電羊倉庫

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諡号と追号と名前の不思議

 えっ、明治天皇康熙帝って諡号じゃなかったの!?

 ……と、つい先日、大学での専攻が歴史学だったとは思えない無知で生き恥を晒してしまった。明治天皇康熙帝の「明治」と「康熙」はどちらも年号からとられているのだけど、前者は追号諡号と違って評価を含まない)、後者は追号ですらなく後世の人々がそう呼んでいるだけらしい。

 そもそも諡号とは何かというと、死後にその功績や生前の行いを評価して与えられる称号のようなもので、上は皇帝から下は将軍/官僚クラスまで与えられる。三国志で実例を挙げるなら、曹操武帝劉備は昭烈帝、孫権は大帝とそれぞれ送られている。皇帝以外なら関羽なんかが面白くて死後に蜀からは壮繆侯の諡を送られたけど、忠誠心の面から為政者に人気が高く後世の歴代皇帝から諡号を追加されまくっている。光緒帝は「忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖翊賛宣徳関聖大帝」と冗談みたいに長い諡号を送っている*1三国志以外なら、後漢の呉漢のエピソード(武候ではなく忠候を送られた)がとても趣深いけど、流石に長くなるから詳しくは書かない。

 中国での諡号についての専門家の概説を読みたくて書籍や論文を検索してみたけどイマイチそれらしいものが見つからない。日本の天皇についての研究や中国語の研究本はそれなりにヒットするんだけど、中国についてまとめた日本語の本は見つからなくて、辛うじて2015年にASNET共催セミナーでエゴール・グレーブネフさんが「古代中国「諡法」の起源―史書から礼書への発展」という発表をしている*2こと、滝野邦雄さんが明清朝諡号について論文を書いている*3こと、三上英司さんが諡号の総合的な研究をしていること*4はわかった。ちなみにYouTubeならいちペディア【三原一太の歴史チャンネル】さんの動画が簡潔に纏まっていて良いと思う。ただこの動画で一点だけ劉邦の説明だけはやや間違っている*5

 纏まった研究本は見つからなかったけど、諡号を解説している史料『逸周書』「諡法解」の存在を知った。原文は中國哲學書電子化計劃ですべて閲覧することができる*6。当然、漢文なんだけど、親切にも句読点は打ってくれているしガチガチの歴史書でもなくて簡単な定型文でできているから辞書があれば読める代物ではある。いまのところ現代日本語の全訳はないみたいだけど、カクヨム波間丿乀斎《なみまへつぽつさい》『崔浩先生の「魏晋南北雑学」講座』の「「諡」講座」がメチャクチャわかりやすい。正しいかはちょっとチェックしていないけどパッと見た感じ変なことは書いてないと思う。

 この諡号っていつから始まったんだろうと思ったけど、これも『逸周書』「諡法解」の冒頭に書いてある。

維三月既生魄。周公旦,大師望相嗣王發。既賦憲受臚于牧之野。將葬。乃制作諡。諡者。行之跡也。號者。功之表也。車服者。位之章也。是以大行受大名。細行受細名。行出於己。名生於人。

 ここの翻訳は上記のサイトにもなかったので自分でやってみた。たぶんこんな感じ。

  • 維れ三月既に生魄。周公旦、大師 嗣王發を相くを望む。既に憲を賦け牧之野より臚を受く。将に葬らんとす。乃ち諡を製作す。諡は。行いの跡なり。號は。功の表れなり。車服は。位の章なり。是れ大行を以て大名を受ける。細行は細名を受ける。行は己に出る。名は人に生ずる。
  • 三月中旬。周公旦は大師に就き王位を継いだ発(姫発:のちの周武王)を補佐することを望んだ。既に規律を(民に)授けており牧野から(勝利の)報告を受け、(帝辛を)葬ろうとした際に、諡を制定した。諡とは行為の形跡である。號とは功績の表れである。車服とは地位の証である。そこで大きな行いをすれば崇高な呼称を授かり、小さな行いでは野暮な呼称を授かる。行為は自分自身が決めて、名称(諡)は他人が決定する。

 

 漢文を真面目に訳するの久しぶりだから間違っていたらごめんなさい。特に前半部分は自信がなくて、大師の箇所はふつうに「大軍」もしくは別人の官名かもしれない。嗣王發を「王位を継いだ発」と解釈したけど、この時点では王ではなくね? 牧之野って牧野だと思うんだけど……と疑問は尽きないしマジで自信がない。間違っていたら遠慮なくぶん殴ってください。メチャクチャで頓珍漢な訳かもしれないけど、少なくとも周公旦が活躍していた周王朝の黎明期に諡号という概念が成立したっぽい。それ以降、始皇帝による中断を挟みつつ連綿と受け継がれてきた文化ということになる。

 これ以降の「諡法解」にはそれぞれの諡や號に用いられる文字の解説が並べられている。「文」とか「武」とか「煬」とか「殤」とか「霊」とか。その一覧はWikipediaに纏められているけど、中國哲學書電子化計劃にのっている原文と一致してないものがある。原文にある「魏」がWikipediaの一覧にはないのはどういうことなの? というかそもそも「諡法解」に美諡、平諡、悪諡の区別はない。この区別って現代人が勝手に作ったのか、それとも別の出典(蘇洵『諡法』とか明朝清朝の史料とか?)があるのか?  わからない。全然わからない。

 ちょっと調べただけで山ほど疑問がでてきた。つまり基礎知識が足りていないというわけで、本当、概説書が欲しい。中国語ができないから日本語のやつが欲しい。けど、まあ、とりあえずは「諡法解」を自分なりにボチボチ訳してみようと思っている。

 

 で、諡号のことを調べていて思い出したんだけど、中国には避諱という習慣があった。端的に言うと偉い人の名前は神聖だからみだりに口にしてはいけないし書いてもいけない、という風習。もし口にしたり書いたりしたら(たぶん)ブチ殺される。それが分かっているから皇帝に即位する前に改名することもある。有名なのが後漢の二代目(明帝)で、劉陽という名前なんだけど、この陽という文字は「川の北側」とかそういう意味があって「洛陽」に代表される川沿いの地名に使われまくっている。陽という名前のまま皇帝になったら地名を改めて公文書もすべて書き換え……という地獄の処理作業を回避するため*7に即位前に荘に改名している。ほかにも劉秀(後漢光武帝)が皇帝になったから「秀才」が「茂才」に置き換わったり*8している。

 で、やっぱり疑問。この風習っていつから始まったの? 有名なので一番古いのが劉邦のエピソード(邦→国)なんだけど、それ以前にもあったよね? ……と思っていたらyahoo!知恵袋で回答してくれている人がいた。へえ、そうなんだ。すげえ勉強になる。もちろんこれが正しいかは史料を読んで裏どりしないといけないんだけど。

 おれは中国史以外は全然わからないんだけど、アジア圏以外の国にこういう習慣はないような気がする。というか平気で名前を被らせるイメージがある。漫画になるけど岩明均ヒストリエ』でかなり近しい身内でアレクサンドロスという名前が被っていることやペルディッカスの改名のエピソードを知ったけど、あまり名前にこだわっている感じがしない。ヨーロッパも王侯貴族でも簡単な名前を付けている印象がある。欠地王で有名なジョンとか太陽王で有名なルイとか。名前にある種の神聖さをもたせるのは漢字の文化圏特有の現象のような気がするけど、どうなんだろう。

 こうやってちょっと考えてみるだけでも知らないことが山ほどあると思い知らされる。知りたい。生活の役には立たないけど理解したい。調べてみても脳みその出来の都合で結局わからないまま終わることの方が多いかもしれないけど、知らないことがこんなにあるのかと思うと、なんだか嬉しくなる。向学心のかけらもないくせに好奇心はあるからかもしれない。なんの自慢にもならないけど。

*1:ただ、この辺は唐代くらいから皇帝への諡号を盛りに盛る慣習があったから関羽特有の事情とも言い難い。まあ、それにしても……とは思うけど。

*2:

https://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/archives/asnet/studies/seminar/1401.html

*3:

https://researchmap.jp/takino

*4:

https://cir.nii.ac.jp/crid/1040282257409582976

*5:高祖を廟号と勘違いしているけど、劉邦の廟号は動画中にも出ている太諡号皇帝。廟号と諡号を合わせて高祖と後世の人々が呼んでいるということだったはず。(追記:やっぱりこの説明は間違っているかも。ちょっとよくわからなくなってきた。)

*6:

https://ctext.org/lost-book-of-zhou/shi-fa/zh

*7:聞いているかな王莽くん?

*8:つまり秀と茂はほとんど意味が同じ