黎明(2000年、日本、監督:武谷統子、123分)
スペースコロニー型長距離星間飛行体キルクスを舞台にした長大でミクロな世界のSF作品。構成としてはキルクスの仁志と凛の会話→キルクス前史→仁志たちの時代→再び仁志と凛の会話という構成になっていて、真ん中の二パートは播種船の壮大な歴史や仁志たちの世代の人々の社会改革運動といった大きな視点で見たストーリーとなっているのに対して仁志の孫である凛の物語は極めてミクロな個人の生活に関する者に終始している。
大きな視点の喪失と半径三メートルの幸不幸、と評した文芸評論家がいたらしい。間違いではないと思うけど、そういうゼロ年代文芸評論的な文脈でみる作品ではないんじゃないかな。それに本作を(変種の、という但し書きを付けているとはいえ)セカイ系としているのは流石にちょっと……。
作り自体はやや散漫なところがある。尺に対して情報を詰め込みすぎてメインストーリーが分かりにくい。映像はハイレベル。邦画のSF作品のなかでは頭一つ抜けた出来だと思う。やや変わった設定をしているけど、SFとしてみるべきところはそのくらいかなあ。逆に言えばオーソドックスに出来ているわけで、SFに新規性を求めていないなら映像美だけでも充分鑑賞に値するはず。
《印象的なシーン》ソーダ味の飴玉を美味しそうに頬張る仁志。
ラヴ・レター(2014年、日本、監督:渡邉昌平、87分)
一貫して一人称視点で作られているのが薄気味悪い。古典的な「信頼できない語り手」の作品ではあるんだけど、どこか含みがあり、それがまた気持ちが悪い。ストーリーはオーソドックスなホラーなんだけど演出手法がかなり変わっていて、どこか含みを持たせてある。違和感が気色悪い。
……これってループしているんじゃないかな。いくらなんでも犯人の男の思い込みが激しすぎるし、それに被害者の女性の言動にも不自然なところがある。もっと強く拒絶してしかるべきはずのに、どこか哀しそうに男を見ているシーンがある。記憶の破損、という言葉が意味深に繰り返されているのもそういうことなんじゃないかな。……まあ、なんでもリープとかループとかそういう時間SFで解釈しようとするのはオタクの悪い癖か。
これを書いていて知ったんだけど本作には精神的(!?)続編が存在しているらしい。ネタバレを踏まない程度にざっと調べた感じホラーではなさそうだけど、一体どの辺が続編なんだろう。
《印象的なシーン》充血した眼。
和多田と多和田(2029年、日本、監督:田和太、95分)
変わり続けることを恐れない……それを賞賛することができるのは「変わり続けた末にバケモノになってしまった人」を知らないからだ。変貌は、それが適応や進歩のためであったとしても、時に人間を怪物に変えてしまう。
ガールミーツガール系の青春映画……と呼べるのは前半だけで後半は成長して変わってしまった二人のささやかな地獄が延々と垂れ流される。前半が苦しみや妬み嫉みを含みながらも相対的には爽やかな青春劇に終始していただけに落差がよけいに痛い。
ほとんど不意打ちに近い悪趣味な展開は公開当時相当批判されて、実際興行的には振るわなかったらしい。おれはサブスクで見たから(それに前評判をある程度把握していたから)そんなに嫌悪感はなかったけど、たしかに映画館でこれ体験したら怒ってたかもなあ……。
《印象的なシーン》チョコレートを分け合う二人。
蒼い雫(1997年、アメリカ、監督:アーサー・カーティ、96分)
涙の理由は問題ではない。重要なのはその涙がどこへと流れていくかだ。
刑事もののファンタジー映画、というやや変わり種の設定にハードボイルド要素が付け加えられていてカオスと化した作品。物語の筋自体は極めて深刻で登場人物たちも至極真剣なのに、世界観のファンシーさが笑いを誘ってくる。これって笑っていいのか? と思わず疑問に思ってしまうほど、本作は真面目な作品だ。
もちろん、製作陣は初めからコメディとして作っているらしいけど……いや、本当にどう書いていいか迷うんだけど「笑えるし泣けるし感動する」という感想で、笑えると泣けると感動するが並立しないのは初めての体験だった。笑える人は泣けないだろうし感動しない。逆もまた然り。
変な映画だった。たぶん人生で五本の指に入るほど。
《印象的なシーン》「雫をこちらに」
「純粋無垢」は「馬鹿」の言い間違いさ(2099年、日本、監督:真崎有智夫、3分)
社会派映画……ってことになるのかな。流石に全肯定はできないけどちょっと考えさせられるところがある。極めて偏った意見に引っかかるけど、そのあたりは尺の短さが救ってくれているところもある。
《印象的なシーン》「怒りは幅広く注目を集めることはできるが、それによって人を動かすことはできない」




