電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

最近見た存在しない映画(2022年5月)

李陵(2015年、台湾、監督:盧三造、115分)

 日本で李陵といえば中島敦「李陵」が最も有名だろうけど、この映画は中島敦の小説は一切関係がない。というか、原題は「司馬太史令」で、メインは司馬遷のほうなんだけど、どういうわけか李陵が訳出されている。まあ、物語の冒頭と終わり際でそれなりに重要な役割を担うから詐欺とまではいわないけど……。

 ただし、中島敦の小説とは無関係だけど人物像はかなり重なるところがあって、特に邦題にもなっている李陵と蘇武の二人は製作陣が小説を参考にしてたんじゃないかと思えるくらいだった。邦題をわざわざ李陵にしたのはその辺を考慮してのことかな*1

 対して司馬遷中島敦版とはかなり異なっている。禍前はいかにも文人然としていて、言葉で人を殴るくせに物理的暴力にはすこぶる弱い、とても悪い意味でおれたちみたいな人物だけど、禍後は中島版に近い気骨のある人物に変貌する。この辺はいろいろ賛否あるみたいだけど(史実の司馬遷についても、武帝への恨みを執筆の情熱へと昇華させたとか、禍後は権力を極度に恐れていたとかいろいろ言われているらしい)個人的には司馬遷の人物解釈の違いのおかげでより映画が楽しめたというところもある。ちょっと穿った見方かもしれないけど原題に太史令が使われているところからしても、司馬遷の本質はそっちだった、と解釈されているんじゃないかな。

《印象的なシーン》李陵を迎え入れる蘇武の表情。

 

 

従者の物語(2031年ギリシア、監督:ピーテル・カール・ジェンナーリ、89分)

 ハイファンタジーということばが正確かはわからないけど、難しい専門用語がふんだんに織り込まれ、儀式や魔術、神話についての前提知識をそれなりに求められる映画。ただ、基本的な物語の筋自体は簡単で、《従者》が魔法を三回唱えると、高位存在の《創聖王》が顕現し、《敵》と戦いながら、別の《術者》が二人で召喚秘儀を行うことで強大な《敵》と戦う……って感じかな。

 初見では登場人物の名前が分かりにくいこともあって、いまいちストーリーを把握できなかったけど、二回三回と繰り返し観ることで、少しずつ理解できるようになっていった。もちろん、初見でもちゃんと理解できるようにしておけよ、というも正しいとは思うけど、その分理解できるようになってからの愉しさには他の追随を許さないものがあった。

《印象的なシーン》「三度、術を唱えよ。私は顕れる」

 

 

アイアン・ドリーム/鉤十字の帝王(1956年、アメリカ、監督:N・リチャード・フィップル、78分)

 古典的なSF/ファンタジー作品を原作にしていて、この時代にしては映像のレベルも高く単純明快な娯楽作品としてはよくできている。ぜひ、子供と一緒に鑑賞したい作品ですね。

 実は、この映画が(というか原作の小説が)古典的なSF小説を暗に批判しているという評論もあるらしい。まあ、たしかに従来のシリーズからしても本作はちょっと展開に独善的な傾向が強すぎるとは思うし、周囲の持ち上げ方があまりにも露骨なのは事実。けど、それをもって旧来のSFに批判的だったというのは違う気がする。ただ、オチはいくらなんでもちょっと気持ち悪すぎる。製作当時は(ジンド帝国の元ネタである)大ソビエトが世界のほとんどを支配していたとはいえ、それはちょっと……。

 本編への評価とはちょっと離れるけど、本シリーズの大ファンとしては原作小説の作者A・ヒトラーが生きているうちにこの映画を完成させてほしかったと思う反面、晩年は精神的にあまり健康とはいえなかったみたいだから、もしかしたら自作の映画化を喜ばなかったかもしれない。ちなみに、原作者は若いころ政治的な活動も行っていたらしくて、もしそれが成功していたらこのシリーズは世に出ていなかったのかもしれない。そう考えると妙に感慨深いものがある。

 どういう世界になっていたのかなあ。

《印象的なシーン》終盤の自己複製と発射。

 

 

スケッチ(2024年、日本、監督:真崎有智夫、44分)

 なんでもない日常をオムニバス式に描いた映画。ほのぼのとした日常、瞬間的に浮かび上がるサスペンス、単純明快なスポーツなど、多彩な描写が特徴的。ちょっとゾッとするものもあるけど、全体的には刺激的な物語は少なく、よく言えば安心して観れるし、悪く言えば退屈でもある。

《印象的なシーン》雪が降りしきる庭ではしゃぐ息子。

 

 

*1:……と思ってたら、監督がインタビューで「中島の小説にインスピレーションを受けた」と言っていたらしい。原作とまではいかないけど、そう思うと邦題もそれほどおかしいものではないのかも。

最近見た映画(2022年5月)

曲がれ!スプーン(2009年、日本、監督:本広克行、106分)

 少し不思議なコメディ映画。物語が動き出すのがやや遅いし派手な結末もないけど、飽きることなく楽しく観ることができる、という不思議な映画。なんでだろうと思ったけど、たぶん会話のテンポ感だと思う。同製作陣同世界観の「サマータイムマシン・ブルース」でもそうだったけど、セリフ回しや仕草がちょっと舞台っぽくて、実写映画でそれをやられるとどうしても違和感が出てしまうのだけど、会話のテンポ感がそれを打ち消してくれる。

 細かい前振りも効いていて、特に終盤に明かされるマスター関連の情報は、中盤の細男との些細な会話がキチンと前振りとして機能しているところが素晴らしく、たぶんSF者のほうが喜ぶ仕掛けになっていると思う。

 個人的には妙にリアリティのあるテレビ局の描写がかなり良い味を出していると思う。一貫した優しい世界ではなくて、それなりに辛い現実の世界と穏やかなカフェの世界が対比的になっているけど、どちらも描写が極端ではないところがフィクション係数をうまく調節してくれて、ラストシーンに趣を添えてくれる。ただ、あの下りはちょっと長すぎてクドイかなあ、とは思った。

《印象的なシーン》最後の握手。

 

 

トップガン(1986年、アメリカ、監督:トニー・スコット、110分)

 続編が公開されるということで視聴。某所で「改めてみてみたら物語は単純だし、アクションシーンもそれなりだし、名作っていうほどかあ?」みたいな意見があって、単純なのは確かにそうだったと思う。というか「マッドマックス」とか「コマンドー」とか「ランボー」みたいなもので、アクション映画は単純明快なほうが観やすくていいんじゃないかな。そういう意味では間違いなく名作だったと思う。

 戦闘機のパイロットが主人公ということしか知らなくて、だからこんなに青春要素(恋愛や栄光と挫折)が強いとは思ってなくてちょっと面食らったけど、そういう範疇ではとてもよくまとまっていてオーソドックスに楽しめた。描写のある登場人物たちはみんな魅力的で、特にグースは悪友と常識人のバランスが良くてとても良かった。あと音楽が良いとも聞いてはいたけどメインテーマなんかは「あっ、この曲「トップガン」の曲だったのか!」となんだかあべこべに感動したりもした。

 本編とはちょっと離れた零れ話として、本当かはわからないけど同じく某所で見た「この映画以前は軍事ものの映画で米軍が機材を貸してくれることはほとんどなかったけど、この映画では気前よく提供してくれて、それ以降なんでも使わせてくれるサムおじさんになった」というエピソードが好き。

《印象的なシーン》「俺にとってはお前だけが家族だ」

 

 

ゾンビーバー(2015年、アメリカ、監督:ジョーダン・ルビン、85分)

 岸谷轟/裏谷なぎ『R15+じゃダメですか?』で紹介されていて気になったので視聴。重すぎない単純明快なスプラッタ映画を摂取したくなる発作に見舞われることがあって、そのたびにコメディホラーっぽい映画を漁ったりするけど、ホラーとして真っ当すぎたりいくらなんでもふざけすぎてたりで、いまいち目的に合わないことが多かった。

 で、この映画なんだけど……素晴らしい。まさにこういう映画を観たかった!同系列の当たり映画に「道化死てるぜ!」があったんだけど、あっちはまだ感情移入ができて可哀そうと思わなくはなかったけど、こっちにはそれが一切ない。いかにもフィクションな悪人ではなくて、その辺に居るような嫌な奴で口が悪く倫理観もあまり持ち合わせていない。だから彼らがどんな目に合おうと全く心は痛まないし明るく楽しく鑑賞できる。

 ラストの古典コントみたいなオチも冒頭と対になっていて好き。ただ、あいつらはなんであそこに来てたんだろう。

《印象的なシーン》エンディングの歌。

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地下に潜む怪人(2014年、アメリカ、監督:ジョン・エリック・ドゥードル、93分)

 閉所恐怖症のおれには延々と地下墓所を潜り続けていくというシチュエーション自体がかなり怖い。全編が主観視点POVで撮られていて、画面の揺れが激しすぎて何が起きてるかわかりにくい所もあるけど、全体的には意味不明なところは少なかった。不安感や閉塞感が徐々に強くなっていくところはとても良く出来ていて、だからこそちょくちょく挟まる強襲吃驚みたいなのはやめてほしかったかなあ。

 宗教的な要素が強く、地獄……というか死者と生者の中間という意味で煉獄のようなイメージが強く、彼らが終盤に取った行動もキリスト教的な気がする。ちょっとネタバレ気味の感想になるけど、地下≒地獄から抜け出す手段がマンホールなのは「残酷で異常」と共通しているけど、欧米圏ではそういうイメージがあるのだろうか?

 全体的にちゃんと怖くて面白かったけど、主人公がなんかちょっと嫌だった。とても悪い意味でおれたちみたいというか、一定分野に夢中になりすぎてて視野狭窄で他人をいいように使ってもたいして罪悪感をもってないというか……。

 あと本編の感想とは離れるけど「地下に潜む怪人」は、ちょっと邦題のつけ方が悪すぎる。これじゃあ地下に潜む殺人鬼と対峙する話みたいだ。あと、最序盤の縊死体を不自然にスルーするのはちょっとどうだろう。もちろん、あれが出た直後彼女がどうなったかを考えれば、あれがどういう存在だったのかはわかるわけだけど……。

 あと、題材が題材だけによくわからないところも多かったけど、その辺はfoundfootazineさんの記事がとても分かりやすくて良かった。

《印象的なシーン》石を手に入れてからの反転した世界。

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湊かなえ『往復書簡』[徐々に明かされる情報とオチの謎解きが気持ち良い短編集]

詳細版を作りました。

 

 全編が手紙のやり取りで構成された連作短編集。作品ごとに主要キャラクターは入れ替わるけど、登場人物や赴任先の国など、小さなつながりがある。ただ、それも直接関連しているわけではなく、世界観を共有しているという程度。

 彼らはそれぞれの過去に起きた「ある事件」について手紙でやりとりをして、その中で徐々に事件の真相や登場人物の意外な一面が明らかになっていく。立場や性格によって人物への評価が大きく異なること、そして同じ出来事を経験していたはずなのに、それさえ違う印象をもってしまうことがある。主観の曖昧さ、人や物事の多面性がテーマの作品。

 書簡形式のミステリで期待されることって「藪の中」的な証言の食い違いや、代筆偽作みたいなトリックだと思うけど、その期待に応えられる連作短編集だと思う。

 ちなみに四作目の「一年後の連絡網」は7P程度のショートショート。一通目の亮介から手紙で二作目に登場した梨恵が国際ボランティア隊でT国に赴任していることが明かされ、二通目の雅晴からの返信で、三作目に登場した万里子が恋人の純一に会いに行っていたことが明かされる。三作目のフォロー(読みようによっては最後のシーンが本当に幻覚に見えるから?)と、二作目と三作目を繋げて、連作全体が同じ世界で起きたことを強調している。文庫版から追加されたらしくて、ハードカバーからの読者へのサービスに近いのかな。

 初読のとき意外に思ったのを覚えている。嫌ミスの女王っていうのが湊かなえ先生の世間一般のイメージだろうし、おれも『告白』くらいしか読んでなかったからかなり警戒して読み始めたけど、『告白』で見られた後味の悪さや底意地の悪さはかなり薄く、比較的穏当でドロドロしてもいなかった。どの短編も最後の一通に意味を持たせているのが良かった。全体のテーマは人間や事件の多面性だけど、「あの日の事件」の性質や役割が三作三様で面白い。

 実質三作しかないしどれも面白かったから、ベストを選ぶのは難しいけど、やっぱり「二十年後の宿題」かな。やっぱりこのくらいのハッピーエンドのほうが好き。

収録作

「十年後の卒業文集」
「二十年後の宿題」
「十五年後の補習」
「一年後の連絡網」

 

最近見た存在しない映画(2022年4月)

美亜へ贈る真珠(2017年、日本、監督:梶渡司、96分)

 お気に入りの短編小説がついに映像化する、ということでとても楽しみにしていたおれの期待を裏切らない素晴らしい作品だった。短編を100分近くの映画にするにあたってそれなりに肉付けがなされているけど、無駄はなく良いテンポで進んでいく。原作ではやや薄かった美亜とアキの描写が大幅に強化されていて、間接的に、ある意味での狂言回しとしての紀野*1の複雑な情感がより深く描写できていたと思う。ただ、個人的には紀野が回顧するシーンに、原作にあったエコーのような演出が入っていたらなお良かったと思う。

 哀しくも美しいラストシーンは邦画史に残る……というと大げさすぎるけど、少なくともおれの個人史に消えない足跡を残してくれた。さっき肉付けことを書いたけど、ラストシーンには蛇足を付けずきっちり終わらせてくれる。あの一言で物語が締まるからこその傑作とよく理解してくれた!本当、このラスト数分のために何度も観返したくなるほど素晴らしかった。

 本編とはちょっと関係がないけど、原作の「航時機」が「タイムマシン」に直されていたのはちょっと不満。いや、元の言葉「time machine」が直訳でそのまま意味が通じるようになったからそうなるのも当然かもしれないけど、なんとなくこの作品では元のままのほうが風情があったような気がする。

《印象的なシーン》スローモーションで堕ちていく涙と少女の無垢な笑顔。

 

 

フラッシュ・ムービー(2023年、日本、監督:耀光輝、88分)

 初めてタイトルを見たときは今は亡き「Flash Player 」で作られた映像コンテンツ群を題材にした映画だと思ったけどさすがにそんなニッチなものじゃなくて、「光」や「輝き」に類する言葉をタイトルにした楽曲を題材に短いストーリーがオムニバス形式で描かれている。全体的に大きな事件が起きるわけではなく日常の延長線のような出来事が多いけど、メリハリがあるし、取り上げる題材によってはそれなりに深みも持たせている。こういう表現が正しいかはわからないけど優等生的な映画だった。

 それぞれモチーフになった楽曲が挿入歌となっていて、挿入のされ方もそれぞれ工夫がある。要所で挿入されるところは共通しているけど、テレビやラジオから流れたり登場人物がスマートフォンから流したり、といろいろあったけど、半分くらいは役者が歌っていた。もちろん、そうなると役者によって歌唱力はまちまちで、Vaundy「東京フラッシュ」は主人公が歌手設定なだけにかなりレベルが高かったとけど、PerfumeFLASH」はもうちょっとどうにかならなかったのかなあ……というレベルだった。岡野昭仁「その光の先へ」も役者の歌唱力がかなり低かったけど、あれは下手なことに意味があるから良かったわけだからなあ。あと、本人登場のKING GNUFlash!!!」と[Alexandros]「閃光」はちょっといろいろな意味で反則ですわ。出てきた瞬間ちょっと笑ってしまうけど、いざ歌いだすと圧巻の歌唱力で感動を誘う。

《印象的なシーン》「その光の先へ」を口ずさみながら立ち上がる少年。

その先の光へ

その先の光へ

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ちょっとだけUターン(1991年、日本、監督:西田島彦、71分)

 単純明快なコメディで、注文通りに料理がでてくる嬉しい作品。原作より小次郎の悪行が柔らかく表現されていたけど、それ以外はほぼ原作の通りだったと思う。島本和彦先生の熱血コメディの中でも特に好きな作品で、期待値はかなり高かったけどそれに見合う作品だった。演出もキャストもレベルが高いけど、特に線の太い作画がいかにも島本作品という感じでたまらない。

 アクションもレベルが高く、いいタイミングでいい画が入ってくる。最後の乱闘シーンはぐるぐるとカメラが回転する感じがいかにもこの時代の作品で、なんだか嬉しくなってくる。

 ラストシーンはある意味報われないわけだけど、例え報われなくても全力で助けに向かうという古き良き熱血作品のかっこよさがある。主題歌も爽やかで熱く、非の打ちどころのない作品。

《印象的なシーン》尾崎にめぐみを紹介するときの絶妙な間。

 

 

旅に出よう(2001年、日本、監督:井出九、80分)

 かなり単純なロードムービーで、感想を漁ってみたら「起伏が無くてつまらない」「眠くなる」という意見も多かった。たしかに娯楽として高いレベルにあるかといわれると肯定できないし、おれもこういう映画は基本的に好きではないんだけど、なぜかこの映画は好きで、観終わった直後になんとなく流し見してしまうくらいだった。やっぱり映像のレベルの高さかなあ。

 バス、タクシー、電車、船、バイクで街から街へと移動し人々や動物と触れ合い旨いものを食う。スタートの波輝坂町からゴールのウィントナミまでに五都市と十八の村落*2をめぐるわけだけど、風光明媚な観光都市もあればほんとうに何もない平地の田舎町もある。そういう意味ではバラエティに富んでいるけど、特に感動的な出会いがあるわけでも衝撃的な事件に出会うわけでもない。本当に不思議な映画で、それなのにフィルムに映る人々は魅力的で動物たちは生き生きしていて食べ物は食欲をそそる。クィツアンでの食事は見た目がかなり異質なのにこれほど美味しそうに見えるのはどういうことなんだろう。特にシャンキンジンなんかはあまりに美味しそうだから詳細を検索してみたんだけど、本当、心の底から後悔した。知らないほうがいいことも世の中にはあるらしい。

《印象的なシーン》リンミンバトが飛び立ち男たちが踊り狂うシーン。

 

*1:原作でいう「私」

*2:公式サイトの記述ではそうらしいけどちょっと少ないような気がする

最近見た映画(2022年4月)

プラットフォーム(2019年、スペイン、監督:ガルダー・ガステル=ウルティア、94分)

 こういう閉塞的なシチュエーションの映画はかなり好み。階層社会や飽食、持続可能性がテーマとして提示されつつ、どこか宗教的な物語構造になっているのも面白い。ヨーロッパ映画だしモチーフは聖書関連かなとも思うけど、一か月ごとの変化なんかはアジア系の宗教の輪廻転生を思わせる。

 途中で理想論的なものが提示され、それが否定(というか言葉だけで人は動かせないと反論)され最後の行動では強制力を否定しないものの、暴力一辺倒にならないだけの理屈も備えて動くところは綺麗と汚いのバランスが取れてて良かったと思う。ただ結論は正直ありきたりというか、オーソドックス過ぎて新鮮味はなかったかなあ。

 思わせぶりな描写が多くて、そういうのを読み解くのが好きな人は永遠に楽しめると思う。個人的には、もうちょっと謎を少なくするか作中で種明かし(?)をしてほしかったけど、この辺は趣味の問題かなあ。主人公のゴレンをはじめ、登場人物はみんな魅力的でシンプルな筋書きに起伏を作ってくれている。結局ミハルはどうだったんだろう。子供の存在はあの唐突なラブシーン(?)と関係があったのかとか、正気の度合いはどうだったのだろうとか。そして最後の伝言を含めて。

 最終盤で妙に軽快なアクションシーンが入っていたけど、正直ちょっと浮いているような気もする。

《印象的なシーン》舞い散る紙幣。

 

 

ビンゴ(2012年、日本、監督:福田陽平、99分)

 二連続で主人公がハッと目を覚まして始まる映画を観た……というのはただの偶然だけど、こちらもかなりシンプルな映画。最初と最後がキチンと対応していて、そういう意味では丁寧。ただ、筋書きは良くも悪くもすんなり進んでいくから、意外性にはちょっと乏しいかもしれない。

 たぶんアレだろうなあ……うんうん……あれっ、違うの……あっ、やっぱりそうだよね。あっ、けどそうするのか、うーん……。って感じの映画だった。良くも悪くもシンプルだけど、目の前で即座に執行されるってところはけっこうショッキングだし、それなりにハラハラさせられる。ただ、ちょっと演技が……と思ったけど、あんまり迫真で演技されるとテーマがテーマだけに逆に観づらくなるかもしれない。

 死刑がメインのテーマだけど、あまりそういう方面に深堀はされない。個人的には最後の一展開で死刑制度自体への問題点としてよく挙げられる冤罪の可能性とか、更生がどうというセリフへの批判とかが欲しかった。ただ、メッセージ性がまったくないわけではなくて、特に最後の二択の結末の理由はそれなりに含蓄がある。最後のセリフはちょっと「は?」と思ってしまったけど、やっぱり彼女にとっての「救い」は独りになることだったのかなあ。

《印象的なシーン》窓から見下ろす微かに歪んだ笑み。

 

 

名探偵コナン 時計じかけの摩天楼(1997年、日本、監督:こだま兼嗣、95分)

 昔、テレビ放送されていたのを見たことがあって、最初(ラジコン)と最後(赤と青の二択)だけ覚えていたけどそれ以外は記憶に残ってなかったから新鮮に見れた。

 コナンシリーズは基本的な設定だけは押さえていて、原作もロンドンに行った辺りまでは読んでいるけど、それ以降のことは風聞で耳にする程度。劇場版一作目だけに登場人物もかなり少なく、お祭り感は低いけど複雑さはなくかなり気軽に観れる。筋書きも推理ものというよりはサスペンスっぽい雰囲気*1で、次々に繰り出される時間制限付きの謎解きを解き進めて大きな事件にたどり着く。個人的にはBBC制作『SHERLOCK』「大いなるゲーム」みたいでとても良かった。程よくアクションあり、程よく謎解きあり、程よくラブストーリーありと娯楽作品のお手本。冒頭にいつもの解説も入っているし博士の発明品シリーズにもきっちり説明が入るから、コナンシリーズをよく知らなくても楽しく観ることができると思う。

 あと本筋とはあまり関係ないけど、昼行灯な印象のある小五郎が正義感や倫理観が安定している大人として描かれているところも好き。

《印象的なシーン》扉越しに会話する蘭と新一。

 

 

スマイル(2017年、イタリア、監督:Tullio Imperatore、5分)

 睡眠前の不安と発想、そして起床後の解消がテーマ。描かれていることはとても普遍的なことで、けれど、切り取りようによってはこんなにドラマティックに描ける……っていう意味でも、やっぱり歌詞のような映像作品だった。あと、吹き替えしかないのかって思ったら原語がナレーションだけ日本語らしい。どういう意図かはわからないけどちょっと面白い。

《印象的なシーン》朝、メモを見て笑う老人。

Smile

Smile

  • Giordano Bassetti
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Run Baby Run(2020年、フランス(?)、監督:Stephane Sann、3分)

 シチュエーションホラーは好きだし、逃走のシーンには工夫もあるけど……。ただでさえ機械翻訳丸出しすぎる上にオチの部分が一瞬しか映らずしかも見切れていてわかりにくい。いや、こんなマイナーなショートムービーにいちいち金をかけられないのだろうし、観れるようにしてくれているだけありがたいのだろうけど、それにしてもなあ。

《印象的なシーン》突然灯るヘッドライト。

Run Baby Run

Run Baby Run

  • Sarah Gray
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*1:登場人物の少なさや名前ですぐに黒幕が誰かわかるようになっている

野球のニュース見て漫画読み返してなんか落ち込んだ話

 先日、佐々木朗希投手と白井一行球審のトラブルがニュースになっていた。いろいろ擁護も批判もあるみたいだけど、野球には詳しくないから具体的なことはよくわからない。礼儀とか権威とか純粋なルールとか人間が判定することの限界とかいろいろなことが議論されているらしい。なんだか単純な問題でもないみたいだ。

 ただ、今回の騒動(というか白井球審への批判)はいろいろなことが積もり積もった結果らしく、Twitterで「ことのぜひはともかく白井球審はストライクゾーンにブレがありすぎる。同じところに投げているのに判定が違うときがある」って批判されているのを見つけた。もちろんおれには真偽はわからないけど、本当だとしたらそれはたしかに問題があると思う。

 ただ、ちょっと不公平というか報われなさすぎるなあ、と思ったのは、審判って福本信行『賭博堕天録カイジ』の村岡じゃないけど、基本的に減点法で評価されて、完璧にやれて当然、ミスったら猛烈に批判される……はちょっと言い過ぎかもしれないけど、苦労に対して称賛されることが少なすぎる気もする。審判なんてそんなものだ、と言われればそれまでなんだけど。

 

 審判って大変だよなあ……そういえば、あだち充『H2』でちょっと似たような話があったな。たしかストライクゾーンギリギリに投げたらボールが宣言されて、主人公の比呂はそれでもまったく同じところに投げ続けて、審判はすべてボールを宣言し、「どうやらちゃんとした審判らしい」と納得する。ストライクゾーンの認識が正確かはともかく、判定が一定でブレがないことを知って安心するシーンだったはずだ。せっかく思い出したんだし、ちょっと読み返してみた。

 あだち充先生の作品は全部読んでいるわけじゃないけど、『H2』は一二を争うほどの傑作だと思う。比呂、英雄、ひかり、春華の絶妙な四角関係や良質な野球描写、野田、木根、柳ら魅力的なサブキャラクター、言葉では多くを語らないラストシーン、と魅力を挙げていったらきりがない。

 ちなみにこの漫画は「成長の差」がテーマの一つでもある。メインキャラクター四人の関係性は比呂の思春期がひかりと英雄とズレていたために生まれたもので、作品の根幹にもかかわってくる。ラストシーンは周回遅れだった比呂がほかの二人よりもずっと多くのことを理解し、大人としてふるまったがゆえのものだったんじゃないかなと思っている。

 

 それで、また思い出す。小学校高学年から中学終わりまでのことだ。Aさん(女子)とBくん(男子)という同級生がいたんだけど、小学校のころはAさんのほうが背が高くちょっと暴力的で、Bくんは運動神経は良かったけど背が低くて力は強くなかった。二人とも活発だったんだけど、その当時はAさんのほうが優位で、争いになっても一方的でBくんの髪をひっぱて泣かせたりしていた。時は流れて中学の初めの頃、Bくんの背丈も伸びて力も強くなった。活発なところは二人とも変わらなかったけど立場は逆転したみたいでBくんがAさんの髪を引っ張って引きずり回していた。中学三年で、その二人は付き合っていたらしい。おれにはぜんぜん理解できないけど、暴力の応酬としか思えないことをしていたのにそうなったらしい。

 思い返してみると中学くらいまでは女子のほうが男子を追い回していたような記憶もある。特に二つ上の学年は女子が身長が高い人が多くて、男子が揶揄うと実力行使をしていたような記憶がある。もちろん、揶揄うやつが悪かったのだろうけど、男の子のほうが実力行使をしていたのを見た記憶があまりない。

 ずっと暴力は男性的なものだと思っていた。事実、理不尽な暴力の代表選手といえる戦争は「男性の仕事」*1だったわけで、映画やドラマのような創作物や多くの人の体験談でも、不条理な暴力をふるうのは基本的に男性の方だ。けど、そのことを思い出してから、ちょっと違うのかもしれないと思った。もっと単純明快なんだと思う。性別によって暴力性が決まるわけじゃなくて、純粋に体格の差が暴力性に直結している。トラブルを物理的な暴力で解決しようとするかどうかは、結局そこで決まる。そんなことを考えながらこんな小話*2を書いたりもした。

 もちろんこのエピソードはとてもミクロだ。たかが半径三メートル以内で起きたことを引用して「人類が~」なんてマクロな話につなげるべきではないのかもしれない。けれど、もし暴力の根源が身体能力の差だとしたら、世界から不条理な暴力を根絶するには、その「身体能力の差」をなくすように、ヒトそのものを造り変える必要があるということになる。SFにはポストヒューマンなんて言葉があるけど、その分野でも最も極端な対処法になる。士郎正宗攻殻機動隊』のような機械化による人体のカスタマイズではない。アルフレッド・べスター「くたばりぞこない」のような均一化やアーサー・C・クラーク幼年期の終わり』のラストシーンのような合一化に近いものだ。それは個性を消失させ、多様性を否定することだ。

 そこまでやらないと「世界から理不尽な暴力をなくそう」というスローガンを達成することはできない。暴力はもっと普遍的なものだから、ある一つの属性に寄り添ったところで意味はない。プレイヤーが入れ替わるだけのことだ。

 

 ……そんなのはただの理屈だ。

 

 だったら、いま現実に傷ついていている人々はどうするのか。いま書いたことはただの理屈で、そんなもので現実の人間が救われることはない。「本質的には~」とか「根本的な解決は~」なんて論法に即効性はない。多少の矛盾や的外れには目を瞑っていま目の前で傷ついている人を救うことのほうがはるかに重要なのでは? SFや学者の言葉を引用した屁理屈なんか当事者意識が足りないから捻り出せただけのことかもしれない。ずっと先のことを考えるより、いま目の前で起きている悲劇を少しでも食い止めることのほうがはるかに正しい。

 だったら……、だったら……、だったら……。

 春は憂鬱だからそんなことばかり考えてしまう。

*1:ジョン・キーガン『戦略の歴史』より……なんて偉い学者の言葉を引用するまでもなく、古代から現代にいたるまで戦争の構成員は基本的に男だった

*2:10P「暴力」

ポルノグラフィティ「悲観と陰鬱」10選

1.音のない森(作詞:岡野昭仁

 岡野昭仁さん*1初の作詞作曲のシングルにしてドン底ネガティブ岡野昭仁心情吐露ソングの原点。人生を静まり返った暗い森に例えて、閉塞感や将来への不安を描いている。ミュージシャンが唄う〈音も無いこの深い森に怯えて〉という表現が胸に刺さる。ただ、後年楽曲に比べてまだ救いがあって、特にシングルCDを通して聴くと「sonic」で〈陽のあたる場所〉*2に抜け出せたのかな、と思うことはできる。

苦しくて叫ぶ声 届かない 何を待つ?
蜘蛛の糸? 青い鳥? 救いを求め天を仰ぐ

音のない森

音のない森

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2.鉄槌(作詞:新藤晴一

 新藤晴一さん*3の巧さが光る。裁判と収監という罪人が受けるプロセスだけを描いているけれど、聴いている多くの人は「理不尽な抑圧」を連想するはずだ。ストレートに読めば、ネットリンチ(〈仮面をつけた判事〉はそういうことだと思う)のような一方的な言葉の暴力、レッテル貼りに苦しめられる終わらない地獄を監獄といて表現している。もしくは晴一がよく取り上げる「過去の自分」が視点者で〈あいつ〉は「変わってしまったいまの自分」とも読めるかもしれない。

無駄とは知りながらスプーンで抜け穴を
掘っているんだ手伝うかい?

鉄槌

鉄槌

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3.Human Being(作詞:岡野昭仁

 強烈な皮肉の歌。ここでも書いたけど昭仁の歌詞には切実さがある。これは技術の問題ではなくてタイプの問題で、一人称視点に張り付いた表現を多用するからだと思う。扱っているテーマが違うから単純には比較できないかもしれないけど、同じ皮肉っぽい歌「オレ、天使」との最大の違いは皮肉の対象に自分自身を含めているかどうかだ。「オレ、天使」は天使の視点に仮託していて、人類を外の視点で観ているのに対して、「Human Being」は愚かな人類の一員として唄う。切実だけど、そのせいで若干聴きにくさはあると思う。

私は人間です
気付くのが少し遅いようです
全て壊していつか私も消えてしまうでしょう

Human Being

Human Being

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4.ダリア(作詞:岡野昭仁

 弾むようなテンポに乗せて妙にリアリティのある嫌な話が展開される。単純な「店で見かけた嫌なやつら」の描写に終わらないのは〈でもね、明日は俺もそうするんだ〉の一文で、彼らと自分は本質的には大きく離れてはないという感覚が歌詞のバランスを保っている。〈ダリアの花〉に仮託されているのは対面に座る魔性のヒトなのか、それとも移ろいゆく世間の流行なのか。昭仁には珍しい暗喩的な歌だ。

優雅に咲いた花を見てたら
涙がほろり 零れ落ちた

ダリア

ダリア

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5.Regret(作詞:岡野昭仁

 痛烈な後悔の表現。視点者が一体なにをやってしまったらこんな表現になってしまうのか見当もつかない。日常の失敗を思い出して布団の中で悶えて、別の良い記憶で相殺しようとする……というありがちな行為をここまで深刻に表現できるのはちょっと怖さすら感じる。ちなみにおれはSF者だから〈時計の針を戻して 何度も何度も戻して〉〈ダイスを振って決めよう そしたら楽になれるかも〉と聴くとタイムリープを思い浮かべるけど、そう解釈してみるのも面白いかもしれない。

千回以上の懺悔をしても
心はその罪を許さないだろう

Regret

Regret

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6.ラスト オブ ヒーロー(作詞:新藤晴一

 ポルノグラフィティではかなり珍しい突き放した皮肉の歌。作詞は晴一だけど、直截な表現は昭仁っぽさすらある。空想的な〈ヒーロー〉が現実的な〈住民税〉で街を選ぶのもなんだか辛い。漫画史には詳しくないから断言できないけど、「ヒーロー作品の隆盛→ヒーローのパロディ→ヒーローを現実に落とし込んだ哀しい話」っていう流れに乗った歌なのかもしれない。

生まれ見ぬ 子供たちよ いずれ父に聞いてみなさい
僕らの時代に なぜヒーローはいない? 誰が殺したかと

 

 

7.カシオペヤの後悔(作詞:岡野昭仁

 ほとんど自傷のような自虐の表現が強烈で映像的な直喩も秀逸。ストレートにとると無為徒食の輩としか思えないけど、ギリシア神話をそのままモチーフにしているらしい。冒頭の〈ひどく深い眠りのサイクル〉〈靄のかかる正常な意識〉は元ネタの罰として長期間ひどく辛い目にあわされた者の描写としてよくできているし、長い時間をかけて少しずつ変容してしまった自分への自戒としても機能している。

虚しいカシオペヤの後悔 痛いくらい我が身貫く
灼熱のプライドが激しい豪雨に打たれたように冷たい

カシオペヤの後悔

カシオペヤの後悔

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8.TVスター(作詞:新藤晴一

 身を焦がすような皮肉は痛切で、晴一の作詞では随一の聴きにくさがある。比較的フィクション係数は低い曲(もちろん、そのまま作詞者の心情とは思わないけど)で、陳腐な表現になるけど、晴一のこういう「等身大の自分と肥大化したスターとしての自分」を半分客観的に観た歌詞の中でも一つ抜けた作品だと思う。

身を切って創って それまで
グラム売りをするようなもんか…

TVスター

TVスター

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9.小規模な敗北(作詞:新藤晴一

 日常の中で擦り切れていくことを描いている。どんなことであるにしても、日々の暮らしでは妥協と嘘と誤魔化しは必要不可欠で、けれど徐々に窶れて無垢な頃に見た夢が消えていく。ならばやめようと思っても、その副産物である安楽な日常にどっぷり浸ってもう抜け出す気力も起きない。最後にそれが普遍的であることを突き付けてくる。ある意味では「TVスター」と同系列なのに対比的でもある。

いつか見てた夢が焼かれてゆく
僕は無責任な傍観者だ

小規模な敗北

小規模な敗北

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10.n.t.(作詞:岡野昭仁

 心情吐露にかけてこの歌詞の右に出るものはない。創意も工夫も技巧もなく、昭仁の内向的な傾向がそのまま出ているようで、フィクション係数も低く、ここまで直截な表現しか使わない歌詞もない。けれど、心に染み込む。憶測だけど、この時期の昭仁の心情がほぼそのまま出た唯一の曲だと思う。ほかにも作詞時の心情が色濃そうな歌はあるけど、ここまで肉付けがされていない歌詞はない。剥き出しのマイナスの感情が癖になる。

今 この胸から溢れ出す 情熱や憤りを
声高らかに吐き出せる そんな僕も そんな人間ひと も いいだろう

n.t.

n.t.

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*1:以下敬称略

*2:個人的には真昼の閑静な沿岸部の田舎町が思い浮かぶ

*3:以下敬称略