電羊倉庫

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ポルノグラフィティ「ネオメロドラマティック」という寄り添い方

 うおおイントロ最高!テンション上がるぜ!ライブで盛り上がる最高の一曲!!歌詞も小気味よくてスッと頭に入ってくる。歌詞は……歌詞……うん?……「ボイルした時計」の……「皮をむく」?……んん?……えっ、なに?どういうこと?時計に皮はないだろ……。

 まるでシュールレアリスムの絵画のような情景が聴き手の心を捩じ上げる名曲「ネオメロドラマティック」は、作詞した当の本人である新藤晴一さん*1が「自分でもあまり意味がわからない」という趣旨のことを言っていた(書いていた?)*2くらいの代物で、難解というかハッキリと意味を撮りにくいことで知られている。ここでもちょっと書いたけどそもそも意味の解釈をすること自体が野暮かもしれない。けれど、まあ、考えがまとまったので書いてみた。

 結論から先に書くと「ネオメロドラマティック」は「異端であることを矯正しないで寄り添う優しさ」の歌詞だ。

君はボイルした 時計の皮むきに
ただ夢中になっている

君は砕かれ コンクリートになった
岩のために祈った

 どちらもシュールというか写実的な描写ではない。もちろん解釈にも諸説あって通説はみられない。「時計の皮むき」の方はニュートンのエピソードが元ネタだという説もあるけれど真偽のほどは不明。ただ一つたしかなのは、どちらも無意味な行為であるということだ。茹で上がった時計の皮(?)を剝き上げても壊れた時計が手に入るだけで何も起きない*3し、灼熱に晒され塗り固められるという残虐な仕打ちを受けても、生命体ではない岩に祈りを捧げても岩は救われたりしない。まるで無意味なことに夢中になり、そして真剣になる。無意味なことに夢中になることからは「無垢」を、無意味な祈りをささげることからは「純真」の印象を受ける。けれど、それは理知的とはいえない。この広い世界では「無垢」や「純真」は「愚か」の類義語でもある。そして、そんな〈君〉はその性質ゆえに都合よく利用されているらしいことも読み取れる。

君の「愛して」が 僕に「助けて」と
確かに聞こえた

 この曲の歌詞に優しさがあるのは誰でも理解できると思う。〈行こうか逃げようか 君が望むままに〉〈最後まで付きあおう~ここには僕らしかいないみたい〉と寄り添う優しさがある。全体を通して〈君〉は泣きそうであったり助けを求めていたりと強く前向きに生きているとは言い難い。そんな〈君〉に寄り添う優しさがある。特異な描写に気を取られがちだけど、こういうところはかなりわかりやすい。

 けれど「助けてあげる」や「守ってあげる」とは言わない。「逃げろ」とも「立ち向かえ」とも言わない。それは〈君〉が決めることだ。そして〈君〉が〈行こうか逃げようか〉どんな道へ進もうとも〈最後まで付き合おう僕が果てるまで〉と決意する。とても献身的で、そして強い優しさでもある。

 まとめると「ネオメロドラマティック」は、はたから見れば見当はずれなことをしてしまうような、どこかズレた優しさを持つ(おそらくは)他人からいいように使われてしまうような人を、正常とか常識とかそういう方向へ矯正するのではなく、ただ寄り添い支えることを決意した強い優しさの歌詞*4だ。使用された絵の具があまりに違いすぎるだけで、本質的には「ブレス」に近いんじゃないかなと思う。

 

 

 ちなみに20周年記念東京ドーム公演の音源もある。

 スペシャルゲストのFIRE HORNSが加わったパワフルな演奏は至高の一言。軽い憂鬱なら一撃で消し飛ばしてくれる。単品から購入できるので興味がある人はぜひ聴いてほしい。

*1:以下敬称略。

*2:情報源が思い出せない。間違っていたら申し訳ない。

*3:一応未成年の読者も想定しているから詳しくは書かないけど見返りのない性的な行為の暗喩、という説をかなり昔に見たことがある。どちらにしてもリターンのない無意味な行為に夢中になっている。

*4:そしてそんな優しさが上手くいかなくて最悪の結末を迎えてしまったのが「メビウス」で、ほかアーティストを挙げるならYOASOBI「夜に駆ける」なのだと思う。