電羊倉庫

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フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』〔なんだかよかった。好きかもしれない〕

 ディックの普通小説。SF/ファンタジー的な現象はまったく起きない主流文学小説で、事実上の処女作というべき作品らしい。正直、あんまり好みじゃないかなと思いながら読み進めていた。なにより肩ひじ張った文章にうんざりしていたけど、だいたい40ページくらいで(わりとだけど)やめてくれて助かった。二章終盤から三章にかけて風景描写が地に足のついた感じになっている。うんざりしたけど、これまでのディックの小説で感じたことがない文章の巧さというのものを感じることができた。解説に書かれている通り、凝った訳文はディックの若書きの自信にうまく対応しているのだろう。凝った部分はかなり凝っているけど、砕けた表現はちゃんと砕けている。

 面白い……かな。歴史やSF/ファンタジーを筆頭に最低でも何かしらの犯罪行為のような非日常的な出来事がほとんど起きない小説をあまり読まないで生きてきたから、感覚を上手く言語化できない。最初は文体で嫌気がさしたけど、それを乗り越えた(脳が慣れた?)ら楽しく読めて途中で引っかかることもなかった。一体どうするんだろう、どう落着するんだろう、というわくわくもそれなりにあり結末もそれなりに惹かれるものがある。ラストはディックにありがちな急展開の破綻っぽく見えるけど、ちゃんと紙幅をとって描写しているだけに展開として破綻しているわけではない。大きく減点されないけれど大きく加点もされない。白眉の秀作とはいえないけど、それなりに好きかなあとは思える。なんだかよかった。好きかもしれない。というのが現時点での正直な感想。

 シンプルな章題は主人公の精神状態の変遷を表していて、それは一日の時間の流れと、そして主人公に限らず男の一生そのものの流れでもある。宗教はそれなりに大きな要素となっているけど、決して主人公自体を救ってくれるものではなく、終着点となるわけでもない。およそ理性的とはいえないながら、まがりなりにも行動を起こしているのが特異的というのも解説の通り。

 ただ、こいつ息子のことあっさり諦めるよなあ。そこだけはさすがにひっかかった。息子を失い疲労困憊しつつもずっと抱いていいた夢である放浪を実現するという意味では「超能力世界」を思い出した。失ったはずの息子が戻ってくることは共通していているけど、願望充足の度合いは本作の方が控えめで、それだけにラストにはどうしようもない物悲しさがある。

 それにしてもこのシスコン、なんかすごいな。一人称に張り付いた描写が心酔している状態を効果的に描かれている。ちゃんと気持ち悪い。けど、姉を迎えに行くの最初は嫌がってなかったっけ?

 雑誌のレイシズムに落胆しつつP62での日本人嫌悪や随所で顔をのぞかせる黒人、ユダヤ人への偏見が妙にリアルというか、妻への攻撃的な態度と併せて主人公を憐憫から遠ざけている。

 家庭不和、マチズモ嫌悪のくせに妙に高圧的な男、新しい女、裏切り、失望、躁鬱的で気分が変わりやすく一貫性のない男……と良くも悪くもディック。宗教や人物配置を含めて本当、原点なんだなあ。

 最後にいくつか。P149からP160までベックハイムの演説が続く。いやあ、長いっすね。P156の「心に想い描いてみせよ。聖書時代の~」ここはたしかになるほど。P243「スチュアート・ハドリーは、二人の子を~」ここの現実に対する認識はディック作品の基底となっている気がする。P308-309の音楽描写、なんかドラッグでトリップしたみたいだ。P335からP336の流れ、なんか好き。P341のウィスキーの描写が印象的。P446ここのセリフ、良い。P554「ハドリーは穴に打ち込まれた~」は珍しく克明なゴア描写がある。

横断歩道上で彼女と車に対いあい、一瞬、彼は棒立ちになった。 顔面に暗く醜い緞帳が下りてくる。その自閉の硬い殻に、彼女はにわかに不安を覚えた。彼の瞳に翳がさし、遠ざかって、自我のない被膜に覆われてしまう。個人の意識下から忍びよる盲目の内面。まるで スチュアート・ハドリーが消尽し、何かおぞましいものが憑依ってきて、彼の眼窩を通して仮面の裏から、じっと彼女を窃視しているかのようだ。慄然として彼女は身を引いた。(P437)

 ここ純粋にテキストとして好き。

章題

「朝」
「昼」
「宵」
「夜」