最近、「ウマ娘」にハマっている。
最初のイベントが終わったくらいから始めたのだけど、もともと育成系のゲームが好きだったこともあって熱中してプレイした。どうにか一通りシナリオクリアできる*1くらいになってころ、アマゾンプライムでアニメを見て完全に心を持っていかれた。本当に素晴らしかった。こんなに泣いたのは久しぶりだ。一期は天皇賞(秋)やジャパンカップ、二期は天皇賞(春)やオールカマーなんかは何度見ても泣けてくる。二期の最終話はそれこそメジロマックイーンみたいな顔になった。
というわけで沼にはまり込んでいる。このゲームはとにかくシナリオを周回する必要があるわけだけど、いろいろ揃ってくると目標外のレースは基本的にG1のレースにしか出なくなる。何度も何度も周回するものだから、自然と主要なG1レースの性質と開催時期をだいたい覚えてしまう。そして真面目にストーリーを追いかけていくとやっぱり興味が湧いてきて、現実の競馬の事も少しだけ調べたりもした。
本棚の整理をしていたら、ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』が出てきた。大学生のころになんとなく買って、当時はぜんぜん競馬に興味がなかったから競馬部分はほとんど理解せずに人間ドラマとして読んでいた。競馬の部分はストライクイーグルとダイサンゲンって名前の馬はいたなあ、とか梅ちゃんが馬券外すと良いことがあるんだよなあ、とかそんなレベルだったのを覚えている。タイムリーだし懐かしいからと久しぶりに一気読みした。
びっくりした。競馬部分の意味が分かるようになっていた。菊花賞・ジャパンカップ・天皇賞(春)・有馬記念を勝ったストライクイーグルがどういう馬なのか、醍醐社長のダービーへの執念をはじめとするダービー馬という栄誉、「芝の血統の馬がダートを走れるのか」という疑問の意味など、挙げていけばきりがない。ウマ娘にハマったことで、あのころはわからなかったレースの意味がわかるようになった。もちろん、たかがゲームで「競馬」を理解したと言いたいわけではないけど、「重賞を勝つこと」「繁殖に入るということ」「競走馬における血統」など、それがどんな意味をもつか朧げながら理解できるようになっていた。
いま思い返してみるとそういう「時間差で理解できた」ことはけっこうある。幼少期に『子ども版・三国志』から三国志にハマり、光栄のシミュレーションゲーム「三国志」を「Ⅶ」から「Ⅸ」までプレイして当時の中国大陸の地理やポケモンより多い人名を相当数覚えていた。中学生になって「天皇がいるのに将軍が統治する」幕府とかいう謎のシステムの意味が分からず混乱したことがあったけど、ある瞬間「そっか。皇帝がいるけど丞相が実質的な指導者になるのと同じか」と腑に落ちた。幕府で躓かなかったのは諸葛亮のおかげだ。後年、古代中国史を齧ったときに「出身地による派閥」や「豪族や貴族による統治」を割とすんなり受け入れられたのは、幼少期に熱心に人名地理職名を覚えてゲームで統一の事業を疑似体験していたからだと思う。
もうちょっとお堅い話をすると大学時代に公務員講座を受けていて、もちろん経済学が必須だったのだけど、あのころはマジで全然理解できなくて、ほぼ意味を理解せず丸暗記だけで突破した。結局公務員にはなれなかったけど、しばらくしてもう一度学びなおそうといくらか経済系の本を手にした。分かったり、分からなかったりを繰り返しある一冊の本にたどり着いた。ポール・ポースト『戦争の経済学』だ。講座ではわからなかった経済学の話が軍事への分析に用いられるだけでかなりの程度理解できるようになった。特に四象限を使った分析*2は大学時代マジで全く意味が分からないで手を動かしていたのが、バター、鉄砲の生産、鉄砲の総数、安全保障に置き換えられるだけですんなり理解できた。逆に言うと大学時代の勉強がなければ、この本を理解するのにもっと時間がかかっていたのだと思う。
好きで学んでいたこと、強制されて学んでいたこと、どちらもどういうわけか記憶の片隅に残っていて、それが後の学習に役に立った。そう考えると「無駄な勉強」なんて存在しなのかな、なんて思ったりした。むかしの知識で目の前の問題が解けるようになった瞬間、むかし分からなかったことがいま分かるようになった瞬間、それこそが学習の本懐なんだと思う。