ディックのSF処女長編*1。初期作なだけあってかなり真面目な作品で全体の雰囲気も比較的明るい。後年の作品と違って主人公は希死念慮的なものを抱いていないけれど、目の前で進行しつつある事態や社会構造自体に絶望しているのはディックらしい。
くじ引きで権力者が選ばれるというユーモラスで不条理的な世界観、コンピューターが支配する緩やかなディストピア、テレパスによる監視、なんかはまさにディックのB級SFの世界だ。『ハヤカワ文庫SF総解説』では「ディックは第一作目からしてディックそのものだった」(P83)と評されているけど、そういう意味では確かにディックはディックだったといえる。けど、中期から晩年の作品と比較すると明らかに異質というか、倫理的な方向(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』「小さな黒い箱」)や神学的な迷宮(『ヴァリス』『聖なる侵入』)、現実崩壊的な感覚(『ユービック』「父祖の信仰」)が見られないという点では、良い意味でも悪い意味でも、ディックは初めからディックだったわけではない、という気がする。むしろ本作は若書きの気楽さで書き上げた純粋な娯楽作品で、これがもっとヒットしてこういう方向に勧めていたほうがディックは幸せだったんじゃないか、という気すらする。実際、本作から著者としてのディックの苦悩や倦怠感なんかは感じられない。
宇宙を股にかけて二大勢力が争う設定はワイドスクリーンバロック的で、その辺を含めて全体的にかなりヴォークトっぽいところがあるけれど、二大勢力の対立の中で無力な一般人がそれでも事態を打破しようとするのはヴォークトと大きく違ったところで後のディック作品にも連なる色合いだ。ヒーローっぽい動きはするけど心身ともにヒーロー的ではないというか、そんな感じがする。冒険アクションだけど爽快感はそんなに高くはない。そういう意味ではとてもディックらしい。
アクションSFとしてはけっこう楽しい作品で、遠隔操作で複数人の意識を切り替えて行動できるアンドロイドは、視覚ではなくテレパス的な意識で他人を識別しているテレパスを白昼堂々とだますことができる、というアイディアは純粋に楽しい。というか、べスターの作品で採用されていてもおかしくないとすら思う。
物語の軸としてレオン・カートライトVSリース・べリックの対決があって、それと並行してカートライトが主導した宇宙探索が語られる。この宇宙探索のパートがあまり物語全体に寄与していないというか、もっと二人の対立構造やもしかしたらこの世界の成り立ち自体に立ち入った重要な設定が明かされるためのパートと思っていたからちょっと期待外れなところはあった。
わりと読みやすくて面白いけど難点もあって、序盤からかなり登場人物が多い上に人間関係がやや入れ替わることもあって混乱してしまう。特に重要人物であるペリッグとベリックが日本語として紛らわしいのが困りもの。ものすごく目が滑る。英語では紛らわしくないのだろうけど、翻訳ではもうちょっとどうにかできないのかなあ、と英語が読めない立場からはそう思ってしまう。
……なんだかディックらしいか否かに固執しすぎている気もするけど、本作の価値はどうしても「フィリップ・K・ディックの最初期の作品」という軸で語らざるを得ない。プラスの方向にもマイナスの方向にも図抜けたものではないのだから。
*1:但し、死後出版ではあるけれど『市に虎声あらん』が執筆順番では処女長篇にあたる。
