電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

思い出:「急に寒いやん」

今週のお題「急に寒いやん」

 

「急に寒いやん」

 あいつの口癖だ。だからこの季節には彼を思い出す。大学の同期で一回生のオリエンテーションで知り合った。あいつは見た目が派手……各種ピアスに輝く色の長髪……で、俺とはまさに正反対の男だった。学籍番号の並びで隣の席に座ってきた。あのころの俺は典型的な真面目くんだったから、内心では呻き声をあげて自分の番号を呪った。たぶん顔にも出ていたと思う。彼が何かをしてきたわけではないから、客観的にみれば嫌な奴は俺のほうだったろう。

 あいつはそんな俺に話しかけてきた。出身地や学科、それに必須の教養講座はどれをとるか、音楽、スポーツ、芸術、サークルはどうするか、一人暮らしなのか、昨日放送されたテレビ番組は見たか、等々。彼の関西弁はそれほど強くなかったから聴き取りやすかったけれど、当時の俺は東北弁がかなりキツくて聴き取るのに苦労したはずだ。あいつは辛抱強く聴きなおしてくれた。見た目通りの話し方だったけど、それなりに会話ができた。

 それがオリエンテーションが始まるとピタリと話すのをやめて真剣に教員の話を聴いた。オリエンテーションなんて、たいていがどうでもいい話ばかりなのに。ギャップという言葉で表現していいかわからないけど、だから好きになったのかもしれない。

 オリエンテーションが終わって、俺たちは当然のように一緒にサークルを巡り、昼飯を食べた。会話も弾んだ。やつとは何一つ趣味が合わないのに、それでも話が弾んだ。大学の四年間はそれの繰り返しで過ごした。

 とても楽しかった。

 卒業後、俺は地元の会社に就職し、彼は兵庫の会社に就職した。お互いに忙しくて徐々に連絡は減っていって、ついには途絶えた。それが大学を出て三年目の秋口になって急に連絡をよこした。バンドをやりたいから手伝ってくれないか、だそうだ。俺は一応ベースを弾けるけど、俺のレベルではとてもじゃないけど仕事をしながら人前で演奏はできない。そう伝えたら、聞いたことがないほど気落ちした声を出すものだから、演奏はできないけどバンドの運営なら手伝えると伝えると、それでもいいから頼むということだった。ちょうど来年から関西に異動(正確に言うと配属に近いけど、まあ異動のようなもの)になるのが確定していたから、次の年から参加することになった。

 再会して驚いた。彼の顔から生気がなくなっていた。いまにもどこかへ消えてしまいそうなほど存在感がなくなっていた。俺は彼から絶対に目を離さいと心に決めた。

 彼はギターともう一人のボーカルと併せてツインボーカルというスタイルでやった。俺はマネージャーの真似事のようなことをした。といっても雑用のようなものがほとんどでもう一人手伝ってくれていた人(もう一人のボーカルの恋人だったらしい)がメインの業務をやってくれていたからそれほど大変ではなかった。徐々に、彼の顔色も良くなっていった。

 バンドはそこそこ成功した。飛びぬけた人気者にはならなかったけど、界隈ではそれなりに有名になった。彼はたまにプロとしてデビューしたいと口にした。プロになったら俺はお払い箱になるな、と言うと少し寂しそうに笑った。彼だけがプロを夢見ていた。実際、彼は楽器も歌もかなり上手かったけど、他のメンバーは贔屓目に見ても下手だったしプロへの情熱も持っていなかった。二年後くらいだったかな、彼はそれなりに大きなレコード会社から名刺をもらって、そこにあずかりとなった。当然、バンドは解散となった。

 連絡先を消してくれないか……と頼まれたのは、控えめに言っても青天の霹靂だった。断固拒絶したけれど、結局は折れて連絡先を消した。彼が、俺を嫌って言っているようには見えなかったからだ。澄んだ眼だった。何かあったらあいつから連絡をするとも約束してくれた。

 彼はソロアーティストとしてデビューしたけど、セールス的にはかなり苦戦した。どうにもならなかったわけではないけど、会社に大きな利益をもたらしてくれるほどではなかったらしい。シングルを三曲、アルバムを一枚リリースして実質活動を停止した。

 音沙汰がなくなって数年後、彼がスタジオミュージシャンとして音楽活動を再開したことを知った。俺はわざわざ興味のないアーティストのCDを買ってブックレットのクレジットを確認した。彼の名が記してあった。しばらくして某有名バンドのライブツアーにサポートメンバーとして随行することが公表された。どうにか一公演だけチケットが取れたから現地へ見に行った。楽しそうだった。俺が知っているどの時期よりも顔色が良くて……演奏することが楽しくて仕方ない、という顔をしていた。彼にとっての幸せは創作性をだしたり目立ったりすることじゃなくてただ演奏することだったのだとそのときに気づいた。

 昔話は哀しさで彩られることが多い。彼を落伍者と嗤うやつもいた。そういう連中にそもそも彼がいかに「上澄み」であるかを説明しても無駄だし、彼の表情も見えてはいない。綺麗ごとを言うようだけど、表情がなにより重要だ。大学卒業後に再会した直後のゲッソリした顔はいまでも忘れられない。

 失礼な話かもしれないが、彼のためだけに随行したアーティストのDVDやCDを購入し続けている。

 彼は秋の肌寒さが好きだった。そして決まって衣替えのタイミングを逃している。だから薄着で外出して「急に寒いやん」なのだ。自然と集団の中心となるような人間だったのに抜けたところがあった。寒くなってくると彼のことを思い出す。環境が変わって旧友と会うこともなくなる。彼が旧友になってしまったことさえ、なんだか愛おしい。歳をとったせいだろう。こんな俺にも妻子ができて、来月には二人目の子供が生まれる。

 あいつからの連絡はない。もう来ないだろう。けれど、たまにみる彼の眼はいまも輝いている。