電羊倉庫

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漢の歴史と正当性の感覚

 最近、渡邉義浩『漢帝国―400年の興亡』を読んだ。

 歳をとってからのお勉強*1は「何だっけこれ」と「誰だっけこいつ」との闘いになる。おれも一応の義務教育と一通りの受験勉強を経験したけれど、身についたはずの知識は無残にも鉱滓と化し辛うじて頭の片隅にへばり付いているといった始末で、そうでなくても基本知識が高校までの基礎教育と大学一年で受けた教養講座程度なものだから、やっぱりよくわからなくなることも少なくない。歴史系の本でも西洋史は概説書でも苦戦するし、理科系にいたってはブルーバックスだから大丈夫だろうと手に取った時間とはなんだろう 最新物理学で探る「時」の正体 (ブルーバックス)が想像よりちゃんと物理学をやっていて半分もいかずに挫折し読み流してしまったり、苦手を克服しようと買った*2数学序説 (ちくま学芸文庫)も四分の一くらいでチンプンカンプンになって泣きながら読むのをやめた、なんてこともあった。その点、幼少のころから好きだった古代中国史は「何だっけこれ」も「誰だっけこいつ」も少なくて、(理科学系本と比べると)快適そのものだった。

 で、書籍の内容だけど、主に帝国を支えた思想やそれに伴う政策の変遷が描かれている。漢帝国は前の帝国(秦帝国)の制度を受け継いでいるから官僚になるには法律に詳しいことが求められるのだけど、それに加えて大昔の思想家の考え方(儒学/春秋の義)や漢帝国での教訓(漢家の故事)を把握していることが求められた。法律を杓子定規に適用するのではなく柔軟に運用するための「正当性」を主張するために必要だったからだ。法学、儒学、故事のパワーバランスは徐々に変化していき、末期になると法律知識よりも儒学知識が重視されるようになった。儒教国家として完成した漢帝国への挑戦こそが三国志の始まりとなる……というのが大体のところかな。

 古代中国の思想 (岩波現代文庫)でもそんな感じで説明されていた気がするけど、儒学は時期によって主流の教義(通説?)に移り変わりがある。というのも儒学というのが「昔起きた出来事や昔の思想家が言ったことを解釈する」学問*3で、だから時の統治者がやりたい政策や制度によってある程度融通を効かせることができた。人によっては曲学の極みに見えるかもしれないけど、そういう柔軟さというか、広く解釈できる懐の深さが儒学を(良くも悪くも)中国の歴史に深く根付かせたのだと思う。

 個人的に面白いと思ったのはこの儒学による施策の正当化で、これは「過去を解釈することで現在を肯定する」ことだ。権力の源というか「なんで統治者でいられるの?*4 何を根拠にそんなことするの?*5」に対する回答はその時々で変わったりする。内容は移り変わるけど、理論自体が必要であることは変わらない。理論は大義名分となり、大義名分は正当性の感覚を生む。

 この「正当性の感覚」だけど、ジョン・キーガン『戦略の歴史』で似たような話がでている。

 この本は戦略という言葉の一般的なイメージである「戦争の具体的なプラン」の歴史変遷を検討しているわけではなく、内容は「武器や移動能力、地理条件、文化的背景の制限による戦争形態の比較」といったもので、戦争の文化史に近い。

(…)技術的に遜色ない敵が相手となったそれ以外の海外での戦いでは、軍事教練はまったく異なった道徳的な要因によって圧倒されていた。つまり、合法性の感覚である。(ジョン・キーガン『戦略の歴史』下巻、中公文庫、P198)

 アメリカ独立戦争についての記述。合法性の感覚というのは自分が正しいことのために戦っているという感覚だろう*6

 話を「正当性の感覚」に戻す。彼らは曲がりなりにも人に何かを強制するのには「正しい理屈」が必要であることを理解していた。人を動かすには(もちろん実利は前提として)正当性が必要になる。そして、これは古代中国に限ったことではない。現代でも、何か大きなことを成すには理屈としての「正しさ」が絶対に必要になる。けれど、「正しさ」があると人間は無慈悲で残忍になることがある、とよく耳にするようにもなった。たぶん、これも真理なのだと思う。ネット、テレビ、新聞、雑誌、一般書籍等々どんなメディアでもその一端を垣間見ることができる。

 じゃあ、そういう感覚が害悪かというとそうではないはず。繰り返しになるけど、正しさがないと人は動かない。賢い人ほど正当性を獲得するために知恵を絞るし、まともな「正当性」を捻り出すことすらできない連中の主張がどれほど間抜けで、したがって支持を集められないかは、Twitterネット掲示板のちょっとした地獄を眺めていればすぐにわかると思う。けれど、逆に言うとそれらしい正当性はあるけど、主張する事柄があまり正しいとは言えないことも多々ある。前提は正義で、基本的な主張も正しいのに具体的な行動に移った途端に高圧的で攻撃的になることがある。古今東西老若男女上下左右貴賤人種そのほか諸々を問わず、そういう人はけっこう多い。そして、なまじ「正当性」があるだけに主張を否定しにくいことも多いはずだ。

 善悪は問わず「正当性」はとても強い力を発揮する。いや、「正当性」は善悪を内包する。そして「正当性の感覚」は危険だけど絶対に必要なものだ。古代から現代にいたるまで、そう変わることなく続いてきたのだから絶対不変の真理……とはいえないまでもそれなりの普遍性があると思う*7。もちろん、こんなことは生きていくうえで何の役にも立たない。だけど、生きていればきっといつか「他人に何かをやらせる」立場になることもあると思う。そういう時に「正当性の感覚」がいかに強い効力を持つかということを、たとえ無残な鉱滓であっても頭の片隅に残っていれば、取り返しがつかない攻撃への最後の一歩を踏みとどまれるんじゃないかな……と柄にもなく大仰なことを考えた。

*1:といってもそんなにたいそうなことではなく、ちょっと気になる本を読んでいるというだけのこと。それも軽めの新書がほとんどでそんなに本格的なものはほとんど読んでいない。

*2:初学者向けの入門書と思ってろくに内容を確認せずに買ってしまったのがそもそもの間違いだった。

*3:西洋史は詳しくないから間違っているかもしれないけど、なんとなくキリスト教系の神学っぽい気がする。

*4:血統によって帝位を継ぐことの正当性や失政があったら別の人が取って代わって良いのか、など。

*5:祖先を祭る廟はどこまで保持するのが正しいのか、身体的な刑罰はどのくらいまで許されるのか、など。

*6:「正しいことの白」の中におれはいるッ!(荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険』27巻、集英社、P57)という感覚に近いと思う。

*7:この文章が可能な限り個別の事象を挙げなかったのは、これがとても普遍的なことだと強調したいから。くどいけど特定の人々、特定の事象でのみ見られることではない。

フィリップ・K・ディック『変数人間』[ショートショート、超能力、時代]

「パーキー・パットの日々」(The Days of Perky Pat)翻訳:浅倉久志

 偽物。真剣にお人形さん遊びをやっている大人たちは滑稽だけど切実さがある。何度読んでもルールがよくわからないけど、このゲームの本質は懐古にどっぷり浸り変化や進歩を徹底的に拒む、かなり悪い意味での保守性にあるんじゃないかなと思う。大人たちと対照的な子供たちの行動や最後の別離はそういうことだ。ちなみにディックは人形を題材に取っているけど、現代作家が描くとやっぱりメタバースになったりするのかな。寄せ集めの部品で作った低スペックパソコンで在りし日々の記憶を再現する……とか考えてみたけど本作の劣化品にしかならないか。

 

「CM地獄」(Sales Pitch)翻訳:浅倉久志

 過剰な広告への嫌悪感は時代性が出ている。記憶があいまいだけどティプトリーとかブラッドベリもCMを題材にした作品を書いていたような記憶がある。いや、CMというか消費社会かな。ディックに限らずあの時代のSF作家が、各種動画共有サイト/SNS/ブログなどで個人が広告収入を得るこの大アドセンスの時代を観たらなんというのか、皮肉や嫌味とかじゃなくて純粋にちょっと気になる。

 

「不屈の蛙」(The Indefatigable Frog)翻訳:浅倉久志

 サッパリしたショートショート。ディックらしからぬ躁的な人物造形が印象的。オチが科学的に正しいのかはちょっとわからないけど、「不屈」が蛙と人間の両方にかかっているのはちょっと上手いかもしれない。

 

「あんな目はごめんだ」(The Eyes Have It)翻訳:浅倉久志

 個人的には筒井康隆「レトリック騒動」を思い出したけど、解説によるとこういう発想はそれほど珍しくはないらしい。ただ、その発想を侵略SF的な恐怖感に変換しているところはとてもディックらしい。

 

「猫と宇宙船」(The Alien Mind)翻訳:大森望

 短くまとまった良作ショートショート。残酷過ぎないオチが秀逸。ある意味ではディックの生涯のテーマの一つである感情移入能力について描いている……というのは流石に強引すぎるかな。

 

「スパイはだれだ」(Shell Game)翻訳:浅倉久志

 偽物。裏が取れない状況でアイデンティティを揺さぶられる夢野久作的な現実ぐらぐら感がたまらない。アクションシーンも迫力があって楽しいけれど登場人物が多くて混乱するところがあるのが欠点と言えば欠点。ちなみに会議室で起きたアクションシーンでのある人物の最期はブラックユーモア的でちょっと笑ってしまった。

 

「不適応者」(Misadjustment)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊。妄想と現実の区別がつかなくなり空想が現実に強く影響を与える……という一昔前に流行ったゲーム脳を体現したような、いかにもディックらしい設定がたまらない。序盤の奇妙な描写が終盤に回収され、さらにもう一段オチを作っているところは秀逸。PKを発症(?)するのが男だけというのは、(事実ではなかったにしろ)当時よく言われてた「SF者は男ばかり」というのを反映しているものじゃないかなと邪推(?)している。大オチは素晴らしいけど、事態の収束の理屈はちょっとおかしい気がする。

 

「超能力世界」(A Wordl of Talent)翻訳:浅倉久志

 評価がちょっと難しい。設定やストーリーに大きな破綻があるわけでもなくキャラクターは魅力的で前振りもちゃんと回収される。ただ、物語開始時の目標がふわりと消えてラストシーンにあまり活かされていないし、オチもちょっと願望充足的すぎるような気がする。ただ喪失後の放浪の描写は切実で胸に迫るものがある。それだけに、最後の機械仕掛けの神的な救いは必要なかったんじゃないかなあ……と思わなくもない。ちなみに超能力者同士の結婚を半ば強制されるのはアルフレッド・べスター『破壊された男』でもあったけど、経済動物じゃないんだからそりゃあ嫌でしょ。

 

ペイチェック」(Paycheck)翻訳:浅倉久志

 オーソドックスな秀作。ワクワクする二大勢力対立の設定に程よいアクション、特に七つのガラクタが順を追ってキチンと役立っていくところなんかは娯楽の教科書といってもいいくらいの出来だ。オチを含めてディック作品では唯一無二の「工夫のある時間ものSF作品」といっても過言ではないと思う。ただ、娯楽に振り切っているだけにディックの持ち味は薄目なのも事実。個人的にはディック要素薄目だからこその秀作だと思うけど、その辺は人それぞれかな。

 

「変数人間」(The Variable Man)翻訳:浅倉久志

 めちゃくちゃ楽しそう。解説によるとヴォークトの影響が強いらしいけど、その辺はちょっとわからない。ただ、行間から鼻歌が漏れ聞こえそうなほど生き生きと書かれていて、もしかしたら本当はこういう作品を書いていたほうが幸せだったんじゃないかなと思ってしまう*1。ほとんど予知に近い予測に主人公だけは例外的に当てはまらないという構図はRPGやADVで見かけてことがある。ちょっと記憶があいまいだけど、たしか「ダンガンロンパ」や「グランブルーファンタジー」の主人公がそんなことを言われていたはず。すでに決められたシナリオを主人公=プレイヤーだけが変えることができる、という設定は自分で操作できるゲームと相性がいいのかもしれない。小説で体験できるようにしたのがゲームブックかな。

 

 

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 長めの短編二作品とショートショートなどの短めの作品を中心に収録されている。ショートショートはいわずもがな、ラスト二作品もかなり気軽に読めるという意味では、前作に引き続きこちらも娯楽色の強い短編集といえる。雰囲気が薄暗く、登場人物が妙に後ろ向きで閉塞的な作品は「パーキー・パットの日々」くらい。もっとも、「パーキー・パットの日々」も救いがたい終わりを迎えるわけではなく、個人的にはかなり前向きな終わり方をしていると思う。

 ベストはちょっと難しいけど「ペイチェック」かな。個別感想でも書いた通りディックらしさは薄いけれど娯楽作品としてとてもよくできているところを最大限評価したい。そのほか「不適応者」や「超能力世界」は滲み出るディックらしさが気持ち良くて大好きだけど、作品としての完成度でいくと「ペイチェック」に一歩及ばないかなあ。

 

 

※作品の発表時期や邦題などは「site KIPPLE」を、一部感想などは「Silverboy Club」参考にした。

収録作一覧

「パーキー・パットの日々」
「CM地獄」
「不屈の蛙」
「あんな目はごめんだ」
「猫と宇宙船」
「スパイはだれだ」
「不適応者」
「超能力世界」
ペイチェック
「変数人間」

 

 

*1:ディックは本当は主流文学志向で、あっちには受け入れてもらえずSFに流れてきた人で、SFもこういうアクションじゃなくて晩年の作品のような神秘体験や神学的な作品が本質だったというのが通説だけど、本作がどの時代のどの作品よりずっと楽しそうだから、そんなことを考えてしまう

最近見た存在しない映画(2022年8月)

黒博物館Ⅱーゴースト&レディー(2020年、日本、監督:富士鷹和宏、119分)

 素晴らしい。もちろん一作目の「スプリンガルド」も素晴らしいアニメ化だったけど、今作はそれを上回る、オールタイムベストに挙げられるくらいの完成度。原作のファンだけでなく史実のナイチンゲールに興味ある方、純粋にファンタジーアクションが好きな方、ほろ苦いラブストーリーが好きな方、と枚挙にいとまないくらい広い客層に勧めて回りたい傑作。

 二時間でまとめるために、一巻の中盤くらいまでのエピソードがかなり削られていたけど、それだけフローとグレイの正念場であるクリミア戦争が濃密に描写されている。人物の動きはもちろんのこと、背景描写も時代考証が入っているらしく緻密で繊細。音楽のことはわからないけど、感想サイトではヴィクトリア朝の雰囲気が良く出ていると言われていた。文句をつけるとしたら、グレイがCGで処理されていたのはやや残念……と言いたいところだけど、それすら演出の一環に組み込んでしまっているのは感心を通り越して小憎らしさすら感じる。CGと作画の質量感の差をあまりに巧く利用している。

 原作者の善悪観というか「悪いやつが良いことをするシーンが好きだけど、それはそれとして報いは必要」という信念に近いものが最も良い形で描かれたラストシーンの美しさは至高そのもの。天から差す光を見上げるグレイの表情も、おれの拙い語彙力ではとても表現しきれないものがある。文句なく必見の一作。

《印象的なシーン》咆哮とともに膨れ上がり襲い掛かるフローの〈生霊〉。

 

 

死ね、マエストロ、死ね(2005年、アメリカ、監督:エドワード・H・ウォルドー、126分)

 不思議な体験だった。「ああ、良い映画だったな……いや、なんか違うような気がする。ちょっと原作読み返してみよう……えぇ、映画は全然ダメじゃん。けどなんか気になるからもう一回見返すか……あれっ、めっちゃ面白いじゃん」二時間の映画、60ページの小説を往復するたびに少しずつ感想が変わった。

 良く出来た映画だった。それは間違いない。フルークの異常な(そしてとてもありふれた)感情の発露と、そして周辺キャラクターの魅力的な人物造形がオーソドックスなサスペンスを完璧に彩っている。けれど、それでも原作の素晴らしさを上回ることはなかった。映像作品は文章作品も心情描写が難しいのはわかっているけど、どうあってもスタージョンの筆力に脚本も演技力も演出もすべてが追い付いていない。そんな比較は酷なのかもしれないけど、もう少し、ほんのちょっとだけ踏み込めれば……と思わずにはいられない。

 ちなみに『タキシード・ジャンクション』を演奏するシーンは賛否両論みたいで、おれは普通に良かったと思うんだけど、なにやら細かいミスが見受けられるらしい。あと、これは原作を読んでいた時にも思ったことだけどフルークの造形で、福本信行/かわぐちかいじ『告白』を思い出した。そういえばあれも映画化していたはずだから来月にでも観てみようかな。

《印象的なシーン》フルークの絶叫。

 

嘔吐した宇宙飛行士(2005年、日本、監督:茶川茂、88分)

 感動した。たぶんこの映画(と原作小説)で感動した地球上で唯一の人物だと思う。読んで字のごとくタイトルそのままの内容の作品で、くだらないの一言で済ませる人が大勢だろうし、正直おれもストーリーについてはほぼ同感。言葉遊びといえば聞こえはいいけどほぼ駄洒落の展開においおいというオチがつく脱力系おバカ映画。

 では何に感動したか? もちろん嘔吐の描写だ。素晴らしい。純粋な描写でこんなに不愉快になったのは筒井康隆「最高級有機肥料」以来、というレベルの高さ。「嘔吐の描写ってこうすればよかったんだ!」なんて世界で一番意味のない学びを得た。あまり詳細に書くと気分を害する人も多いだろうから多くは語らないけど、真正面から見続けるのは拷問に近いほど迫真の描写だった。人生で何の役にも立たない「嘔吐の描写」技法を学びたいなら一見の価値がある。もちろん、不快な描写に耐性のあるおバカ映画好きの方なら観ても損はしない。

《印象的なシーン》李が回収されるシーン。

 

 

蟲の恋(1976年、日本、監督:小垣昌代、113分)

 一見タイトルと内容の乖離が大きくみえるけど、実は登場人物たちはすべて実在する虫の習性になぞらえて肉付けをされている……ということを各種感想サイトで知った。例えば、死への旅路の準備にいそしむ臼井はウスバカゲロウに、高い地位や財力をフル活用して偏見にめげることなく子育てに奮闘する田亀はコオイムシに、子供のために盗みを働く赤井はアカイエカなど。老若男女の恋をする人々が生き生きと、そして時には物悲しく描かれている。

 とりわけ中心人物である美濃と三野賀はミノムシ(ミノガ)にその生涯を落とし込まれているのだけど、やるせなく、辛く、この上なく美しい。病弱でほとんど外には出られず部屋の小窓から外を眺めることしかできない美濃がどうして(不自然なほどすんありと)身分違いの三野賀と結ばれることができたか、そして妊娠が発覚した際のお抱えの医師が見せる表情は、二人がどんな運命を辿ることになるかを如実に物語っている。「蓑」に仮託された「家」に必要なのが何だったのか……少なくとも賤しい身分の美男でも病弱で役に立たない美女でもないのは、哀しいほど明らかなのだから。

《印象的なシーン》窓越しに見つめ合う美濃と三野賀。

 

 

ネコと時の流れ(2024年、日本、監督:真崎有智夫、15分)

 短時間でそれなりに緩急がついている良作。鋭い人はエンドクレジットを観る前に気づくかもしれないけどアニメならではの仕掛けもある。ただ、自主製作作品であることを勘案しても動画のレベルは決して高くはない。けれど観て損はしないと断言できる暖かさと強さがある。

《印象的なシーン》少年から撫でられたネコの気持ち良さそうな表情。

最近見た映画(2022年8月)

夏への扉 -キミのいる未来へ-(2021年、日本、監督:三木孝浩、118分)

 原作を予習して視聴。

 思ったよりずっと面白かった。若干期待値が低かったからというのもあるけど、十分満足できる。特に冒頭で世界観(現実の世界とは違うパラレルワールド的な世界)をきっちり説明できているのはかなり良かったんじゃないかな。ただ、どういうわけか全体の雰囲気はなんとなく星新一……というかNHK星新一の不思議な不思議な短編ドラマ』っぽかった。日本でSFを撮ろうとするとそうなりがちなのかもしれない。もしくはPETEのせいか。

 璃子(リッキィ)との描写を増やしたのも良かった。原作だとやや唐突感があったしいくらなんでもその年齢差はなあ、というのもあったから本筋に影響しない範囲で変更したのは好判断だと思う。白石(ベル)の三十年後の場面も最低限度嫌悪感が少なくなるようになっている。ただ、メロドラマの部分はやや過剰で陳腐だった。あと、どうでもいいところだけどピートが思っていたより太かった。もうちょっと痩せ型で俊敏な猫のイメージだったのはたぶんおれだけじゃないはず。

《印象的なシーン》飲み物を持って宗一郎の部屋を訪れる佐藤太郎

 

 

ポーカーナイト 監禁脱出(2014年、アメリカ/カナダ、監督:グレッグ・フランシス、105分)

 先輩警官が教訓と知恵を語る談話会、という設定はとても魅力的。諸々の前振りもキチンと効いている。なぜあんな状況になったのか、いとも簡単に人が死ぬのにどうして彼らは殺されないのか、なぜ彼はあの人に嫌われているのか、どうしてポーカーナイトに呼ばれるようになったのか……犯人、先輩警官、主人公の回想にキチンと意味が持たされている。回想シーンが多くて混乱するけれど、それぞれの演出に特色(犯人:悪趣味ポップ、先輩:主人公が追体験する)があって面白い。

 ただ、その魅力的な設定をちゃんと生かしきれてないのが諸サイトでの低評価につながっているのだと思う。ちょっと言い訳っぽいエピローグが入ってたけど、やっぱりポーカーナイトで得られた教訓をもっと巧く活用できる展開にしたほうが良かったと思う。あと殺人鬼の創意工夫のパターンが少ないのがなあ……。

 本当になんとなくだけど、一本の映画じゃなくてテレビドラマの形式のほうが向いていたんじゃないかな。

《印象的なシーン》犯人の行動原理が明らかにされるシーン。

 

 

蜂女の恐怖(1960年、アメリカ、監督:ロジャー・コーマン、73分)

 短くてサクッと観れるけど、絶妙に展開が遅いしメインの蜂女は終盤にちょっとしか出てこないのも不満。ほぼほぼ『昆虫怪獣の襲来』への感想と同じになる。ただ画面が変わり映えしないという意味では『蜂女の恐怖』がやや劣る。こうやって昔の特撮(?)ホラー/アクションを観ると『ゴジラ』『SF巨大生物の島』は本当に良く出来た映画だったとつくづく思う。もちろん、予算の制約もあるから単純に比較できるわけじゃないのだろうけど……ただ、蜂女の造形は本当に素晴らしいと思う。絶妙に気持ちが悪くてワクワクする。

 あと字幕に変な誤字があるのが気になる。繁体字っぽい単語が紛れ込んだりしていたけど中国語からの重訳なわけないから、たぶん簡単な翻訳ソフトで機械的に翻訳しただけなんだろう。

《印象的なシーン》茫然自失で道路に飛び出す博士。

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デッド寿司(2013年、日本、監督:井口昇、92分)

 あなたの期待に沿う下劣下品な楽しい映画。

 良い意味でも悪い意味でも昔の漫画みたいでいちいち突っ込んでいたら*1視聴時間倍になると思う。開始二分でおかしな設定が飛び出し、その後の展開も繰り出される設定もギミックもセリフも展開もすべての知能指数が低い。もちろん、このタイトルとジャケットで高尚な作品が出てくるほうが詐欺なのだから大正解なわけだけど、同監督『片腕マシンガール』と同じくアクションシーンは妙にレベルが高くちゃんとしている*2。ただあっちのほうが一貫して真剣に作られていたのに対して今作はパロディ色が強く品のないシーンも多い。

 眠れない夜に観るのが良いと思う。すべてがどうでもよくなってぐっすり眠れるはずだ。

《印象的なシーン》「マグロに生まれ変わったぞ!」

 

 

健太郎さん(2019年、日本、監督:高木駿輝、35分)

 なんなんだろう……わかるようなわからないような映画だった。設定は割と好きだし健太郎さんの行動原理も深堀出来そうな気もする。あと健太郎さん役の人はすごい。顔も声も完璧だった。

《印象的なシーン》咽び泣く健太郎さん。

健太郎さん

健太郎さん

  • 西川浩幸
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高飛車女とモテない君(2021年、日本、監督:今野雅夫、13分)

 青年誌の読み切り漫画のような物語。二人のなんともいえない空気感が微笑ましい。潔く十分程度で終わるところも好印象。唐突なラストシーンを含めて言葉で説明しろと言われると困るけどなんとなくは理解できる。そんな映画。

《印象的なシーン》最後の一撃。

 

*1:こいつら妙にキスにこだわるけど純情なのか下劣なのかよくわからない……なに大真面目に寿司の解説してんだ……「側近が何を言うか」?……最後のイクラの軍艦、エイミーかよ。などなど

*2:一部引きで撮ったシーンでは当たってないのがあからさまだったり、得物を使ったアクションは動きがややぎこちなかったりと粗もある。

ロバート・A・ハインライン『夏への扉』[ちょっとアレなところはあるけど楽しい小説]

 初読では割と印象が薄くて、話の筋は三分の一くらい(P126くらいまで)しか覚えてなかった。ということで印象はあまりよくなかったけど、読み返してみると思っていたよりずっとおもしろかった。

 少しずついろいろな情報を小出しにしていくストーリー構成や、一度どん底付近に落ちてからの逆転ストーリーなんかは、単純な娯楽としては本当に素晴らしい。描写も過不足なくて読みやすいし、会話文もちゃんと話し言葉っぽい。時間ものとしてのSF要素もさすがは大御所ハインラインというところ。時間と空間を移動するけど決して取りつきにくいということはない。最序盤と最終盤のある種のタイトルコールでもある「夏への扉を探している」という描写はぐっとくる。こんなにページをめくる手が止まらなかったのは久しぶりで、300ページをあっという間に読み終えた。

 ただ、やっぱりいま読むと「悪い女に騙され転落したけど自分を慕ってくれた少女がコールドスリープで時を超えて大人になり結ばれる」ってのは流石にどうなんだろう……とは思ってしまう。なんというか善悪がすっぱり別れすぎているし、いくらなんでもここの描写(P194-204のくだり)が悪意に満ち溢れているのもちょっと……。まあ、けど当世流行に限らずこういうスカッと勧善懲悪作品こそが娯楽の基本なのかなあ。古典名作でも大枠でいえばそういう話っぽいものは多いし。ちなみにこの作品からスカッと要素を抜くとロバート・F・ヤングになるような気もする。

 余談だけどP152くらいに出てくるミスタ・ドウテイはちょっと笑ってしまった。いや、発音の問題なんだろうけど。あと会社名としてのハイヤード・ガールは文化女中器のルビにしないほうがいいんじゃないかな。旧訳で読んだからというのもあるけど、その辺の訳語がちょっと古めかしい。新訳版もでているけどそっちではどう翻訳されているのだろう。

 ちなみになぜか邦画になっている。本国アメリカより日本での評価のほうが圧倒的に高いらしい。最近あまり挙げられなくなったような気がするけど、割と最近までベストSFによく顔を出していたくらい日本では評価されていて、それこそ刊行当時はかなり高く評価されていたみたいで、水玉螢之丞『SFまで10000光年』で絶賛されていたのを覚えている。おれは結局『月は無慈悲な夜の女王』への(やや)低評価と併せてハインラインが肌に合わずにそのまま放置していたけど、こうやって読み返すと「やっぱり広く評価されている作品ってちゃんと面白いもんだなあ」と老人じみたことを考えてしまう。映画の方は今月か遅くても来月までには観てみようと思っている。

 

 追記:いま気づいたけどおれが読んだのは旧版で、いま流通してるのは新版だからページ数の指定にはズレがあるかも。ただ、読んでいればどれを指しているのかは分かってもらえると思う。

 

 

フィリップ・K・ディック『トータル・リコール』[娯楽色が強くすっきり楽しく読める短編集]

トータル・リコール」(We Can Remember If You Wholesale)翻訳:深町眞理子

 現実崩壊。旧題の「追憶売ります」のほうが洒落てるけど、やっぱり映画にはあやかっていかないとね。映画はリメイク版しか観ていないし記憶もちょっとあいまいだけど、かなり原作とは違っていたと思う。少なくともこの短編小説でのアクション要素は希薄で、ほとんどが「リカル株式会社」と主人公の自宅で完結する。もし原作をそのままやるならむしろ舞台演劇のほうが向いているような気がする。小難しい要素はなくオチも明快ユーモラスで気軽に読める上に、事実が二転三転するというディック的な現実ぐらぐら感も味わえる、という良作。ちなみに本書の表紙には、地球に引き戻すDOWN TO EARTH惑星間刑事警察機構INTERPLAN火星MARS地球TERRAリカル株式会社REKAL,INCORPORATEDなど、本作に登場した言葉が散りばめられている。

 

「出口はどこかへの入り口」(The Exit Door Leads In)翻訳:浅倉久志

 上位存在。ディック晩年特有の救われない展開と乾いた文体が楽しめるけどディックの特色は割と薄く話もシンプルで一直線。ラストも説教っぽいと言われればたしかにそうかもしれないけど、これくらいなら許容範囲内じゃないかな。どちらかが正解だった選択肢を最後に選ばせて、やや不条理に落とされるのは「変種第二号」を連想する。救われないけど、どん底に落とされたわけでもないから後味はそれほど悪くはない。なんとなく物語の構造や人物配置が『暗闇のスキャナー』っぽい気もする。

 

地球防衛軍」(The Defenders)翻訳:浅倉久志

 邦題は直訳だけどピッタリのタイトルだと思う。この場合「地球」を「防衛」しているのが人間じゃないということになるけど……。閉塞的な状況と妙に悲観的な人々はディックらしいけど、世界観の設定自体はかなりオーソドックス。オチも新鮮さはなくてやや楽観的ではあるけど、そこは逆に(?)ディック作品としては新鮮な味がする。

 

「訪問者」(Planet for Transients)翻訳:浅倉久志

 意訳でかなりストレートなタイトルだけど趣のある邦題だと思う。ある意味ではブラッドベリ火星年代記』「百万年ピクニック」のようなラストなわけだけど、ブラッドベリとは似ても似つかない味がして面白い。読んでいてブライアン・オールディス『地球の長い午後』を思い出した。懐かしくなってきたからあれも読み返そうかなあ……。最後のセリフは乾いた他人事感があって星新一*1的なユーモアがある。

 

「世界をわが手に」(The Trauvle with Bubbles)翻訳:大森望

 上位存在。ある意味、箱庭ゲームの終着点というか「SPORE」と「シムシティ」を組み合わせたような作品。とても良く出来た短編で上手くオチを付けて終盤のセリフも皮肉が効いている。解説にある通りそれほど突飛な発想ではないけど、ディックの味付けで読めたことがなんだか嬉しい。

 

「ミスター・スペースシップ」(Mr.Spaceship)翻訳:大森望

 いや、途中までは割と面白いと思うんです。そんなにとびぬけたアイディアでもないし似たような設定でグッと面白いものをコードウェイナー・スミスが書いていたような気もするけど、耐え難い駄作というほどのものではない。会話が多いのは今作に限ったことでもないし。ただ、ほら、まあ、ちょっとオチがなあ……そこはちょっと擁護できないなあ……。まあ、けど不快感はないから楽しく読める作品ではある。

 

「非O」(Null-O)翻訳:大森望

 能力は高いけれど明らかに感情移入能力を欠いている存在は『流れよわが涙、と警官は言った』のスィックスを連想させる。この短編はかなり初期の方の作品だし、非Oの皆さんもそれほど悪しざまには描かれていないから直接関係性があるとはいえないけど、『流れよ~』の源流の一つではあるんじゃないかな。ヴォークトの影響が強いらしいけど『イシャーの武器店』しか読んでないから、その辺はちょっとよくわからない。普通の人々の勝利(?)はなんだか感動的で、こういう展開はディック作品では割と珍しいような気がする。

 

「フード・メーカー」(The Hood Maker)翻訳:大森望

 大きな構造や流れに翻弄される個人や考えを覗き見られることへの嫌悪感は他のディック作品にも共通する。オチもディックにしては劇的で、最後の流れなんかはコンピューターウイルスの伝染のようで先進的……というのは無理があるか。「傍観者」と併せると思想検閲とかそういうのが嫌だったのかなと思うけど、けどその割に「マイノリティ・リポート」は……。

 

「吊るされたよそ者」(The Hanging Stranger)翻訳:大森望

 偽物。解説にもある通りもっと高く評価されてしかるべき良作。衝撃的な始まり、違和感と疎外感、アクション、安堵からの裏切り、衝撃的な終わりと隙が無く、侵略者の造形が現代から見るとちょっとチープすぎるところくらいしか欠点がない。語弊があるかもしれないけどディックがそんなに好きじゃない人からも高く評価されるんじゃないかな。

 

マイノリティ・リポート」(The Minority Report)翻訳:浅倉久志

 未来予知を防犯に絡めるアイディアは後発の作品にも影響を与えている*2。解説にある通り「超能力による監視社会」やくるくると目まぐるしい展開で組織間を行ったり来たりするという構成は「フード・メーカー」にも共通する。改めて読み返してみると(特に映画版と比較して)プレコグの扱いがひどい。ディックはそういうことにかなり無頓着だよなあ。設定上仕方ないとはいえその辺に触れることはなく、主人公の途中の憤りだって保身以上のものにはならなかった上に、結局組織は変わることはなくかあ……と思ってしまうのは歳のせいかもしれない。オチの論理的な正確さは(映画版を含めて)各所で議論されているけど、おれにはちょっとわからない。ただ、その辺を気にしなければ娯楽作品として楽しむことはできる。

 

 

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 全体的に娯楽色が強くシンプルな作品が多くディック初心者にうってつけの短編集だと思う……と前作でも書いてしまったけど、こっちはディックのSF的な良い面が強く出ている短編集で、あっちはディックのディックたる所以が強く出ている短編集だと思う。良くも悪くもディックの味*3が薄く読みやすいけれど逆に言えばディックのファンには物足りないかもしれない。

 ベストは「吊るされたよそ者」。序盤の異物感、中盤の焦燥感、終盤の絶望感が素晴らしい。最期に主人公が目にするモノが印象的。ディックらしさは薄いかもしれないけどゼロではない。目を見張る工夫があるわけではないけど純粋に小説としての技巧が光る。もっとたくさんのアンソロジーに収録されて広く読まれてもいい作品だと思う。

 

 ここからは現実を交えたちょっと嫌な話。人間それなりに生きていればいろいろな……思想信条とか社会的立場とかどちらの味方だれの敵なのかと、問い詰められることがあると思う。それはやっぱり仕方ないことではあるけど、たいていみんなそんなことを深く考えてはいないし、どちらかの支持を表明してトラブルを起こしたくないと思っている。けど、ああいうのは正義と密着していたりするから中立なんて宣言は許されない。

 けど、やっぱり気持ちのいいことではない。「お前はどっちなんだ!」と問われると「そんなこと知るか!」とか「どっちでもないわ!」と答えたくなる。ディックも同じだったんじゃなかなと「フード・メーカー」を読んでいて思った。いや、「フード・メーカー」はそうでもないけど、関連作品である「傍観者」を読むと強くそう思う。二項対立のどちらの支持者であるか表明することを強制されるのはそれなりに苦痛であるはずで、ディック世界の読心能力者はそういう存在で、だからそれを打破しようとする作品が多いのだと思う。おおげさな表現になるけど内心の自由ってそういうことだ。

 まあ、個別感想でも書いたけど、だったら「マイノリティ・リポート」は何なんだという話になるけど……過剰な犯罪予防を結局認めるのかよ……。

 

 

※作品の発表時期や邦題などは「site KIPPLE」を、一部感想などは「Silverboy Club」参考にした。

収録作一覧

トータル・リコール
「出口はどこかへの入り口」
地球防衛軍
「訪問者」
「世界をわが手に」
「ミスター・スペースシップ」
「非O」
「フード・メーカー」
「吊るされたよそ者」
マイノリティ・リポート

 

 

*1:亡くなられた方は敬意をこめて呼び捨てにしています。ご了承ください

*2:いや、たぶんこの作品というよりは映画版のほうに影響を受けたのだろうけど……

*3:「ヒトとは?」「上位存在(神)とは? そいつらが支配する世界の構造とは?」「ドラッグと現実と抑制と解放」など

ポルノグラフィティ12thアルバム『暁』感想

 新藤晴一大博覧会、名優岡野昭仁七変化。聴きだしたらもうほとんど『スキャナーズ』。おれは壇上で頭を爆発させて、あとは二人が超能力バトルじゃい。

 第一印象は「明るい」。もちろん重たいバラードや激しいロックもあるし、なんならそういう曲のほうが印象に残っているくらいなんだけど、通して聴いてみるとどういうわけか爽やかな気持ちになれる。ラストの曲が「VS」というのもあるかもしれないけど、暗めの曲に皮肉や後悔の色が少ないというのが大きいんじゃないかと思う。どちらかというと郷愁っぽさがあるというか、前作『BUTTERFLY EFFECT』での「Fade away」や前々作『RHINOCEROS』での「AGAIN」と比べるとそんな印象がある。詳しくは個別で書くけど、それこそ「証言」はその二曲に勝るとも劣らないほど沈痛だけど、悲壮感はそれほど大きくなくて、どこか力強さがあるというか。そういう意味でアルバムタイトル『暁』は本当にぴったりなネーミングだと思う。

 音楽的なことはなにもわからないけどやっぱり「纏まっている」と思う。曲調も歌詞の系列もバラエティ豊かだけど、統一感というか……どう言葉にしていいかわからないけど複数の人が原作を担当して同じ人が作画したオムニバス漫画を読んだ気分に近いかな。全編を新藤晴一さん*1が作詞していて、インタビューでも、

新藤 1人で書いているから、全体的なバランスが取りやすいところはあったかな。かっちりした書き言葉を使い、漢字に意味を持たせて書いた「暁」のような曲があるから、「ジルダ」ではしゃべり言葉にしてみよう、みたいな。アルバムとしてそういったバランスは絶対に必要なものだから、そこにやりやすさを感じられたのはよかったところかな。(音楽ナタリー「ポルノグラフィティ「暁」インタビュー|岡野昭仁と新藤晴一が5年ぶりのアルバムに注ぎ込んだ等身大の音楽」より)

と言っている。そういうバランスが統一感に繋がっているのかなと思う。ただ、逆に言うと岡野昭仁さん*2の歌詞が存在しないだけ既存のアルバムよりバラエティパック感はやや薄い……と思うのはおれが歌詞を重視しすぎるからかもしれない。同じインタビューで

──昭仁さんは今回、既発曲も含めて10曲作曲していて。楽曲のタイプもかなりバリエーションに富んでいる印象です。(同上

と、もりひでゆきさんが言っているのを昭仁は肯定している。音楽感性ゼロヒューマンのおれも楽曲の多様さは理解できる。そういう楽曲の多様さ、歌詞を含めても明暗/日常・非日常/アップテンポ・スローリズムと隙が無くて、陳腐な表現になるけど名盤だと思う。

 以下、収録曲の感想。

 

 

1.暁(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁tasuku 編曲:tasuku, PORNOGRAFFITTI

 アップテンポ。言葉数の多さでは「真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ」を思い出すけど、内容でいえば社会派の色合いを持ちながら実は内省的で内側に向かった歌詞であることも含めて「THE DAY」の系譜だと思う。弱者に手を差し伸べたり優しく慰めたりせず、発破をかけて前を向かせる。まるで自分に言い聞かせているかのように。自分の行動が大きく何かを変えるなんて断言はできないけれど、その小さな行動の一つ一つが寄り集まって大きな意味を持つこともありえる。理想に偏らず、けれど現実に対して過剰に失望することもない。“その日”が来る前の夜明けが浮かんでくる。

 音楽面:唸るような声の低さ/〈期待〉〈失望〉の頭の発音の強さ/〈どれほど待っている? 暁〉の〈暁〉の寸前にスッと音が切れる瞬間/後ろでずっと鳴っているマシンガンみたいな(たぶん)ギター/終盤の目が回るようなギターソロ。

期待と失望とは いつだって共犯者
乱反射をして視界を奪う その手口は見抜いているのに

暁

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2.カメレオン・レンズ(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:篤志ポルノグラフィティ

 シングル曲。ファン人気が極めて高い曲だけど、実は初聴きであまり高く評価していなくて、何度か聞き流しているうちに徐々に好きになった。ポルノファンの中でもかなり珍しい部類に入ると思う。ここでも書いたけどアルバム収録曲の中に留まらず過去作の中でも晴一の特色が出ている歌詞で「わかるようなわからないような、けど意味する情報の志向だけははっきり理解できる」という絶妙な比喩と散りばめられたオブジェクト、鮮烈な赤と青が脳を痺れさせる。相互不理解は晴一の永遠のテーマなのだと思う。

 音楽面:何かを急かすような〈no,no,no〉/〈What color?〉の抜けていく息遣い/〈双子の月が〉や〈無常に光る〉を追走するギター/何の楽器かわからないけどイントロの心音みたいなやつ。

デタラメな配色で作ったステンドグラス

カメレオン・レンズ

カメレオン・レンズ

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3.テーマソング(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:立崎優介, 田中ユウスケ, Porno Graffitti)

 シングル曲。かなりストレートな応援の歌で晴一版「キング&クイーン」のイメージ。昭仁と晴一の応援ソングという意味で比較してみると「キング&クイーン」のほうが視点が高いのは普段の作詞傾向とは逆になっているのが面白く、「テーマソング」のほうがどこかへそ曲がりで王道の中に隠れた小道が潜んでいる。ある意味では「ヒトリノ夜*3に「君の愛読書がケルアックだった件について」を付け加えてこの時代に溶け込ませた歌詞のような気がする。

 音楽面:〈諦め 苛立ち 限界 現実〉の声色の変化/さわやかなコーラス/高揚感を煽るクラップ/スパっと切れるラスト。

「ただ自分らしくあれば それが何より大切」
などと思えてない私 何より厄介な存在

テーマソング

テーマソング

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4.悪霊少女(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:江口 亮, PORNOGRAFFITTI

 ……えっ、なんて?

 生まれて初めて昭仁の言葉がよく聴き取れなかった。いや、これまでも聴き取れなかったり聞き間違えたりすることはあったけど、かなり長いフレーズ(歌詞カードの二行分くらい)を聴き取れなかったは初めてだった。それくらい短い時間の中に言葉が詰まっている。「ウェンディの薄い文字」に連なる少女の物語。「ウェンディ」は成長を思わせるにとどまったけど、「悪霊少女」は涙の色を使い分け自分の感情を隠す術を獲得して大人への一歩を踏み出す。娘の成長に狼狽して大仰なところに相談して大げさなアドバイスを受けて頓珍漢な行動に出る父親はユーモラスで楽しいけど、読み方によっては「古臭い倫理観で娘の指向をつぶそうとしている」とみることもできる。

 音楽面:〈逃れられない〉の八秒近くあるロングトーン/父親と母親の言葉での一歩引いた歌い方/場面が変わるときの「ダダダダダン」/ギターソロ寸前の(たぶん)バイオリン。

その日から少女の涙は 七つの色合いを帯びてく
誰にも読み取られない思い 密かに隠して生きていくのだろう

悪霊少女

悪霊少女

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5.Zombies are standing out(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:tasukuポルノグラフィティ

 シングル曲。聴けば血沸き肉躍るポルノロックの集大成。カッコよさでは他の追随を許さない。歌詞のほぼすべてが気持ち良い音で構成されていて、英詞がかなり良い方向に作用している無二の曲。若者文化のアイコンとしてのゾンビは同時に「かつての栄光をもう一度目指すことを決意した二人」でもあると思う。

 音楽面:〈眠ってはならぬ〉の一音を区切るような歌い方/〈Bullet〉の発音/イントロで撥弦楽器(ベース?ギター?)が始まる寸前の重低音/鬨の声のようなギターソロ。

光がその躰を焼き 灰になって いつか神の祝福を受けられるように
I still pray to revive

Zombies are standing out

Zombies are standing out

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6.ナンバー(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:トオミヨウ, PORNOGRAFFITTI

 ライブで先行披露されていた曲でアレンジと歌詞の一部が変わっている。(仮)ではどこか不穏な雰囲気があったけど、それがかなり軽減されている印象。なんというか数字を盗まれた後の描写が「現実を正しく認識できなくなって元の世界に帰れなくなった人」みたいで……。そういう意味で〈Life goes on〉は歌詞全体の意味を大きく変えてくれた一文だと思う。日々の暮らしからの一時的な逃避という意味では自然系「星球」といえるかもしれない。

 音楽面:〈残る田園〉の上にあがるイントネーション/〈Shall we dance?〉の発音/イントロのどこか遠くから聴こえるような(たぶん)バイオリン/ラストの「デェーン」。

ジェリービーンズ 溶かしたように 目に映ったものが歪む

ナンバー

ナンバー

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7.バトロワ・ゲームズ(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁,トオミヨウ 編曲:トオミヨウ, PORNOGRAFFITTI

 これほどタイトル通りの曲も珍しい。というかタイトルがこんな感じじゃなかったら動揺していたかも。第一音について、最初は昔のWindowsかと思ったけどPSの起動音のような気もする。なんとなくSFの匂いがして嬉しい*4けど、かなり崩した言葉がちょっと目につく。歌詞の内容と曲の短さから「悪霊少女」と並んで現代の若者をターゲットにした作品という印象。彼らに刺さるかはわからないけど試みとしては素晴らしいと思う。ゲームに仮託した現実での競争も描いている。

 音楽面:冒頭のローテンションな低い声/〈鉄則〉の掠れかかった声/イントロ終わりのクラップ音/うにょにょした電子音っぽいやつら。

まだ脳は濃い目のドーパミンに酔って
血走った赤い目が見ている世界線はどっち

バトロワ・ゲームズ

バトロワ・ゲームズ

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8.メビウス(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:tasuku, PORNOGRAFFITTI

 ライブで先行披露されていた曲でアレンジと歌詞の一部が変わっている。(仮)と比べて郷愁が強化され、壮大さがやや抑えめになった印象。英詞が削られまったく別の意味の日本語に換わっているけど、基本的な感想はここに書いたものと変わらない。あくまで個人的な感想だけど、やっぱり恋愛的な離別ではなく思い出との離別だと思っている。ただ、歌詞の変化で「親子」は成り立たなくなったかも。(仮)での補正もあるけどアルバム収録曲の中で一番好きな作品。

 音楽面:〈ごめんなさい ごめんなさい〉に重ねられたコーラス(?)/〈こういうこと?〉の疑問符とは思えないほど力強い緩急のついたロングトーン/〈わすれてほしいよ〉の後の左右から聴こえるギター/アウトロで昭仁と共に歌っているようなギター。

チャイムがなっている うちにかえらなくちゃ

メビウス

メビウス

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9.You are my Queen(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:tasuku, PORNOGRAFFITTI

 最初に英詞で書いてから日本語に逆翻訳したような印象のある歌詞。最初と終盤に入るチリチリした音は「月明かりのシルビア」のようにカセット録音をしているという表現なのかな。とても可愛らしい歌詞で親から子への愛情か、もしくは(ポルノにしては珍しく)精神的な成長が早かった男の子が未成熟で我儘な女の子に微笑みながら付き合っている、という印象。

 音楽面:全編を通した優しい声色/「NaNaNa ウィンターガール」のような〈レディさ〉の発音/後ろで「ティロティロティロ」と高速で鳴っている弦楽器/〈1000年に一度〉の前の無音。

Like a knight 悪い夢の中の悪魔だって倒しましょう

You are my Queen

You are my Queen

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10.フラワー(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:篤志ポルノグラフィティ

 シングル曲。ここで書いたことがすべて。深刻なテーマだけど過剰に暗くはなく、後半の力強さは希望すら感じさせる。情景が映像として目の前で流れ始めるような歌詞の表現は長い時の流れを五分半という短い時間の中に凝縮するのに一役買っている。寓話的な柔らかい世界観で描かれる生命の流れは圧巻。

 音楽面:優しくも哀しい〈笑ってるわけじゃないの〉/英詞部分の哀しさと強さが入り混じった表現/〈ただ荒野に芽吹き〉の辺りから鳴り始める重低音(バスドラム?)/明るすぎも暗すぎもしない絶妙なギターソロ。

星たちは 蒼い闇の夜に映える
生と死がひきたてあうように

フラワー

フラワー

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11.ブレス(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:tasukuポルノグラフィティ

 シングル曲。「テーマソング」と同じく比較的ストレートな応援歌。「自分の視線の先に未来がある……と信じるだけで断言はしない」「未来は確かに存在するけど向こうからやってきたりもしない」と「テーマソング」より一筋縄ではいかない晴一の気質がでている。どこか無責任というか投げやりな言葉のようだけど、断言や成功の予言はある意味運命論的で、そこから一歩引くことで、未来に足を踏み込んでいく本人の行動=努力を最大限肯定している。あと〈ネガティブだって君の大事なカケラ〉はなんとなく晴一から昭仁への最大の賛辞なんじゃないかな、と思っている。

 音楽面:出だしのフラットな〈ポジティブ〉/嚙み締めるような〈旅人のように〉/全編を通して鳴っている低い音/〈faraway〉を引き継ぐように鳴り始めるギター。

気分次第で行こう 未来はただそこにあって
君のこと待っている 小難しい条件 つけたりはしない
迎えにも来ないけど

ブレス

ブレス

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12.クラウド(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:宗本康兵, PORNOGRAFFITTI

 思い出。ある意味では明るい「MICROWAVE」。情報共有サービスに進化した冷蔵庫。クラウドサービスに保存「できる情報」と「できない感情」の対比が「デジタルとアナログ」「天高い上空と地面を歩く自分」「明確な情報と不確かな感情」と対比を作っているのが美しい。失恋後を描いた歌詞だけど、どこか『WORLDILLIA』くらいの頃の瑞々しさと爽快感があるのは、きっとアルバムの全曲を晴一が作詞したからだと思う。全体のバランスをとる過程で生まれたささやかな稀ソング。

 音楽面:〈笑えるかな?〉の語尾/昔を懐かしむような〈ここに刻まれている〉/郷愁を感じさせるアウトロ/〈いつかは聞きたくなるのかな?〉の辺りで右側から聴こえる弦楽器。

ログインパスワードは覚えてる 忘れるわけのない数字さ
毎年二人で祝ったからね その後のストーリー 何も知らず

クラウド

クラウド

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13.ジルダ(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:tasuku, PORNOGRAFFITTI

 軽妙洒脱なMr.ジェロニモ。ふんだんに散りばめられた非日常体験の言葉が時間と空間と属性を飛び越えてフィクションへと没入させてくれる。会話のさざめきから始まるのは「Jazz up」を思いださせる。晴一の歌詞では比較的珍しくヒトの一人称視点で一つの流れが描かれている。道義的にはちょっとアレだけど、このくらい自信を持った人間は気持ちがいい。それにどんな過程をたどっても結局は揉め事が起きるような関係性にはならないような気もする。……というのは物語的に考えすぎか。アルバムの中で最も楽しい曲だから小難しいことを考えずゆったりと楽しむのが正しいのかもしれない。

 音楽面:〈Cheers〉のクライマックス感/アウトロのフェイク/お洒落全振りのギターソロ/〈オペラの後は〉からボーカルと二人きりのギター。

時間は歪むとお惚けた科学者がずっと昔に解き明かした
それを信じるのなら恋に落ちるのなど 瞬きの間で十分すぎるだろう

ジルダ

ジルダ

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14.証言(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:江口 亮, PORNOGRAFFITTI

 直観は「死別」。最善を尽くしたのに理不尽な暴力がすべてを奪い去ってしまった。それが病魔なのか殺人なのか世相なのか、もっと別の何かなのかはわからないけど、不条理に愛を奪われた。ちょっと語弊があるかもしれないけど、晴一の描く「Fade away」だと思う。けれど「Fade away」に比べて辛さはやや薄い。これは晴一と昭仁の作詞スタイルの違い(三人称視点と一人称視点)もあると思うけど、やっぱり「証言」にはどこか希望があるからだと思う。耐えがたいほど辛いことが起きているけど、あの「愛」は確かに存在していて、だから苦痛に塗れていても歩き続けられる。最善を尽くしたがゆえに痛切だけど希望がある。「Fade away」の抉るような孤独、「AGAIN」の痛烈な後悔とも違う色合いがある。

 もちろん、個人との別れだけではなくアーティストとしての離別と解釈することもできる。おれの持病*5もあるけど〈たくさんの星が証言してくれるはず〉はアーティストにとってのファンを、〈どんなに離れても 声が聞けなくても〉のくだりはこの世情で制限されたアーティストとしての活動を思わせる。

 音楽面:冒頭に四行のどこか突き放した「語り手」感/ラスト三行の切実さ/フェイクと競演するアウトロのギター/〈value the most〉の辺りで流れる「キュキュキュキュ」という弦楽器(バイオリン?)の不安感と焦燥感。

騒々しいくらい希望を歌ってた鳥たちは遠くに行ったのか?
季節はもう巡らないの?
悲しみはこのまま凍てついてしまうのか?

証言

証言

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15.VS(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:近藤隆史、田中ユウスケ、Porno Graffitti)

 シングル曲。やっぱり「神VS神」のイメージが強烈で聴いていると頭が2019年の暑い夏の日の東京ドームに還っていってしまう。爽やかな回顧と意欲的な決意が印象的。「プッシュプレイ」と強い関連性を見出せる曲でポルノ史上最も「過去の自分と現在の自分」の関係性をポジティブに捉えている。ほかにも「AGAIN」「ダイアリー 00/08/26」にも出てきた〈夜ごと君に話した〉言葉が登場しているし、「AGAIN」については〈地図〉も共通している。〈君〉は昔日の自分自身、〈地図〉は未来予想図を思い起こさせる。いまの自分は決して万能ではなくて、あの日の志や願いはすべて叶ったわけではないけど、まだ歩み続けることができる。シングル50曲目、メジャーデビュー20周年を迎えたポルノグラフィティにとっての一つの標となる、ある意味では長年のファンのための一曲だと思う。

 音楽面:〈ぎゅっと目を閉じれば〉の「ぎゅ」/〈無邪気に描いた地図〉の「む」/イントロのピアノ(?)/新鮮な空気を吸うようなギターソロ。

バーサス 同じ空の下で向かいあおう
あの少年よ こっちも戦ってんだよ

VS

VS

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――――

 楽器については全くの無知(ギターとベースの区別がつかないレベル)で、いちおう自分なりに調べはしたけど間違っているところもあるかも。ただ、だいたいどの辺のことを指しているのかはわかってもらえると思う。

 以下、アルバムへの感想とはちょっとズレる話。

 最近、競走馬の本を読んでいたから(と『ウマ娘』に嵌っている)というもあるけど、『暁』は異系交配アウトブリードが上手くいったアルバムという印象がある。なんというか、従来の自分たちの色ではない外部のものをうまく取り込んでいるというか、うまく説明できないけどかなり良い意味で最近の若手アーティストのテイスト(というか当世流行のニュアンス)を取り入れているような気がする。

 そういうのをうまく取り入れるのってとても重要だと思う。元から自分の中にあるものだけで突っ走れるのはごく短い期間だけで、どこかで自分になかったものをどこからか調達しなくちゃいけない。自分の中にある色を組み合わせてやっていっても結局自家中毒になるだけだから。近親交配インブリードは強力で魅力的な曲を創り出してくれるけど、それを繰り返した先にあるのは袋小路でしかない。遅かれ早かれ外の血は絶対に必要になる。

 けど、なんでも取り入れればいいというわけではない。母系の良い所をきちんと引き出せる種牡馬をちゃんと選んで導入しなくちゃいけない。外の血は必要だけどそれを選んでうまく組み合わせるのはそんなに簡単なことじゃないはずだ。良血や能力が種牡馬としての能力を保証するわけではない。組み合わせる牝馬によって変わってくることもある。

 このアルバムはそれがとても上手かった気がする。いままでなかった要素をうまく「従来のポルノグラフィティ」に組み合わせられている……と、思う。本当に、音楽低偏差値人間の理屈不在の感想だから正確なものじゃないかもしれないけど、昭仁の歌い方、晴一の作詞、そして二人の作曲とアレンジャーたちの編曲に現代っぽさを感じた。外の風をうまく取り入れることができた、という意味でも『暁』は一つの指標になったんじゃないかな。

 気が早すぎるけど次の曲が楽しみでならない。

 

 

*1:以下敬称略

*2:以下敬称略

*3:〈100万人のために唄われたラブソングなんかに/僕はカンタンに想いを重ねたりはしない〉

*4:直接的なSF描写はほぼないけどなんとなくギブスン『ニューロマンサー』に出てきそう

*5:晴一の描く恋人は半分くらいポルノのファンのことを指していると思い込む病