電羊倉庫

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フィリップ・K・ディック『変種第二号』[戦争と人造物+サスペンス=不安]

「たそがれの朝食」(Breakfast at Twilight)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊。短編の諸作品の中でも最も明快にディック的な「不安」が描かれている。時間軸の設定が絶妙で、近すぎず遠すぎない時間設定はラストシーンに説得力を持たせてくれるし、最後のセリフの皮肉味を強化している。書かれた時代を考えると時事性が強いけど、現代にも通じる普遍性があるし。もちろん、そういう小難しいことを抜きにしても「目を覚ましたら世界が崩壊しているかもしれないという恐怖感」を純粋に味っても良い。

 

「ゴールデン・マン」(The Golden Man)翻訳:若島正

 迫害される超能力者はディックが好んで取り上げる題材の一つだけど、その中でも娯楽性の高さは頭一つ抜けている。場面転換と視点の切り替えが多いけれど、それがちゃんと作品の完成度に貢献している。特に、クリス視点の描写はその特性を十分に生かしていていて、ディックにしては、という但し書きがつくかもしれなけど、とても「上手い」小説。ラストで語られる対策はどちらかというと外来生物対策に近くて、それがいかに絶望的であるかをわからせてくれる。あと(原語で読んでないから推測だけど)「dominant」が「顕性」ではなく「優性」と訳されているところにちょっとした時代を感じる。

 

「安定社会」(Stability)翻訳:浅倉久志

 上位存在と人造物と現実崩壊。事実上の処女作なだけあって、若さやゆとりが感じられる。設定は詳細に語られないけれど、なんとなくどういうことかは理解できて、自然と人工/進歩と停滞という簡明な構図があり、わかりやすいオチもついている。ディックが意図してのことかはともかく、考察するスペースが残っているところも含めて、読み切り漫画に纏めたらそれなりにウケそう。平原での声や閉じ込められた邪悪な存在は晩年に傾倒した神学の素地でもある……というのは強引すぎるか。

 

「戦利船」(Prize Ship)翻訳:大森望

 内容は解説にある通り。うーん、まあ……うん。上質な作品とは言えないけど、ドタバタコメディとして読めばそれなりに楽しいし、オチもちゃんとついている。けれど、なんというか「ミスター・スペースシップ」といい、ディックは宇宙船と相性が悪いのかもしれない。いや、「猫と宇宙船」は悪い作品ではないし「凍った旅」は傑作だから、宇宙船と戦争の食い合わせが悪いのかも。独自性で覆い隠せていたチープさが溢れてしまっている。

 

「火星潜入」(The Crystal Crypt)翻訳:浅倉久志

 娯楽性が高い作品。単純明快で読んでいて楽しくて作品内部でおおきな破綻もなく序盤に提示された謎もちゃんと説明してオチもキッチリついている。球体の中の世界というアイディアは、まったく別方向の作品だけど「安定社会」や「世界をわが手に」を思い起こさ、特に「安定社会」とはどこかでつながっていたりしないかな、と考えてみると楽しいかもしれない。

 

「歴戦の勇士」(War Veteran)翻訳:浅倉久志

 人造物。二転三転する展開に入り乱れる人間関係、そして魅力的な設定にそれを巧みに利用したオチと、隙が無い作品。ディックにしては珍しく主人公が理知的で前向きに事態を解決しようとしているところも好印象。ギャネットや愚衆のみなさんの蛮行(P229-230)を悪意のデフォルメと思えなくなってしまったのは悲しいところ。昔はここまで極端な描写を「いやいやそこまで人類は愚かじゃないでしょ」と思っていたけど、昨今の情勢を見ているとそんなに気楽なことは言えなくなってしまった。右も左も、上も下も、色とりどりのみんな。

 

「奉仕するもの」(To Serve Master)翻訳:浅倉久志

 人造物。短く凝縮された良質な作品。「鬱積した不安、狂おしい恐怖と憎悪。」の暴力描写(P334)は静かなだけに却って残酷。自業自得とはいえディックの短編の中でも一二を争うほど救いのない終わりが印象深い。

 

「ジョンの世界」(Jon's World)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊。解説にある通り「変種第二号」と同じ世界観のようで、ストレートに読めば後日談ということになる。ここでも書いたけど、ディックの沼に一歩踏み出すきっかけになった作品で、救いがあるような絶望的でもあるようなラストシーンとジョンの幻視がとても印象深い。ただ、むかしはどうだったかわからないけどその手術は……いや終盤の行動からして愛していたのは間違いないんだろうけど……。平穏な世界で哲学を語る(P398)という理想像は「ウーブ身重く横たわる」を思い出させるけど、『暗闇のスキャナー』に代表される晩年作品の神学談義の原風景なのかもしれない。

 

「変種第二号」(Second Variety)翻訳:若島正

 偽物。ディックで五指に入るほど好きな作品。負傷兵、少年、そして……と兵士が好むものが的確に選ばれていくのがたまらない。緊迫感のある序盤の導入から設定が明かされる中盤、そして前振りが良く効いたラスト。切迫したサスペンスにディックの不安、そしてこの本の主題でもある戦争……人とそして機械との争いがこの上ないほど均整がとれた作品に仕上がっている。P492の真ん中付近の二文字、そして次のページで視界に入る「二体」の描写はこういうタイプの作品の教科書になってもいいくらいだと思う。

 

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 本書は「戦争」という明確なコンセプトのもとに編まれた短編集だけど、もちろん全部がそうとはいえない。「ゴールデン・マン」は明らかに違うし「安定社会」と「奉仕するもの」も比較的濃度が低い。また、明るく前向きな作品がかなり少ないことも相まってかなり暗いトーンの短編集になっている。ただ、満足度の高い作品も多いから暗さに耐性がある状態で読み進めるのがいいのかもしれない。

 とても私的な話なんだけど、「たそがれの朝食」を読んでいると9.11のことを思い出す。あのころはイスラム教という言葉すら知らなくて、学校で教えられる平和教育以上のことを真剣に考えたことはなかった。飛行機がビルに突入する映像は怖かった。ぼんやり生きている子供なりに大変なことが起きていると思ったし、戦争が起きて、日本も参戦することになるだろうと思っていた。もちろん、あれには流れがあったのだろうけど、幼かったおれには予兆を理解することはできなかった。だから朝起きて目が覚めたら戦争が起きていた……という「たそがれの朝食」に最も近い感覚だったことをいまでも思い出す。それはいまも変わっていない。

 ベストはやっぱり「変種第二号」。もちろん思い出深い「ジョンの世界」も推したいところだけど、さすがに「変種第二号」には勝てない。そのくらい良く出来た作品に仕上がっている。

 

 

※作品の発表時期や邦題などは「site KIPPLE」を、一部感想などは「Silverboy Club」参考にした。

収録作一覧

「たそがれの朝食」
「ゴールデン・マン」
「安定社会」
「戦利船」
「火星潜入」
「歴戦の勇士」
「奉仕するもの」
「ジョンの世界」
「変種第二号」