これでこのシリーズの既刊はすべて読破。構成は二作目とほとんど同じだけど、五章だけはキタサンブラック単体の小伝になっている。
一章ではカブラヤオーが印象的だった。菅原騎手がテスコガビーとカブラヤオーのどちらを選ぶか迷ったときに、茂木師が助言して他厩舎のテスコガビーに乗ったエピソードが好き。ちょっとおおげさなのかもしれないけど、むかしながらの男気という感じがしてカッコいい。カブラヤオーは前巻の四章にいても不思議ではないくらいの個性派で極端に他馬を恐れるカブラヤオーの性格を隠し通した、というのは字面以上に大変だったはずで、陣営の苦労がしのばれる。
二章はブエナビスタ。34回エリザベス女王杯が波乱だったのは知っていたけど、ブエナビスタがそんなに物凄いスピードで上がってきたとは知らなかった。ジャパンカップで復活して有馬記念で敗北して終わるところがちょっと父親っぽくて好き。この章は牝馬を取り扱っているけど容姿端麗な馬から見た目は貧相ながら牡馬に勝るとも劣らなかった馬、牡馬には勝てなかった馬と性別で区分してもバラエティ豊かで面白い。
三章はダイユウサク。めちゃくちゃ楽しそうに書かれた10ページ弱の文章の中にこれでもかとばかりに詰め込まれたエピソード群。伝説の有馬記念ののちは掲示板に乗ることもなく引退したことを含めてあまりに完璧に出来上がった物語は競馬の神様が微笑みながら手を加えたんじゃなかと思えるくらいだ。三章は「はじめに」にも書かれている通り、筆が乗っていてどの名馬の物語も明るくて楽しげだ。特にゴールドシップの「まだ猫を被っていたのかもしれない。」(P159)はちょっと笑ってしまった。
四章はサクラバクシンオー。ここまで名は体を表す馬も珍しいと思う。やっぱり全演植さんへの小島太騎手の想いが印象的。なんとなく「短距離に関しては最初から最後まで無敵だった」というイメージが先行しすぎてて順風満帆の競争生活だったと思い込んでたけど、デビュー前は脚の不安に悩まされ、そして晩成型でもう一年現役を続行していれば更に評価が上がっていた、と意外な記述も多かった。別の場所で耳にした「バクシンオー以降スプリント路線の整備が進んだ」という話もデュランダルとロードカナロアの戦績を見ると納得できるところがある。
五章はキタサンブラックの小伝。全四話で牧場での誕生から育成公社や優駿ステーブルでのトレーニング、そしてクラシックから古馬までのレースの概要が述べられている。50ページ弱と短編小説程度の分量でまとまっていて、周縁事情もキタサンブラックのレースの模様も過不足なく知ることができる。三話までは出だしが統一されているのも洒落ている。
周縁事情なら黒岩騎手が北島三郎さんに招かれて引退セレモニーに参加する場面、本馬のことなら多くの人に「初めて」をもたらし名馬としての第一歩となった菊花賞が印象的。無敵ではないけど素晴らしいとしかいいようのない戦績も絶妙な血統の物語も馬主が日本一の演歌歌手であるという周縁事情も、とてもドラマチックでリアルタイムで観ていたら相当楽しかっただろうなあ。
ちょっと本筋からズレるけどシュガーハートに付けた時点でバリバリに高い種牡馬だったのかと思ってたから、キタサンブラックの活躍でブラックタイドの種牡馬の価値が上昇したとは意外だった。なにせディープインパクトの弟ということしか知らなかったから……。有名な話らしいけどかなり安い馬だったのも知らなかった。
このシリーズを通して、日本で有名な馬はそれなりに知ることはできた。もし同じスタイルの本を買うなら評判が良さそうなアイドルホース列伝 1970–2021 (星海社 e-SHINSHO)かやや値が張るけど60YEARS 名馬伝説〈上〉―スーパーホースたちの栄光と遺産1994‐2014の当たりに手を出してみたい。もしくは「キタサンブラックをつくった男たち」のような一頭の馬を追いかけた伝記スタイルの読み物のほうが性に合っているような気がするからそちらにするかも。あとは名馬の物語ではなく、たとえばレース体系の変化や血統/調教/騎乗の理論の変遷といった日本競馬史をまとめた本があるのなら手に取ってみたい。
収録内容
《第一章 人とダービー馬の話》
ヒカルイマイ
カブラヤオー
ウイニングチケット
ネオユニヴァース
キングカメハメハ
《第二章 きれいな牝馬は、好きですか》
タマミ
シスタートウショウ
ヒシアマゾン
メジロドーベル
スティルインラヴ
ブエナビスタ
《第三章 この馬、予想不可能につき》
カブトシロー
ギャロップダイナ
ダイユウサク
ヒシミラクル
ゴールドシップ
《第四章 「最優秀短距離馬」という勲章》