビュラの目」

 

 

*1:一応断っておくと男と女ではない。あくまで父親と母親。

*2:ちょっと関係ないけど日本の民法では相続の兼合いで出生した瞬間に遡って「胎児のときにも権利能力を有していた」ことになるらしい。

*3:……はちょっと言い過ぎだけど不公平ではある。