活字で読む名馬たちの物語。一冊を通したコンセプトがあるわけではなく、どの名馬/名レースも同じ紙幅で描かれていることから、全体の感覚としては二作目に近い。また「はじめに」にある通り一章は『名馬を読む』というより『名伯楽と名手を読む』といった感じの内容になっている。簡潔で明瞭というシリーズの良さも十分に発揮されている。また章内である程度年代をばらけさせているのもバランスがとれていて良かった。知っていた馬、知らなかった馬、最近知った馬。
一章で印象的だったのはワンアンドオンリーVSイスラボニータ。前話のラストを受けて橋口師を中心とした語り口になっており、その人柄について述べつつ彼が定年直前に栄冠を手にし、そしてライバルのイスラボニータに騎乗して惜敗した蛯名騎手がダービーを勝たぬまま引退して調教師となり、最後の二行につながる。とても綺麗な構成で調教師と騎手の関係とその変遷を描いた文章のなかで一番好きかもしれない。
二章はエアグルーヴ。近年の名牝に慣れすぎていてエアグルーヴがいかに規格外の馬だったか失念しそうになるから、定期的にこの文章は読みかえしたい。レースぶりもさることながら容姿の描写も印象深く、繁殖成績についての伊藤師の(良い意味での)見立て違いが最後にさらりと述べられているのもお洒落。医学/調教技術が整った現代に生まれていたらどんな競走馬になっていたんだろうなあ……と思わずにはいられない。
三章はタップダンスシチー。微笑ましくも胸が熱くなる。主戦騎手がこんなに率直に「乗りたくなかった」と言えるのも、佐藤騎手の人柄とタップダンスシチーの個性、そして両者をとりまく人間関係が良好だったからこそなのだと思う。全体を通した「漫才コンビのような関係性」に例える表現がすごく良い。才能はあるけど人間性にやや問題があるボケ担当とそれを上手く御しながら決してなれ合いはしないツッコミ担当。古き良き男の友情、でもある。
四章はヴァーミリアン。挫折、状況、怪我、と数多のアクシデントに見舞われ、決して平坦とはいえない競走生涯はGⅠを九勝もした名馬にしてはあまりに泥臭くて、だからこそ魅力的だった。六歳で最盛期を迎えGⅠを二勝もしているのに、どうしてもドバイワールドカップでの敗戦やカネヒキリに先着できなかったことのほうが頭に残ってしまう。実力はたしかなのに思うようにいかず、どこか華に欠ける印象すらある。そこに妙なリアリティ(??)があって、どこか歴史上の人物……一見敗戦が多いように思えるけれど冷静に見てみると名将以外の何者でもない、という人物に重なる。
五章はアーモンドアイ。もう、なによりこのジャパンカップは本書で唯一リアルタイムで観ていたレースで、もうキセキの大逃げやラストの混戦を含めて面白すぎていまでもたまに思い出したかのように観返したりしている。個人的にコントレイルを応援していたから残念ではあったけど、もうあれは仕方ないと思えるくらい強かった。繁殖成績、どうなるんだろう。夢が膨らむなあ。
最後のいくつか細かいところを。P97にエアグルーヴ秋華賞の敗因として有名なパドックでのフラッシュについて若干の疑問が投げかけられている。よく耳にする話だし理屈としても正しそうだったから通説として疑わなかったんだけど、実際は(というか理論的には)どうなんだろう。まあ、敗因が単一のものであることのほうが珍しいのだから原因の一つだったかも、くらいの認識で良いのかもしれない。P137で花田清輝「勝った者がみな貰う」という評論があったけど、これが法月綸太郎「負けた馬がみな貰う」の元ネタ*1だと思うんだけど、どうなんだろう。P173でエイシンヒカリが芦毛相手の種付けを嫌がると書かれているけど、そんな視覚的な好みもありえるのか……とちょっとびっくりした。ヴァーミリアンを優先したから個別では書かなかったけどマルシュロレーヌの記事もいいなあ。チームプレイとしての競馬がこれ以上ないほど魅力的に描かれている。
収録内容
《第一章 ダービー 勝った馬、負けた一番人気》
「キーストンVSダイコーター」
「カツトップエースVSサンエイソロン」
「アイネスフウジンVSメジロライアン」
「フサイチコンコルドVSダンスインザダーク」
「ワンアンドオンリーVSイスラボニータ」
「ロジャーバローズVSサートゥルナーリア」
《第二章 年度代表馬の栄光》
「キタノカチドキ」
「サクラローレル&マヤノトップガン」
「エアグルーヴ」
「ゼンノロブロイ」
「アドマイヤムーン」
「モーリス」
《第三章 ぶっちぎりの快感》
「ダイナナホウシュウ」
「テスコガビー」
「サッカーボーイ」
「タップダンスシチー」
「エイシンヒカリ」
《第四章 砂の王者は世界を目指す》
「ライブリマウント」
「アグネスデジタル」
「ヴァーミリアン」
「トラセンド」
「マルシュロレーヌ」
《第五章 ジャパンカップ・メモリーズ》
「メアジードーツ」
「ハーフアイスト」
「シングスピール」
「スクリーンヒーロー」
「アーモンドアイ」