電羊倉庫

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『告白 コンフェッション』感想

 存在する映画になったので観てきました。

 いい映画だった。まずはなにより主要キャラ二人がかなりはまり役で、個人的には作画:かわぐちかいじになる前のキャラデザ:福本信行でキャストしたような印象がある。浅井が……具体的な場面までは思い出せないけど……ジヨンに何かを言われて片目の大きさが違う絶妙な動揺の表情を向けていたのが印象深い。不安を煽る低音を映画館で体験できたのは収穫だった。かなり短い尺でまとめたのも良くて、登場人物もちゃんと絞ってある。

 原作は密室で互いにハンデを負った状態で殺害/逃走を図るある種の頭脳戦的な作品だったけど、映画はどちらかというとパニックホラー/サイコサスペンスというべき作品に仕上がっていた。描写を省略しているところがいくつかあったけれど基本的な流れは原作と同じで、結末とそれにともなう根本の設定は大きく変更されている。原作からの変更は大きいけれど、映画はそれ単体でちゃんと整合性がとれていて、オミットした部分もそれに合わせてる。ナイフ、荷物、電話、攻撃手段、など。

 ラストを一言で表現すると夢オチになる。おれはかなり終盤まで気づかなかったんだけど勘が良い人は二度目に映った時計が九時を指している時点で気づいたんじゃないかな。作中描写の大部分が自分の頭の中の出来事だから、ジヨンの問いかけ「なんでおれを許せる?」も自問自答。ジヨンに断罪されたいという潜在意識なのかもしれない。伝える意図の無い韓国語で「友達だろ」っていうの良かった……と思ったけど、あれも結局は願望。願望だったと考えるとジヨンの言動にも説明がついてしまう。

 そういう意味では原作よりもより贖罪意識の有無に焦点を当てている。結局あそこで胡麻化そうとしてしまったことが浅井がさらに一線を越えるきっかけになったのだと思う。かなりサイコなラストシーンだけど、浅井が無罪放免で助かってしまう原作よりは胸糞悪くないともいえる。

 おれのあたまのなかの映画ではさゆりとのエピソードを増量したりナレーションを多用したりしていたけど、本作はもっとちゃんと実写映画としての体裁を守りつつリアリティの係数をあげるように工夫している。ここまでシンプルにまとめてくれるとは思っていなかったから意外だったし、そういう意味ではけっこう嬉しい実写化だった。

 ただ、これは仕方ないんだけどヤン・イクチュンさんは(もちろん物語に支障があるレベルではないにしても)台詞がややきとりずらいところがあった。特に「浅井」が聞き取りにくい。

 原作で印象的な始まりと終わりで対応するナレーションはオミットされている。また原作で多用される心中独白(ナレーション)がほぼ存在せずそれに伴って頭脳戦要素がかなり消えてる、という意味で福本伸行要素はほとんど残っていない。個人的には福本作品ってやっぱり言葉だと思うからそこは残して欲しかったなあ。

 軽く感想を検索してみたらラストを批判している人がそこそこいた。おれもたしかに原作のラストの方が好きだけど、夢オチ(というかサイコなラスト)にしたのは先述の通り浅井への罰という側面と、あとはやっぱりフィクション係数の調整というのもあると思う。公式ウェブサイトで脚本が何度も書き換わったみたいなこと書いてあったし、生身の人間で撮る作品だからその辺を調整するのも大変なんじゃないかな。繰り返しになるけどおれはあのオチわりと好きだけど、原作の「聞いてしまったあいつが・・・・悪いのだ・・・・!!」の対比が美しいからそれを劇場で観たかったという気持ちもある。