電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

生きていくためにとっても大切な薬物の話

今週のお題「本棚の中身」

 

 

 移動装置を破壊した。これでもう戻れない。

 ここは失われた過去の楽園。逃避行は完結した。タイムトラベルを巡る冒険は終わり、あとは生活が待っている。

 ここへ至るまでの艱難辛苦は筆舌に尽くしがたい。ほとんど狂気じみた執念を見せたポリ公との銃撃戦。そして血みどろの逃走劇。もしくはマシン開発資金のためにやった公的金庫襲撃での一幕。そのほか諸々。

 しかしもう終わったことだ。時系列的には未来だが、オレの主観では過ぎし日々の思い出にすぎない。もう裏切り者のアイツや俺の右肩に穴を開けたクソポリ公のことなんて忘れよう。精神肉体の両面に負わされた苦痛に見合うほどの報酬がこの時代にはある。そういう意味ではオレはあの連中を哀れにすら思う。アイツらはこの時代でアレを楽しむことができないのだから。

 信じられない話だが、この時代では『クスリ』がほとんど規制されず、なんと専門の販売所まで存在しているのだ。良心的文化人にとっては暗黒の時代。そして俺たち中毒者ジャンキーたちには憧れ、垂涎の時代。

 俺が初めて『クスリ』を体験したのは7歳の時だ。今でもはっきりと思い出せる。母親も父親もいない哀れな孤児……と影で呼ばれていたらしい。オレは全然気にしていなかったが、世間の崇高な倫理観とやらはオレを惨めな子供であることを強制した。

 貧乏だった。学校でもそれが原因でイジメられていた。そんなオレが偶然出会った密売人。彼はオレを憐れみ、俺の適正を見抜いて『クスリ』を一つ無料で譲ってくれた。そいつが『PKD』だった。俺の初体験の相手だ。こいつはアメリカ製でジャンル的には〈SF〉になる。俺は初心者でしかも輸入ものの『クスリ』は子供には少し難しい。だから消化には時間がかかった。だが、その時の陶酔感や世界がグルグル回るような酩酊感は強烈だった。俺は夢中になり『クスリ』は生きる希望になった。

 皮肉かもな。世間では「人生から活力を削ぎ労働意欲を奪う」って名目で禁止されている『クスリ』が俺に生きる希望をくれたわけだ。俺は『クスリ』のために学校に行き、そして働き始めた。

 あとは坂道を転げ落ちるようにドップリ。初体験から俺の贔屓は〈SF〉だったが〈NF〉や〈M〉とか〈PL〉も試してみた。無論〈F〉もだ。なかなか良かったがやはり俺には〈SF〉が一番だった。因みに〈C〉もやってみたが、ダメだった。あの手の半視覚的感じはどうも性に合わなかった。

 集会にも積極的に参加した。主に〈SF〉系の集会に参加して『クスリ』の使い回しや評価なんかもやったよ。そのころには俺も一端の中毒者になっていた。恩人の見立てどおり、俺は『クスリ』に適した体質だったらしく消化するスピードは人一倍速く陶酔の深さも最高レベルだった。だからコミュニティの中でも割と尊敬されていた。

 そして出会った。忘れもしない第二十三回福岡大会、かつての相棒……俺を裏切り密告しやがったアイツ……だ。

 アイツは金持ちのお坊っちゃんで『PKD』や『YT』なんかが好きだった。持ってくる『クスリ』はどれも一流で、量も尋常じゃなかったよ。特にこいつが教えてくれた『SH』は日本製で、他に類を見ないほど短くて強烈。俺は一発でファンになった。

 俺たちは気が合った。友情を深めるのに時間は不要だった。隠れて酒を飲み『クスリ』をキメて、語り合った。いつからか、俺たちには共通の夢ができた。いつの日かおおっぴらに『クスリ』をキメ、それを語り合える時代が来ればいいのに。……そして、俺たちは重症中毒者ヘヴィとして当然のように発想を転換した。時代にするんじゃなくて、時代に戻ればいいんだ。アイツの資金力と俺の頭脳。可能だ。時間を遡り規制のない楽園で楽しもうと誓い合った。……で、裏切られた。土壇場で怖くなったんだとよ。

 まあ、いい。もう恨みっこなしだ。いや、恨んでも仕方ない。いまごろヤツは矯正施設で別人になっているはずだから。哀れにも綺麗に脳を洗われて……。

 人通りは多いが誰も俺には目もくれない。調達した衣服は間違っていなかったらしい。俺から見れば奇天烈だが時代や流行というのはそんなものなのだろう。

 さっそく『クスリ』を買いきたいところだが、その前に金の調達をする必要がある。そう時間もかからないからすぐに済ませてしまおう。俺はこの時代の地方都市で最もポピュラーな金融機関へ向かい、そこの自動預払機と対面した。具合がいいことに他に客はいない。取り付けの監視カメラはチープ極まりない。楽なもんさ。当座の生活資金として怪しまれない程度の紙幣……そう全能の神たるエ=ン……をポケットに退出する。

 通りを小さな子供が、聞くに堪えないような汚い言葉を目いっぱい叫びながら走り抜けていった。……ギョッとしてしまった自分が情けない。もう言葉にも気を付けなくていいのだ。言葉遣いは中毒者がバレてしまう理由の一つだ。『クスリ』の影響で意識しない内に語彙が非中毒者ノーマルの連中とまるで違ってしまう。

 自称常識人どものお上品な口調には反吐が出る。上品と自称しているが、あれはただ淡白で非人間的なだけだ。バカみたいな口調と言い換えてもいい。

 金融機関から徒歩五分ほどで『クスリ』販売店を見つけた。

 案内板によるとこの店は地下一階を含む三階までが『クスリ』の販売スペースらしい。具体的には地下一階が〈NF〉一階が〈SF〉や〈PL〉を含む『クスリ』全般。二階に〈PB〉が少量、三階が〈C〉を取り扱っているらしい。

 期待に心臓が高鳴る。体の中で機関銃が乱射されているような激しい動悸。こんな感情、初めて〈SF〉の集会に出向いて以来だ。

 俺は気を鎮めるために深呼吸する。生暖かかでガスくさい空気が体を巡る。……街中どこをみても元の時代の方が清潔だった。比べ物にならないくらい空気も綺麗だった。しかし、俺はここのほうが好きだ。あの時代の薄気味悪い静謐さに比べれば、ここは遥かに「人間らしい」から。と思うのは俺が中毒者だからなのかもしれない。中毒者は決まってこう言う。「管理された清潔さなど、反吐がでる!」ってね。

 ともかく、俺は時間や所持金を勘案して一階の『クスリ』から二つだけ選ぶことにした。

 フロアに踏み入る。

 数多もの大きな棚、そこに所狭しと『クスリ』が陳列されている。そこらかしこに『クスリ』『クスリ』『クスリ』だ! ……素晴らしい。知識として知ってはいたが、やはり実際に体験してみるのとではわけが違う。圧倒的だ。

 元の時代で植えつけられた倫理観は叫ぶ。「やめろ! 見るんじゃない。それは悪いものだ」

 同時に中毒者としての半生が培った価値観が囁く。「さあ、思う存分楽しめ!」

 そしてこの時代の道徳観はいう。「別に普通のことさ、何を熱くなっているんだい?」

 陳列された『クスリ』が輝いて見えるのはこのみつどもえの感性が入り乱れ、俺を昂らせるからなのだろう。

 しかし……煌びやかだ。流石に合法で販売できるだけあって、パッケージも華美で凝っている。保存性能が高い大きな『クスリ』や廉価で使いやすい小さな『クスリ』など、同じ内容でも多種多様に取り揃えてある。

 フロアを進むと信じがたい光景が網膜に飛び込んできた。

 幾人かの老若男女が棚の前で突っ立っている。

 連中、試してやがるんだ。その場で突っ立って公然と陳列棚の前で『クスリ』の具合を試してやがる。隠れもせず平然とヤッてやがる。ところはばからずキメてやがる。俺は卒倒しそうになった。俺たちの時代では絶対に見ることができないイカれた光景。あまりに背徳的。あまりに扇情的。そして俺もそれができるのだ、やって良いのだ、という刺すような期待感。臓腑を掻き回されているようなエグい多幸感。

 過熱した感情が俺の脳をグルグル振り乱す。視界が回り、倒れそうになって柱に寄りかかった。

 落ち着け、慌てるな。大丈夫だ。大丈夫……この時代では普通のことなのだ。破裂しそうな心臓を鎮める。……通り過ぎる客が不審げに、そして店員が心配げな視線を寄越し始めたあたりで、俺はどうにか動けるようになった。

 体が重い。汗が噴き出す。額を、腕を、そして足を、汗が流れる。動悸は収まりかけているが、それでも著しく体力を消費していた。足が重い。丁度五年前ポリ公に撃ち抜かれた時の様に。

 まだ店に入って三分も経っていない。

 やめるべきじゃないか。当然の考えだ。遠目から見ただけでこれほど動揺し興奮しているのだ。近くから見たら脳が茹って死ぬかもしれない。そんな無意味でマヌケな死に方はごめんだ。

 ……いや駄目だ。絶対に今日ここで『クスリ』を買う。苦労してここまで来たのだから一刻も早く『クスリ』に没入したい。そして何より矜持が許さない。俺も〈SF〉コミュニティでは重症中毒者ヘヴィとして鳴らした口だ。逃げ出すなど、できるものか。

 一歩一歩、重病人のような足取りで進む。新発売の棚、話題の一品、色調豊かなパッケージに彩られた『クスリ』……眩暈を堪えながら目的の棚までたどり着いた。

 青いパッケージが並ぶ棚。店の半ばにある海外製専門の棚が俺の目的地だった。俺はここで『PKD』を買うつもりだったのだ。ふらつきながら海のように青い棚に眼を走らせる。

 瞬間、体に衝撃が走る。雷に打たれたのかと思うほどのショックが俺を撃つ。

 正式名称が、書いてある。

 そして、製造者の本名も。

 そう『PKD』や『SH』というのは正式な名前ではない。それはただ製造者の略称をつけているだけだ。だから『PKD』にはいくつもの種類があり、それぞれ違う味わいの『クスリ』なのだ。それを俺たちは無造作に一緒くたにして語っていた。そうせざるをえなかったからだ。

 正式名称は散逸して、もう誰も知ることができなかった。……感動のあまり危うく泣き出しそうになってしまった。考えてみれば、この時代の『クスリ』に正式名称が使われているのは当然のことなのだが、やはり偉大な『クスリ』製造者が丹精込めてつけた名称はあまりに感動的だった。ただ見ているだけで脳が震えるほど嬉しかった。

 涙が溢れ出そうで、眼を擦りながら、震える手で『クスリ』を手に取る。

 ダメだ、見れない。他の客がそうしているようにその場で少しだけ試してみようかと思ったが、少しでもヤッてみれば最後、もう閉店時間までに『クスリ』の世界から戻ってこられないだろう。

 仕方ない。俺は記載してあるタイトルで直感的に選ぶことにした。青い陳列棚から『PKD』を一つ、そして国内産を扱うエリアから緑色の『SH』を一つ選出した。

 レジへ向かい知識どおりに会計を済ませる。

 こうして俺は『SH』と『PKD』を一つずつ買い『クスリ』販売所を出た。

 ……いや、訂正しよう。もう略語で呼ぶ必要もない。俺はこの時代で生きていくのだ。だから正確に言おう。

 俺は星新一の『白い服の男』とフィリップ・K・ディックの『ユービック』を一冊ずつ買って〈サイエンス・フィクション〉〈ノン・フィクション〉〈ミステリー〉〈ファンタジー〉〈純文学〉〈コミック〉〈絵本〉が燦然と並ぶ書店を出た。

 2016年、日本。ここでは思う存分『書籍クスリ』を楽しめるのだ。

 薄汚れた大気の元、雑多で乱雑な言葉を使う人々の中で。

 

※本作は同人誌収録のショートショートを転載したものです。