電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

ロバート・A・ハインライン『夏への扉』[ちょっとアレなところはあるけど楽しい小説]

 初読では割と印象が薄くて、話の筋は三分の一くらい(P126くらいまで)しか覚えてなかった。ということで印象はあまりよくなかったけど、読み返してみると思っていたよりずっとおもしろかった。

 少しずついろいろな情報を小出しにしていくストーリー構成や、一度どん底付近に落ちてからの逆転ストーリーなんかは、単純な娯楽としては本当に素晴らしい。描写も過不足なくて読みやすいし、会話文もちゃんと話し言葉っぽい。時間ものとしてのSF要素もさすがは大御所ハインラインというところ。時間と空間を移動するけど決して取りつきにくいということはない。最序盤と最終盤のある種のタイトルコールでもある「夏への扉を探している」という描写はぐっとくる。こんなにページをめくる手が止まらなかったのは久しぶりで、300ページをあっという間に読み終えた。

 ただ、やっぱりいま読むと「悪い女に騙され転落したけど自分を慕ってくれた少女がコールドスリープで時を超えて大人になり結ばれる」ってのは流石にどうなんだろう……とは思ってしまう。なんというか善悪がすっぱり別れすぎているし、いくらなんでもここの描写(P194-204のくだり)が悪意に満ち溢れているのもちょっと……。まあ、けど当世流行に限らずこういうスカッと勧善懲悪作品こそが娯楽の基本なのかなあ。古典名作でも大枠でいえばそういう話っぽいものは多いし。ちなみにこの作品からスカッと要素を抜くとロバート・F・ヤングになるような気もする。

 余談だけどP152くらいに出てくるミスタ・ドウテイはちょっと笑ってしまった。いや、発音の問題なんだろうけど。あと会社名としてのハイヤード・ガールは文化女中器のルビにしないほうがいいんじゃないかな。旧訳で読んだからというのもあるけど、その辺の訳語がちょっと古めかしい。新訳版もでているけどそっちではどう翻訳されているのだろう。

 ちなみになぜか邦画になっている。本国アメリカより日本での評価のほうが圧倒的に高いらしい。最近あまり挙げられなくなったような気がするけど、割と最近までベストSFによく顔を出していたくらい日本では評価されていて、それこそ刊行当時はかなり高く評価されていたみたいで、水玉螢之丞『SFまで10000光年』で絶賛されていたのを覚えている。おれは結局『月は無慈悲な夜の女王』への(やや)低評価と併せてハインラインが肌に合わずにそのまま放置していたけど、こうやって読み返すと「やっぱり広く評価されている作品ってちゃんと面白いもんだなあ」と老人じみたことを考えてしまう。映画の方は今月か遅くても来月までには観てみようと思っている。

 

 追記:いま気づいたけどおれが読んだのは旧版で、いま流通してるのは新版だからページ数の指定にはズレがあるかも。ただ、読んでいればどれを指しているのかは分かってもらえると思う。

 

 

フィリップ・K・ディック『トータル・リコール』[娯楽色が強くすっきり楽しく読める短編集]

トータル・リコール」(We Can Remember If You Wholesale)翻訳:深町眞理子

 現実崩壊。旧題の「追憶売ります」のほうが洒落てるけど、やっぱり映画にはあやかっていかないとね。映画はリメイク版しか観ていないし記憶もちょっとあいまいだけど、かなり原作とは違っていたと思う。少なくともこの短編小説でのアクション要素は希薄で、ほとんどが「リカル株式会社」と主人公の自宅で完結する。もし原作をそのままやるならむしろ舞台演劇のほうが向いているような気がする。小難しい要素はなくオチも明快ユーモラスで気軽に読める上に、事実が二転三転するというディック的な現実ぐらぐら感も味わえる、という良作。ちなみに本書の表紙には、地球に引き戻すDOWN TO EARTH惑星間刑事警察機構INTERPLAN火星MARS地球TERRAリカル株式会社REKAL,INCORPORATEDなど、本作に登場した言葉が散りばめられている。

 

「出口はどこかへの入り口」(The Exit Door Leads In)翻訳:浅倉久志

 上位存在。ディック晩年特有の救われない展開と乾いた文体が楽しめるけどディックの特色は割と薄く話もシンプルで一直線。ラストも説教っぽいと言われればたしかにそうかもしれないけど、これくらいなら許容範囲内じゃないかな。どちらかが正解だった選択肢を最後に選ばせて、やや不条理に落とされるのは「変種第二号」を連想する。救われないけど、どん底に落とされたわけでもないから後味はそれほど悪くはない。なんとなく物語の構造や人物配置が『暗闇のスキャナー』っぽい気もする。

 

地球防衛軍」(The Defenders)翻訳:浅倉久志

 邦題は直訳だけどピッタリのタイトルだと思う。この場合「地球」を「防衛」しているのが人間じゃないということになるけど……。閉塞的な状況と妙に悲観的な人々はディックらしいけど、世界観の設定自体はかなりオーソドックス。オチも新鮮さはなくてやや楽観的ではあるけど、そこは逆に(?)ディック作品としては新鮮な味がする。

 

「訪問者」(Planet for Transients)翻訳:浅倉久志

 意訳でかなりストレートなタイトルだけど趣のある邦題だと思う。ある意味ではブラッドベリ火星年代記』「百万年ピクニック」のようなラストなわけだけど、ブラッドベリとは似ても似つかない味がして面白い。読んでいてブライアン・オールディス『地球の長い午後』を思い出した。懐かしくなってきたからあれも読み返そうかなあ……。最後のセリフは乾いた他人事感があって星新一*1的なユーモアがある。

 

「世界をわが手に」(The Trauvle with Bubbles)翻訳:大森望

 上位存在。ある意味、箱庭ゲームの終着点というか「SPORE」と「シムシティ」を組み合わせたような作品。とても良く出来た短編で上手くオチを付けて終盤のセリフも皮肉が効いている。解説にある通りそれほど突飛な発想ではないけど、ディックの味付けで読めたことがなんだか嬉しい。

 

「ミスター・スペースシップ」(Mr.Spaceship)翻訳:大森望

 いや、途中までは割と面白いと思うんです。そんなにとびぬけたアイディアでもないし似たような設定でグッと面白いものをコードウェイナー・スミスが書いていたような気もするけど、耐え難い駄作というほどのものではない。会話が多いのは今作に限ったことでもないし。ただ、ほら、まあ、ちょっとオチがなあ……そこはちょっと擁護できないなあ……。まあ、けど不快感はないから楽しく読める作品ではある。

 

「非O」(Null-O)翻訳:大森望

 能力は高いけれど明らかに感情移入能力を欠いている存在は『流れよわが涙、と警官は言った』のスィックスを連想させる。この短編はかなり初期の方の作品だし、非Oの皆さんもそれほど悪しざまには描かれていないから直接関係性があるとはいえないけど、『流れよ~』の源流の一つではあるんじゃないかな。ヴォークトの影響が強いらしいけど『イシャーの武器店』しか読んでないから、その辺はちょっとよくわからない。普通の人々の勝利(?)はなんだか感動的で、こういう展開はディック作品では割と珍しいような気がする。

 

「フード・メーカー」(The Hood Maker)翻訳:大森望

 大きな構造や流れに翻弄される個人や考えを覗き見られることへの嫌悪感は他のディック作品にも共通する。オチもディックにしては劇的で、最後の流れなんかはコンピューターウイルスの伝染のようで先進的……というのは無理があるか。「傍観者」と併せると思想検閲とかそういうのが嫌だったのかなと思うけど、けどその割に「マイノリティ・リポート」は……。

 

「吊るされたよそ者」(The Hanging Stranger)翻訳:大森望

 偽物。解説にもある通りもっと高く評価されてしかるべき良作。衝撃的な始まり、違和感と疎外感、アクション、安堵からの裏切り、衝撃的な終わりと隙が無く、侵略者の造形が現代から見るとちょっとチープすぎるところくらいしか欠点がない。語弊があるかもしれないけどディックがそんなに好きじゃない人からも高く評価されるんじゃないかな。

 

マイノリティ・リポート」(The Minority Report)翻訳:浅倉久志

 未来予知を防犯に絡めるアイディアは後発の作品にも影響を与えている*2。解説にある通り「超能力による監視社会」やくるくると目まぐるしい展開で組織間を行ったり来たりするという構成は「フード・メーカー」にも共通する。改めて読み返してみると(特に映画版と比較して)プレコグの扱いがひどい。ディックはそういうことにかなり無頓着だよなあ。設定上仕方ないとはいえその辺に触れることはなく、主人公の途中の憤りだって保身以上のものにはならなかった上に、結局組織は変わることはなくかあ……と思ってしまうのは歳のせいかもしれない。オチの論理的な正確さは(映画版を含めて)各所で議論されているけど、おれにはちょっとわからない。ただ、その辺を気にしなければ娯楽作品として楽しむことはできる。

 

 

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 全体的に娯楽色が強くシンプルな作品が多くディック初心者にうってつけの短編集だと思う……と前作でも書いてしまったけど、こっちはディックのSF的な良い面が強く出ている短編集で、あっちはディックのディックたる所以が強く出ている短編集だと思う。良くも悪くもディックの味*3が薄く読みやすいけれど逆に言えばディックのファンには物足りないかもしれない。

 ベストは「吊るされたよそ者」。序盤の異物感、中盤の焦燥感、終盤の絶望感が素晴らしい。最期に主人公が目にするモノが印象的。ディックらしさは薄いかもしれないけどゼロではない。目を見張る工夫があるわけではないけど純粋に小説としての技巧が光る。もっとたくさんのアンソロジーに収録されて広く読まれてもいい作品だと思う。

 

 ここからは現実を交えたちょっと嫌な話。人間それなりに生きていればいろいろな……思想信条とか社会的立場とかどちらの味方だれの敵なのかと、問い詰められることがあると思う。それはやっぱり仕方ないことではあるけど、たいていみんなそんなことを深く考えてはいないし、どちらかの支持を表明してトラブルを起こしたくないと思っている。けど、ああいうのは正義と密着していたりするから中立なんて宣言は許されない。

 けど、やっぱり気持ちのいいことではない。「お前はどっちなんだ!」と問われると「そんなこと知るか!」とか「どっちでもないわ!」と答えたくなる。ディックも同じだったんじゃなかなと「フード・メーカー」を読んでいて思った。いや、「フード・メーカー」はそうでもないけど、関連作品である「傍観者」を読むと強くそう思う。二項対立のどちらの支持者であるか表明することを強制されるのはそれなりに苦痛であるはずで、ディック世界の読心能力者はそういう存在で、だからそれを打破しようとする作品が多いのだと思う。おおげさな表現になるけど内心の自由ってそういうことだ。

 まあ、個別感想でも書いたけど、だったら「マイノリティ・リポート」は何なんだという話になるけど……過剰な犯罪予防を結局認めるのかよ……。

 

 

※作品の発表時期や邦題などは「site KIPPLE」を、一部感想などは「Silverboy Club」参考にした。

収録作一覧

トータル・リコール
「出口はどこかへの入り口」
地球防衛軍
「訪問者」
「世界をわが手に」
「ミスター・スペースシップ」
「非O」
「フード・メーカー」
「吊るされたよそ者」
マイノリティ・リポート

 

 

*1:亡くなられた方は敬意をこめて呼び捨てにしています。ご了承ください

*2:いや、たぶんこの作品というよりは映画版のほうに影響を受けたのだろうけど……

*3:「ヒトとは?」「上位存在(神)とは? そいつらが支配する世界の構造とは?」「ドラッグと現実と抑制と解放」など

ポルノグラフィティ12thアルバム『暁』感想

 新藤晴一大博覧会、名優岡野昭仁七変化。聴きだしたらもうほとんど『スキャナーズ』。おれは壇上で頭を爆発させて、あとは二人が超能力バトルじゃい。

 第一印象は「明るい」。もちろん重たいバラードや激しいロックもあるし、なんならそういう曲のほうが印象に残っているくらいなんだけど、通して聴いてみるとどういうわけか爽やかな気持ちになれる。ラストの曲が「VS」というのもあるかもしれないけど、暗めの曲に皮肉や後悔の色が少ないというのが大きいんじゃないかと思う。どちらかというと郷愁っぽさがあるというか、前作『BUTTERFLY EFFECT』での「Fade away」や前々作『RHINOCEROS』での「AGAIN」と比べるとそんな印象がある。詳しくは個別で書くけど、それこそ「証言」はその二曲に勝るとも劣らないほど沈痛だけど、悲壮感はそれほど大きくなくて、どこか力強さがあるというか。そういう意味でアルバムタイトル『暁』は本当にぴったりなネーミングだと思う。

 音楽的なことはなにもわからないけどやっぱり「纏まっている」と思う。曲調も歌詞の系列もバラエティ豊かだけど、統一感というか……どう言葉にしていいかわからないけど複数の人が原作を担当して同じ人が作画したオムニバス漫画を読んだ気分に近いかな。全編を新藤晴一さん*1が作詞していて、インタビューでも、

新藤 1人で書いているから、全体的なバランスが取りやすいところはあったかな。かっちりした書き言葉を使い、漢字に意味を持たせて書いた「暁」のような曲があるから、「ジルダ」ではしゃべり言葉にしてみよう、みたいな。アルバムとしてそういったバランスは絶対に必要なものだから、そこにやりやすさを感じられたのはよかったところかな。(音楽ナタリー「ポルノグラフィティ「暁」インタビュー|岡野昭仁と新藤晴一が5年ぶりのアルバムに注ぎ込んだ等身大の音楽」より)

と言っている。そういうバランスが統一感に繋がっているのかなと思う。ただ、逆に言うと岡野昭仁さん*2の歌詞が存在しないだけ既存のアルバムよりバラエティパック感はやや薄い……と思うのはおれが歌詞を重視しすぎるからかもしれない。同じインタビューで

──昭仁さんは今回、既発曲も含めて10曲作曲していて。楽曲のタイプもかなりバリエーションに富んでいる印象です。(同上

と、もりひでゆきさんが言っているのを昭仁は肯定している。音楽感性ゼロヒューマンのおれも楽曲の多様さは理解できる。そういう楽曲の多様さ、歌詞を含めても明暗/日常・非日常/アップテンポ・スローリズムと隙が無くて、陳腐な表現になるけど名盤だと思う。

 以下、収録曲の感想。

 

 

1.暁(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁tasuku 編曲:tasuku, PORNOGRAFFITTI

 アップテンポ。言葉数の多さでは「真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ」を思い出すけど、内容でいえば社会派の色合いを持ちながら実は内省的で内側に向かった歌詞であることも含めて「THE DAY」の系譜だと思う。弱者に手を差し伸べたり優しく慰めたりせず、発破をかけて前を向かせる。まるで自分に言い聞かせているかのように。自分の行動が大きく何かを変えるなんて断言はできないけれど、その小さな行動の一つ一つが寄り集まって大きな意味を持つこともありえる。理想に偏らず、けれど現実に対して過剰に失望することもない。“その日”が来る前の夜明けが浮かんでくる。

 音楽面:唸るような声の低さ/〈期待〉〈失望〉の頭の発音の強さ/〈どれほど待っている? 暁〉の〈暁〉の寸前にスッと音が切れる瞬間/後ろでずっと鳴っているマシンガンみたいな(たぶん)ギター/終盤の目が回るようなギターソロ。

期待と失望とは いつだって共犯者
乱反射をして視界を奪う その手口は見抜いているのに

暁

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2.カメレオン・レンズ(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:篤志ポルノグラフィティ

 シングル曲。ファン人気が極めて高い曲だけど、実は初聴きであまり高く評価していなくて、何度か聞き流しているうちに徐々に好きになった。ポルノファンの中でもかなり珍しい部類に入ると思う。ここでも書いたけどアルバム収録曲の中に留まらず過去作の中でも晴一の特色が出ている歌詞で「わかるようなわからないような、けど意味する情報の志向だけははっきり理解できる」という絶妙な比喩と散りばめられたオブジェクト、鮮烈な赤と青が脳を痺れさせる。相互不理解は晴一の永遠のテーマなのだと思う。

 音楽面:何かを急かすような〈no,no,no〉/〈What color?〉の抜けていく息遣い/〈双子の月が〉や〈無常に光る〉を追走するギター/何の楽器かわからないけどイントロの心音みたいなやつ。

デタラメな配色で作ったステンドグラス

カメレオン・レンズ

カメレオン・レンズ

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3.テーマソング(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:立崎優介, 田中ユウスケ, Porno Graffitti)

 シングル曲。かなりストレートな応援の歌で晴一版「キング&クイーン」のイメージ。昭仁と晴一の応援ソングという意味で比較してみると「キング&クイーン」のほうが視点が高いのは普段の作詞傾向とは逆になっているのが面白く、「テーマソング」のほうがどこかへそ曲がりで王道の中に隠れた小道が潜んでいる。ある意味では「ヒトリノ夜*3に「君の愛読書がケルアックだった件について」を付け加えてこの時代に溶け込ませた歌詞のような気がする。

 音楽面:〈諦め 苛立ち 限界 現実〉の声色の変化/さわやかなコーラス/高揚感を煽るクラップ/スパっと切れるラスト。

「ただ自分らしくあれば それが何より大切」
などと思えてない私 何より厄介な存在

テーマソング

テーマソング

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4.悪霊少女(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:江口 亮, PORNOGRAFFITTI

 ……えっ、なんて?

 生まれて初めて昭仁の言葉がよく聴き取れなかった。いや、これまでも聴き取れなかったり聞き間違えたりすることはあったけど、かなり長いフレーズ(歌詞カードの二行分くらい)を聴き取れなかったは初めてだった。それくらい短い時間の中に言葉が詰まっている。「ウェンディの薄い文字」に連なる少女の物語。「ウェンディ」は成長を思わせるにとどまったけど、「悪霊少女」は涙の色を使い分け自分の感情を隠す術を獲得して大人への一歩を踏み出す。娘の成長に狼狽して大仰なところに相談して大げさなアドバイスを受けて頓珍漢な行動に出る父親はユーモラスで楽しいけど、読み方によっては「古臭い倫理観で娘の指向をつぶそうとしている」とみることもできる。

 音楽面:〈逃れられない〉の八秒近くあるロングトーン/父親と母親の言葉での一歩引いた歌い方/場面が変わるときの「ダダダダダン」/ギターソロ寸前の(たぶん)バイオリン。

その日から少女の涙は 七つの色合いを帯びてく
誰にも読み取られない思い 密かに隠して生きていくのだろう

悪霊少女

悪霊少女

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5.Zombies are standing out(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:tasukuポルノグラフィティ

 シングル曲。聴けば血沸き肉躍るポルノロックの集大成。カッコよさでは他の追随を許さない。歌詞のほぼすべてが気持ち良い音で構成されていて、英詞がかなり良い方向に作用している無二の曲。若者文化のアイコンとしてのゾンビは同時に「かつての栄光をもう一度目指すことを決意した二人」でもあると思う。

 音楽面:〈眠ってはならぬ〉の一音を区切るような歌い方/〈Bullet〉の発音/イントロで撥弦楽器(ベース?ギター?)が始まる寸前の重低音/鬨の声のようなギターソロ。

光がその躰を焼き 灰になって いつか神の祝福を受けられるように
I still pray to revive

Zombies are standing out

Zombies are standing out

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6.ナンバー(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:トオミヨウ, PORNOGRAFFITTI

 ライブで先行披露されていた曲でアレンジと歌詞の一部が変わっている。(仮)ではどこか不穏な雰囲気があったけど、それがかなり軽減されている印象。なんというか数字を盗まれた後の描写が「現実を正しく認識できなくなって元の世界に帰れなくなった人」みたいで……。そういう意味で〈Life goes on〉は歌詞全体の意味を大きく変えてくれた一文だと思う。日々の暮らしからの一時的な逃避という意味では自然系「星球」といえるかもしれない。

 音楽面:〈残る田園〉の上にあがるイントネーション/〈Shall we dance?〉の発音/イントロのどこか遠くから聴こえるような(たぶん)バイオリン/ラストの「デェーン」。

ジェリービーンズ 溶かしたように 目に映ったものが歪む

ナンバー

ナンバー

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7.バトロワ・ゲームズ(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁,トオミヨウ 編曲:トオミヨウ, PORNOGRAFFITTI

 これほどタイトル通りの曲も珍しい。というかタイトルがこんな感じじゃなかったら動揺していたかも。第一音について、最初は昔のWindowsかと思ったけどPSの起動音のような気もする。なんとなくSFの匂いがして嬉しい*4けど、かなり崩した言葉がちょっと目につく。歌詞の内容と曲の短さから「悪霊少女」と並んで現代の若者をターゲットにした作品という印象。彼らに刺さるかはわからないけど試みとしては素晴らしいと思う。ゲームに仮託した現実での競争も描いている。

 音楽面:冒頭のローテンションな低い声/〈鉄則〉の掠れかかった声/イントロ終わりのクラップ音/うにょにょした電子音っぽいやつら。

まだ脳は濃い目のドーパミンに酔って
血走った赤い目が見ている世界線はどっち

バトロワ・ゲームズ

バトロワ・ゲームズ

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8.メビウス(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:tasuku, PORNOGRAFFITTI

 ライブで先行披露されていた曲でアレンジと歌詞の一部が変わっている。(仮)と比べて郷愁が強化され、壮大さがやや抑えめになった印象。英詞が削られまったく別の意味の日本語に換わっているけど、基本的な感想はここに書いたものと変わらない。あくまで個人的な感想だけど、やっぱり恋愛的な離別ではなく思い出との離別だと思っている。ただ、歌詞の変化で「親子」は成り立たなくなったかも。(仮)での補正もあるけどアルバム収録曲の中で一番好きな作品。

 音楽面:〈ごめんなさい ごめんなさい〉に重ねられたコーラス(?)/〈こういうこと?〉の疑問符とは思えないほど力強い緩急のついたロングトーン/〈わすれてほしいよ〉の後の左右から聴こえるギター/アウトロで昭仁と共に歌っているようなギター。

チャイムがなっている うちにかえらなくちゃ

メビウス

メビウス

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9.You are my Queen(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:tasuku, PORNOGRAFFITTI

 最初に英詞で書いてから日本語に逆翻訳したような印象のある歌詞。最初と終盤に入るチリチリした音は「月明かりのシルビア」のようにカセット録音をしているという表現なのかな。とても可愛らしい歌詞で親から子への愛情か、もしくは(ポルノにしては珍しく)精神的な成長が早かった男の子が未成熟で我儘な女の子に微笑みながら付き合っている、という印象。

 音楽面:全編を通した優しい声色/「NaNaNa ウィンターガール」のような〈レディさ〉の発音/後ろで「ティロティロティロ」と高速で鳴っている弦楽器/〈1000年に一度〉の前の無音。

Like a knight 悪い夢の中の悪魔だって倒しましょう

You are my Queen

You are my Queen

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10.フラワー(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:篤志ポルノグラフィティ

 シングル曲。ここで書いたことがすべて。深刻なテーマだけど過剰に暗くはなく、後半の力強さは希望すら感じさせる。情景が映像として目の前で流れ始めるような歌詞の表現は長い時の流れを五分半という短い時間の中に凝縮するのに一役買っている。寓話的な柔らかい世界観で描かれる生命の流れは圧巻。

 音楽面:優しくも哀しい〈笑ってるわけじゃないの〉/英詞部分の哀しさと強さが入り混じった表現/〈ただ荒野に芽吹き〉の辺りから鳴り始める重低音(バスドラム?)/明るすぎも暗すぎもしない絶妙なギターソロ。

星たちは 蒼い闇の夜に映える
生と死がひきたてあうように

フラワー

フラワー

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11.ブレス(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:tasukuポルノグラフィティ

 シングル曲。「テーマソング」と同じく比較的ストレートな応援歌。「自分の視線の先に未来がある……と信じるだけで断言はしない」「未来は確かに存在するけど向こうからやってきたりもしない」と「テーマソング」より一筋縄ではいかない晴一の気質がでている。どこか無責任というか投げやりな言葉のようだけど、断言や成功の予言はある意味運命論的で、そこから一歩引くことで、未来に足を踏み込んでいく本人の行動=努力を最大限肯定している。あと〈ネガティブだって君の大事なカケラ〉はなんとなく晴一から昭仁への最大の賛辞なんじゃないかな、と思っている。

 音楽面:出だしのフラットな〈ポジティブ〉/嚙み締めるような〈旅人のように〉/全編を通して鳴っている低い音/〈faraway〉を引き継ぐように鳴り始めるギター。

気分次第で行こう 未来はただそこにあって
君のこと待っている 小難しい条件 つけたりはしない
迎えにも来ないけど

ブレス

ブレス

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12.クラウド(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:宗本康兵, PORNOGRAFFITTI

 思い出。ある意味では明るい「MICROWAVE」。情報共有サービスに進化した冷蔵庫。クラウドサービスに保存「できる情報」と「できない感情」の対比が「デジタルとアナログ」「天高い上空と地面を歩く自分」「明確な情報と不確かな感情」と対比を作っているのが美しい。失恋後を描いた歌詞だけど、どこか『WORLDILLIA』くらいの頃の瑞々しさと爽快感があるのは、きっとアルバムの全曲を晴一が作詞したからだと思う。全体のバランスをとる過程で生まれたささやかな稀ソング。

 音楽面:〈笑えるかな?〉の語尾/昔を懐かしむような〈ここに刻まれている〉/郷愁を感じさせるアウトロ/〈いつかは聞きたくなるのかな?〉の辺りで右側から聴こえる弦楽器。

ログインパスワードは覚えてる 忘れるわけのない数字さ
毎年二人で祝ったからね その後のストーリー 何も知らず

クラウド

クラウド

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13.ジルダ(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:tasuku, PORNOGRAFFITTI

 軽妙洒脱なMr.ジェロニモ。ふんだんに散りばめられた非日常体験の言葉が時間と空間と属性を飛び越えてフィクションへと没入させてくれる。会話のさざめきから始まるのは「Jazz up」を思いださせる。晴一の歌詞では比較的珍しくヒトの一人称視点で一つの流れが描かれている。道義的にはちょっとアレだけど、このくらい自信を持った人間は気持ちがいい。それにどんな過程をたどっても結局は揉め事が起きるような関係性にはならないような気もする。……というのは物語的に考えすぎか。アルバムの中で最も楽しい曲だから小難しいことを考えずゆったりと楽しむのが正しいのかもしれない。

 音楽面:〈Cheers〉のクライマックス感/アウトロのフェイク/お洒落全振りのギターソロ/〈オペラの後は〉からボーカルと二人きりのギター。

時間は歪むとお惚けた科学者がずっと昔に解き明かした
それを信じるのなら恋に落ちるのなど 瞬きの間で十分すぎるだろう

ジルダ

ジルダ

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14.証言(作詞:新藤晴一 作曲:岡野昭仁 編曲:江口 亮, PORNOGRAFFITTI

 直観は「死別」。最善を尽くしたのに理不尽な暴力がすべてを奪い去ってしまった。それが病魔なのか殺人なのか世相なのか、もっと別の何かなのかはわからないけど、不条理に愛を奪われた。ちょっと語弊があるかもしれないけど、晴一の描く「Fade away」だと思う。けれど「Fade away」に比べて辛さはやや薄い。これは晴一と昭仁の作詞スタイルの違い(三人称視点と一人称視点)もあると思うけど、やっぱり「証言」にはどこか希望があるからだと思う。耐えがたいほど辛いことが起きているけど、あの「愛」は確かに存在していて、だから苦痛に塗れていても歩き続けられる。最善を尽くしたがゆえに痛切だけど希望がある。「Fade away」の抉るような孤独、「AGAIN」の痛烈な後悔とも違う色合いがある。

 もちろん、個人との別れだけではなくアーティストとしての離別と解釈することもできる。おれの持病*5もあるけど〈たくさんの星が証言してくれるはず〉はアーティストにとってのファンを、〈どんなに離れても 声が聞けなくても〉のくだりはこの世情で制限されたアーティストとしての活動を思わせる。

 音楽面:冒頭に四行のどこか突き放した「語り手」感/ラスト三行の切実さ/フェイクと競演するアウトロのギター/〈value the most〉の辺りで流れる「キュキュキュキュ」という弦楽器(バイオリン?)の不安感と焦燥感。

騒々しいくらい希望を歌ってた鳥たちは遠くに行ったのか?
季節はもう巡らないの?
悲しみはこのまま凍てついてしまうのか?

証言

証言

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15.VS(作詞:新藤晴一 作曲:新藤晴一 編曲:近藤隆史、田中ユウスケ、Porno Graffitti)

 シングル曲。やっぱり「神VS神」のイメージが強烈で聴いていると頭が2019年の暑い夏の日の東京ドームに還っていってしまう。爽やかな回顧と意欲的な決意が印象的。「プッシュプレイ」と強い関連性を見出せる曲でポルノ史上最も「過去の自分と現在の自分」の関係性をポジティブに捉えている。ほかにも「AGAIN」「ダイアリー 00/08/26」にも出てきた〈夜ごと君に話した〉言葉が登場しているし、「AGAIN」については〈地図〉も共通している。〈君〉は昔日の自分自身、〈地図〉は未来予想図を思い起こさせる。いまの自分は決して万能ではなくて、あの日の志や願いはすべて叶ったわけではないけど、まだ歩み続けることができる。シングル50曲目、メジャーデビュー20周年を迎えたポルノグラフィティにとっての一つの標となる、ある意味では長年のファンのための一曲だと思う。

 音楽面:〈ぎゅっと目を閉じれば〉の「ぎゅ」/〈無邪気に描いた地図〉の「む」/イントロのピアノ(?)/新鮮な空気を吸うようなギターソロ。

バーサス 同じ空の下で向かいあおう
あの少年よ こっちも戦ってんだよ

VS

VS

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 楽器については全くの無知(ギターとベースの区別がつかないレベル)で、いちおう自分なりに調べはしたけど間違っているところもあるかも。ただ、だいたいどの辺のことを指しているのかはわかってもらえると思う。

 以下、アルバムへの感想とはちょっとズレる話。

 最近、競走馬の本を読んでいたから(と『ウマ娘』に嵌っている)というもあるけど、『暁』は異系交配アウトブリードが上手くいったアルバムという印象がある。なんというか、従来の自分たちの色ではない外部のものをうまく取り込んでいるというか、うまく説明できないけどかなり良い意味で最近の若手アーティストのテイスト(というか当世流行のニュアンス)を取り入れているような気がする。

 そういうのをうまく取り入れるのってとても重要だと思う。元から自分の中にあるものだけで突っ走れるのはごく短い期間だけで、どこかで自分になかったものをどこからか調達しなくちゃいけない。自分の中にある色を組み合わせてやっていっても結局自家中毒になるだけだから。近親交配インブリードは強力で魅力的な曲を創り出してくれるけど、それを繰り返した先にあるのは袋小路でしかない。遅かれ早かれ外の血は絶対に必要になる。

 けど、なんでも取り入れればいいというわけではない。母系の良い所をきちんと引き出せる種牡馬をちゃんと選んで導入しなくちゃいけない。外の血は必要だけどそれを選んでうまく組み合わせるのはそんなに簡単なことじゃないはずだ。良血や能力が種牡馬としての能力を保証するわけではない。組み合わせる牝馬によって変わってくることもある。

 このアルバムはそれがとても上手かった気がする。いままでなかった要素をうまく「従来のポルノグラフィティ」に組み合わせられている……と、思う。本当に、音楽低偏差値人間の理屈不在の感想だから正確なものじゃないかもしれないけど、昭仁の歌い方、晴一の作詞、そして二人の作曲とアレンジャーたちの編曲に現代っぽさを感じた。外の風をうまく取り入れることができた、という意味でも『暁』は一つの指標になったんじゃないかな。

 気が早すぎるけど次の曲が楽しみでならない。

 

 

*1:以下敬称略

*2:以下敬称略

*3:〈100万人のために唄われたラブソングなんかに/僕はカンタンに想いを重ねたりはしない〉

*4:直接的なSF描写はほぼないけどなんとなくギブスン『ニューロマンサー』に出てきそう

*5:晴一の描く恋人は半分くらいポルノのファンのことを指していると思い込む病

最近見た存在しない映画(2022年7月)

そばかすのフィギュア(1995年、日本、監督:菊池るみ、88分)

 この時代のアニメを観ているとなぜか懐かしくなってくる。どうしてなんだろう。年齢的にほとんど自我はなかったはずだけど、どこかで原体験になっているのかもしれない。

 原作を読んでから観たアニメは違和感との闘いになることがあるけど、この作品も原作との違いが気になる……というのはちょっと正確ではない。おれが読んだのは2007年に刊行された再編集版で、下のリンクのイラストのイメージだったけど元の書籍は表題作ではないからそもそもカバーイラストにはなっていなくて、扉のイラストもシャープなタイプだから、そういう意味では原作をキチンと取り込んだデザインになっている。軽くレビューを読んでみたけど概ね好評みたいだから、間違っている(?)のはおれのほうらしい。

 ストーリーは原作をやや膨らませた程度で大筋は変わっていない。物悲しくも力強い別れのシーンも、この時代特有の雰囲気がある。原作ではサークル仲間以上の役割を与えられていない山下と近藤もそれなりに見せ場をもらえている。原作にはなかった要素として別ベクトルの恋愛要素が匂わせられているけど、それも原作の後味を壊すような露骨で安易なものではない。

《印象的なシーン》窓の外のNNPフィギュア。

 

 

クラッピー・オータム(2010年、イスラエル、監督:エマヌエル・テイテルバウム、100分)

 ドタバタコメディ色が強いけれどキャラクターの得体の知れなさがなんとなく不気味でもある、という変わった映画。いろいろな出来事が起きるけれど、何が変わったかと言われると何も変わっていないような。文字通り「ろくでもない秋」だったわけだけで、それはイドの「成長もないし何かを学んだわけじゃない」というセリフに集約されえている。けど、本当に無意味な顛末じゃなかったはずだ。少なくともイドにとっては。

 序盤と、それに対応する終盤の雰囲気がいい。爛れているわけではないけど気怠くて穏やかな時間。ピザが食べたくなる。キャラクターとしてはやっぱりトニーが好き。吹き替えで観たから原語版での役者がどんな感じだったのかわからないけど、少なくとも日本語版の役者は絶賛されてしかるべきレベルだった。繊細な演技が必要な役柄ではないと思うけど、トニーの存在が映画の芯を担っているのは間違いない。ある意味では『宇宙人ポール』のポールみたいなものだと思う。

《印象的なシーン》人間性を発揮するトニー。

 

 

流浪の民(2009年、中国、監督:曹淑林、98分)

 原題は「徙民」で「強制移住政策」のような意味で、中国大陸の諸帝国ではよく行われてきたことらしい。そういわれてみれば三国志でも「孫権荊州から住民を強制徴収して本国に連れ帰った」みたいなのを見かけて困惑した記憶がある。あのころは意味が分からず娯楽としての狩猟を獣ではなく人間でやっている悪趣味極まりない所業だと思っていた。

 そういう意味では邦題はちょっと間違っている。古代(明言されてないけどたぶん後漢末くらい)から清の嘉慶帝くらいまでの人口の移り変わりを一つの血族にフォーカスして描き出しているわけだけど、彼らは別に流浪していたわけではなく、基本的に定住して農耕に従事している。兵役や徙民、戦乱から逃れるための移住で放浪することはあるけど、流浪の民はちょっとニュアンスが違う。けど、あんまり堅い雰囲気にしたくなかったのもわかるから批判するほどでもないか。

 およそ1500年という壮大なスケールに困惑するところはあるけど、基本的にはミクロ視点で物事が進むから歴史に詳しくなくてもそれなりに楽しめると思う。ただ、当時の税制や人口調査のシステムを知らないと混乱する場面はどうしてもある。そういう意味では多少事前に知識を仕入れておいたほうが楽しめる。

《印象的なシーン》族譜をジッと見つめる少女。

 

 

夢みる頃を過ぎても(1985年、日本、監督:木南都築、114分)

 尺の都合というよりは役者の都合だと思うけど、原作の高校パートがバッサリカットされたのは残念だけど、欠点らしい欠点はそれくらい。過剰さのない演出が心地良い。作中時間は三年くらい経過しているはずなのに、そうと感じられないほど穏やかな時間の流れで描かれている。決してテンポが悪いわけではないし、淡泊なわけでもない。印象的な場面は多いけど、どれも演出過剰に音楽を鳴らしたりわざとらしい構図を作ったりしてはいない。約二時間があっという間の映画だった。

 当時の社会問題(学歴社会など)についても触れられているけど、比重はそれほど大きくない。この辺は高校のパートが削られた影響が大きいのかな。群像劇の色合いが強く、主にサル、恭一、黄菜子の視点で描かれているけど、黄菜子については原作では一話分(全体の1/5)でしかない「夢みる頃をすぎても」が映画の半分を占めている影響もあって実質主人公のようになっている。後半は個人的に好きなサルがあまり登場しなくなってしまうのがちょっと寂しかったけど、まあ仕方ないか。あと、漫画ではどこかコミカルで憎めないキャラクターだった空子だけど、現実の人間でやるとちょっと嫌な面が目につきすぎるのはもうちょっとどうにかしてほしかったかな。

《印象的なシーン》ざあざあと降り続ける雨と二組の膝枕。

 

 

ご機嫌直しまであと何単位?(2019年、日本、監督:真崎有智夫、10分)

 全編が主観視点POVで作られてた日常映画。アクションが存在しないのにカメラの性能が悪いのか撮っているやつが悪いのか妙に画面が揺れる。ただ、こういう映画で前半と後半で視点が変わるのは新鮮だった。冬のある日のなんでもない景色。

《印象的なシーン》悪魔のようににっこりと笑う女性。

ニセ彼女

ニセ彼女

最近見た映画(2022年7月)

ウィッカーマン(1973年、イギリス、監督:ロビン・ハーディ、100分)

『ミッドサマー』に影響を与えた映画ということで視聴。

 思っていたよりずっと『ミッドサマー』だった、というか『ミッドサマー』が『ウィッカーマン』だった。大枠のストーリーは同じだけど、差異も多い。主人公の立ち位置の違いや『ウィッカーマン』のほうが個人描写があっさりしていることもあってホラー味は薄いけれど、北欧のお洒落感(?)が欠けているからか異物感は強い。主人公を比較すると不安定な若い女性と頑迷な中年男性とほぼ逆の属性と性格になっているのも面白く、主人公の倫理観が固まっているだけに『ウィッカーマン』のほうが文化衝突の色合いも濃い。

 郵便局で売られているお菓子の造形、収穫祭の写真≒夏至祭の写真、トーテムをぐるぐる回る人々、太陽神ヌアダの絵、キリスト教との対立、燃え上がる建造物、来訪者の最期、など共通のモチーフも多数あり、たしかに影響は大きかったんだろうなあとわかる。

 オチは彼が信仰する教義*1からすると、本当に「救いがたい」ものだったはずで、贈られる合唱も相まって哀しい。

《印象的なシーン》最序盤のにやにやと笑う島民たち。

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スキャナーズ(1981年、カナダ、監督:デヴィッド・クローネンバーグ、104分)

 意外とゴアシーンは少ない。露骨なのは序盤と終盤くらいで、それ以外はものを破壊したり銃で撃たれて血が出る程度。そういう意味(?)ではゴア描写が苦手な人でも手が出しやすいかもしれない。ただ、当然の帰結として「超能力者バトル」ものとしては若干物足りないものになっている。二回の人体破壊描写はいわずもがなのすばらしさで、個人的には電話回線を経由してコンピューターをスキャンするシーンがサイバーパンクっぽくて好き。

 ストーリーの構造自体は単純だけど、ちょっとわかりにくいところもある。事件が起きた後に説明がなされる(冒頭主人公の「苦痛と攻撃」が説明なく描写されて「主人公がスキャナーという特異体質者で思考の受信/敵対者への攻撃ができる」ことが説明される、みたいなのが繰り返される)という構造が原因だと思う。あと組織/人間関係が入り組んでいるのもわかりにくさの一因ではある。ただ、この辺は正直おまけ程度で、ラストの対決とその意味さえ理解できればそれで充分な映画ではある。

《印象的なシーン》頭部破裂。

 

 

ゲーム(1997年、アメリカ、監督:デヴィッド・フィンチャー、128分)

 深いことを考えずに観るのなら文句なく面白い。画面は派手でストーリーは二転三転、アクションありサスペンスあり兄弟家族ありビジネス描写ありとてんこ盛り。もちろん緩急もキチンとついていて緊張ばかりで疲れるということはない。そういう意味ではとてもいい映画のはず。

 ただ、やっぱりオチ……というか設定の段階でオチを逆算して考えてしまうと「いやいや、いくらなんでもそれはちょっと」と困惑してしまう。オチにもっと説得力を持たせるのならもっと傲慢さを強調するとか、キーパーソンの彼が味方であることをもっと強調するとか、もしくはもっとフィクション係数を高めて、コメディっぽいけど実は……みたいな筋書きにしたほうが良かったのでは……。ただ、巨大な力に状況を操作されて周囲がなにも信頼できなくなってしまうところはどことなくディックっぽくて個人的にはワクワクした。

 後味は悪くないけど居心地が悪い。Wikipediaからの孫引きになるけど宮崎哲弥さんは「自己啓発セミナーでの人格改造の過程を映像化したもの」と解釈したらしい。なるほど。あのラストシーンの居心地の悪さを見事に説明した言葉だと思う。

《印象的なシーン》銃がオートマチックではないことに狼狽するクリスティーン。

 

 

デッドコースター(2003年、アメリカ、監督:デヴィッド・エリス、90分)

 自然現象ピタゴラスイッチ殺人映画。

 もろにB級なタイトルだけど、思っていたよりずっと良く出来ていてサスペンス要素も盛り込まれているし、殺し方の創意工夫も素晴らしい。もちろんゴア描写もレベルが高く、きつくなりすぎるところはキチンとごまかしているところも良い。ただ、中盤で提示された対応策と終盤の回避策が対応していないような気がするけど、どうなんだろう。あと、このタイトルでジェットコースターがでてこないのはどういうことなの。

 なぜか悲壮感がなく単純にスプラッタ映画として楽しむことができる。登場人物たちが比較的事態に対処するタイプで妙に前向きに見えるからか。あと、悲鳴を上げるキャラクターが少ないからかもしれない。

 あとで調べて知ったけど、これ『ファイナル・デスティネーション』の直接の続編なのか。ネットフリックスの関連作品に挙がっていたから世界観が共通する程度の関連性なのかと思ってた。まあ、前作を観ていなくても十分楽しめるとは思うけど、邦題はもうちょっとさあ……。

 ラストはある意味「爆発オチ」。

《印象的なシーン》エアバッグ

 

 

縛られた(2017年、アメリカ、監督:レイモンド・ウッド、12分)

 いい話ではあると思うけどちょっとメッセージ性が強すぎる、というのが正直な感想。ただ、これまでのショートフィルムの中でも頭一つ抜けた作品だから観ても損はしないと思う。邦題が「縛られた」なのも、それが物理的な意味だけじゃない、と考えると良く出来た邦題かもしれない。ただ違和感がすごいからもう一工夫ほしかった。

《印象的なシーン》立ち去る侵入者たち。

縛られた

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*1:キリスト教で火刑にどういう意味があるのかというと……

フィリップ・K・ディック『アジャストメント』[生涯のテーマからさらっと笑えるコメディまで]

「アジャストメント」(Adjustment Team)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊と上位存在。解説にもある通りいかにもディックらしい作品。世界の変化に気が付く場面(P35-39)の焦燥感は流石。ただ、その直後の電話ボックス直送のシーンはちょっと笑ってしまった。しがない勤め人がふとした瞬間に世界の本当の姿に気づき、ある種の重要人物となるのは願望充足*1でもあると思う。召喚係の老犬らしさがなんだか微笑ましい。

 

「ルーグ」(Roog)翻訳:大森望

 ショートショートに近い文章量の作品。初読のときも印象に残っていなくて、改めて読んでもSFと思わせた非SFのオチかなとしかおもえなくて、一応、感想を漁ってみたらそれは違うと指摘しているのを見つけて読み直した。たしかに卵の殻を食べるのはおかしいですね……ただ、鳴き声とその対象の名称が同じなせいでちょっとわかりにくくなっているとは思う。

 

「ウーブ身重く横たわる」(Beyond Lies the Wub)翻訳:大森望

 旧題の「輪廻の豚」も名は体をあらわしていて良いと思うけど、こちらのほうが印象的。不気味といえば不気味だけど、どこか勧善懲悪(?)っぽいしある意味ではハッピーエンドだから個人的には気楽に読める。

 

「にせもの」(Impostor)翻訳:大森望

 偽物。これも典型的なディック作品で「突然降りかかる嫌疑」と「アイデンティティの否定」が分かりやすい形で描かれている。描写としては難を逃れての帰宅直後の描写(P113)が好き。テンポが良い。オチも古典的だけど秀逸。ただ、そんな威力があるならそんなに回りくどいことしないで突入できた時点で爆発したほうがいいと思う。

 

「くずれてしまえ」(Pay for the Printer)翻訳:浅倉久志

 模造。邦題はかなり意訳だけど、オチまで読むと意味深というか悪い意味では使われていないような気がする。ドーズのセリフっぽいというか。もうどうしようもない状況で遅かれ早かれ破綻してしまうという閉塞感が強いけど、どこか前向きに感じるのは(やや安直だけど)ラストシーンに希望があるからなのだろう。原題は支払われていないということなのか、それともラストの暴力(P158)のことを皮肉に表現しているのか。

 

「消耗員」(Expendable)翻訳:浅倉久志

 上位存在(?)。文章量的にはショートショートに近い。オチで乾いた笑いが零れる。

 

「おお! ブローベルとなりて」(Oh, to Be a Blobel)翻訳:浅倉久志

 ある種の傷痍軍人を題材にアイデンティティの問題も描いている。状況はそれなりにシリアスなはずなのにどこかコメディ味を強く感じるのは、たぶんジョーンズ博士のせいだ。特に自分でレバーを引くシーン(P193)はシュールで面白い。オチは逆「賢者の贈り物」というべきか。

 

「ぶざまなオルフェウス」(Orpheus with Clay Feet)翻訳:浅倉久志

 気楽なコメディ作品。こういう楽屋落ち系はけっこう好き。オチもこのタイプの話にしてはちょっと変わっている。発表当時は筆名を変えていたのも良い。ただ、そっちは失敗したら大変な目に合うというか、生きて帰れないような気がする。いや、それも時期によるか。ヒトラーに対して成功した世界が(別作者だけど)『鉄の夢』だったり、なんて考えると楽しい。

 

「父祖の信仰」(Faith of Our Fathers)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊と上位存在。傑作。むかし読んだときは「正体」が明かされるシーンがイマイチよくわからなかったけど、いまはあのシーンがすごく好き。なるほど、あれは、そういう存在になるのか。ちょっと違うけど士郎正宗攻殻機動隊』での人形遣いとの対話のラスト(P275)を思い出す。薬物、別の歴史、テレビの向こう側の偽物、聖痕、と短編ながらディック的な要素がふんだんに盛り込まれている。ちなみに奥原鬼猛という日本人が出てくるけど、漢字はどうやって当てたんだろう。原文に漢字が使われていたってことはないだろうしなあ。

 

「電気蟻」(The Electric Ant)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊と人造物。すごく好きな短編。正体が判明してからの自傷行為とそれに伴う「目の前にある現実の崩壊」はドラッグを連想させる。タイトル的にも前年に発表された『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の変奏曲という感じかな。人造物が必ずしも「アンドロイド」ではないという意味で。最後の一文が妙に印象的。なんというか良い意味でディックっぽくないというか。ただ、そのテープへの加工そので変化が起きるのはちょっと変じゃないかな。あと、エリスン「俺には口がない それでも俺は叫ぶ」もそうだけど傑作SFに紙テープが出てくるとちょっと混乱する。

 

「凍った旅」(Frozen Journey)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊。ほぼ最晩年の先品らしくかなりまとまった短編。文体はすっきり洗練されていて展開もテンポよく進み、船の独り言にはユーモアがあるけれどディックらしい沼に沈むような抑鬱もある。些細な気づきから現実が崩壊する描写、それに記憶がフラッシュバックしてひたすらネガっていく過不足ない描写は素晴らしい。ラストは、それさえも……と思ったけどそういうことではないらしい。たしかに視点が変わっているのだからそういうことか。

 

「さよなら、ヴィンセント」(Goodbye,Vincent)翻訳:大森望

 解説にもある通り「パーキー・パットの日々」を連想する小説。SF色は薄い(パラレルワールドといえなくはない程度)けれどフィクション係数が高くて、なんとなく気に入っている。存在しない人形の物語。

 

「人間とアンドロイドと機械」(Man,Android,and Machine)翻訳:浅倉久志

 この作品だけは小説ではなくスピーチの原稿。序盤は好き、中盤はうーん、終盤は何言っているのかよくわからない……と綺麗にグラデーションに感想が変わっていった。P408の人間性の説明は、理科学的にも文科学的にもたぶん間違っているだろうけど、ディックの良い面がでていて、とても好きな説明だ。「ヒトについて」から「宇宙の構造/世界の仕組み/神」へとシフトチェンジしていく……と思う。どこかで『ヴァリス』っぽい描写があったような気がするけど見つけられない。気のせいだったのかも。正直後半は流し読みしてしまったけど、ディックの特に晩年の思想を理解するうえでとても重要な文章ではあると思う。

 

 

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 ディックの生涯のテーマはいくつかあって「現実崩壊」「人造物とヒト」「上位存在による支配/操作」「模造品」「偽物とアイデンティティの否定」とパッと思いつく範囲でこれだけある。この本に収録されている短編、中でも「父祖の信仰」「電気蟻」「凍った旅」がテーマ性も完成度も高い。個別感想でも書いたけど、特に「父祖の信仰」は盛り合わせセットのようで味が濃ゆい。ほかにも比較的軽く読めるコメディ作品もあり、ディック初心者にも……と思ったけど「人間とアンドロイドと機械」が鬼門になるかな。

 ただ、ここでも書いたけど、やっぱり欠点もある。「アジャストメント」なんかがそうだけど、スッと終わりすぎるというか「あっ、終わりか」と肩透かしを食らうことがある。あと、この短編集の作品はそうでもないけど、願望充足が強すぎる(平凡な勤め人が突然世界の重要人物になる、というセカイ系の親戚みたいな展開や口うるさい妻を捨てて若い女に乗り換える)とか「にせもの」みたいにSF的な小道具がちょっと陳腐すぎたりとか。けど、やっぱり欠点があっても良い作家だし、ずっと好きなんだろうなあと思えるくらいの魅力がある。

 ベストはやっぱり「父祖の信仰」かな。「電気蟻」「凍った旅」も捨てがたいけど、ディック要素欲張りセットでありながら単純に小説としても十分に面白いのは、もうほとんど奇跡だと思う。

 

 

※作品の発表時期や邦題などは「site KIPPLE」を、一部感想などは「Silverboy Club」参考にした。

収録作一覧

「アジャストメント」
「ルーグ」
「ウーブ身重く横たわる」
「にせもの」
「くずれてしまえ」
「消耗員」
「おお! ブローベルとなりて」
「ぶざまなオルフェウス
「父祖の信仰」
「電気蟻」
「凍った旅」
「さよなら、ヴィンセント」
「人間とアンドロイドと機械」

*1:ディックのサラリーマン小説的な側面というか。たしか『死の迷路』のあとがきでそんなことが指摘されていたような気がする。

SFといえばフィリップ・K・ディック

 男はバカだから「初恋の人」を生涯忘れられずに引き摺り続ける、と何かで読んだ記憶がある。これはたぶん真理で、そして「初恋の作家」にも同じことがいえる。少なくともおれはそうだ。

 ディックを初めて読んだのは大学一年生のころだった。せっかく大学生になったのだからそれまであまり手を出したことがなかった海外作家の小説にも本格的に手を出してみようかなと思い立っていろいろ調べていくうちに「読むべきSF100選」みたいなウェブサイト*1を見つけて、その中から(主にタイトルのかっこよさで)この三作品を選んだ。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?月は無慈悲な夜の女王鋼鉄都市

 読んだのはハインラインアシモフ、ディックの順だったと思う。前二作はそこそこで『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』が一番面白かった。というわけでまたタイトルで『流れよわが涙、と警官は言った』を購入。

流れよわが涙、と警官は言った

 これがディックを本当に好きになったきっかけの小説だった……というのは正確な表現じゃない。実はこの小説の解説で大森望さんが水鏡子さんの「ディック断想」から引用する形で「タヴァナーがディック的なアンドロイド」であることを指摘してくれたおかげだ。これがなかったらきっとこの二作品がディックの生涯のテーマである「感情移入能力」について書いた力作であることが理解できなかった。その指摘のおかげで『流れよわが涙、と警官は言った』を読み終えたときの気持ち悪さが解消して、遡って『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』での疑問が氷解した。『流れよわが涙、と警官は言った』のおかげ、というか解説を書いた大森望さんが水鏡子さんの指摘を引用してくれたおかげで好きになったということになる。そして古本屋を駆け巡って短編集を探し回り『ディック作品集』のシリーズで「まだ人間じゃない」や「ジョンの世界」で「あっ、これは星新一*2くらい素晴らしい作家だ」と当時のおれにとって最大級の誉め言葉で賛美し、ディックの作品を探し回るようになった。

 ディックとそれまで好きになった作家……例えば星新一夢野久作との決定的な違いは「一から自分で探して好きになった作家」ということ。それ以前の作家は多かれ少なかれ周囲の誰かを経由して好きになった。星新一は両親がファンで新潮文庫ショートショート集がそれなりに家にあったから好きになったのだし、夢野久作は姉が『ドグラ・マグラ』(大槻ケンヂさんのエッセイ経由で興味を持ったらしい)を半分もいかないくらいで挫折して放置していたのを、気になって読み始めておれのほうが夢中になった。星新一夢野久作も家族からの推薦があったから読み始めたけど、ディックは具体的な言葉による推薦を受けていない*3

 そういう意味で、ディックは「初恋の作家」だ。時系列ではなく精神的な意味で。そして、おれは例に漏れずバカな男の一人だから初恋を引きずり続けている。

 ディックより優れたSF作家はたくさんいる。小説の完成度、という面でディックよりずっと巧い人は数えきれないほどいる。現代の作家はいわずもがな、同じように古典となった作家と比べても、純粋な描写能力ではエリスンのほうがはるか高いレベルにいるし、抒情的な文章ならブラッドベリ、短編の切れ味や完成度ではティプトリーが優れているのは間違いない。もちろん、ディックにはディックの色があるから単純な優劣の問題ではないし、作品単体で行けばその辺の作家に勝るとも劣らないものだってある。けれど、少なくとも短編作品を全体で見たときに優秀とは言い難いのも事実だと思う。ほかの作家とは違うテーマを取り上げることが多くて、それが色合いなわけだけど、それは小説の完成度とはちょっと違うベクトルにある。短編小説の完成度で、ほかの作家より優れているところがある、とおれは即答できるだろうか。いや、たぶん、それは……。

 いままで好きなSF作家と問われれば、フィリップ・K・ディックと答えてきたけど、とても不誠実な答えだったんじゃないか。しょせん初めて好きになったから惰性で好きと言っていたにすぎないのではないか。本当はすぐれた作品とは思っていないんじゃないか。

 今週のお題「SFといえば」ということでディックの思い出を振り返ってみたけど、どういうわけか凹んできた。けれど、せっかくそんなむかしのことまで思い出したのだから、とりあえず短編をまとめて読み返してみよう。答えを出すのはそれからでも遅くはない。まとまったディックの短編集といえばこのシリーズになる。

アジャストメント ディック短篇傑作選 (ハヤカワ文庫SF)トータル・リコール (ディック短篇傑作選)変数人間

変種第二号小さな黒い箱 ディック短篇傑作選 (ハヤカワ文庫SF)人間以前 (ディック短篇傑作選)

 《ディック短編傑作選》はディックの短編集が新品ではなかなか手に入らなかった時期に刊行された短編集のシリーズで、既刊の本と併せてディックの短編をほぼ網羅できるというのが売り文句だった。リアルタイムで刊行された初めてのディックの本ということで喜び勇んで本屋に買いに行った記憶がある。

 実はこの記事を書いている段階で一冊目の『アジャストメント』はすでに読み終えている。短編個別の感想は別で書こうと思っているけど、とりあえず簡潔に。

 下手なところもある。けれど、思っていたよりずっとちゃんとしてるし、あれっ、ちゃんと面白い。良い所だってちゃんと挙げられる。

 ……あれれ?

 正直なところ、当てが外れた。思い出を振り返っているうちに悲観的な気持ちになってきたから、ディックにけりをつけようと思って急遽短編集を見繕った。具体的には今週のお題「SFといえば」という出だしより前の文章を書き終えた時点で読み返したのだけど……極端に明るくなるわけでもなく、決して悲観的に切り捨てることもなく、なんというか「まあ、やっぱ好きだなあ」って感じというか……きっちりはっきりした感情がでてくると思っていたけど、そんなことはなかった。

 まだ一冊目だけど、改めて読み返すことでディック作品と決別するとか、逆にディック作品のすばらしさを再認識して盲信するようになったとか、そんな劇的な変化は起きそうにない。思い出の中で過剰に美化することがあるみたいに、どうも過剰に悪く思い込みすぎていたみたいで、それがフラットな位置に戻るだけになりそうだ。この記事の文章は短編集を読み始める前と後でそれなりに時間が空いているわけだけど、後半の文章を書きながら読み返すと、なんだか別人が書いているみたいだ、と本当に他人ごとのように感じてしまう。

 結局ディックは欠点も多いけど良い作家だよね、なんて毒にも薬にもならない結論に落ち着きそうだ。ブログの記事としてはこれ以上ないほど平凡で退屈でダメなオチになってしまった。けれど、まあ、それでいいのか。初恋なんてそんなものだ。それに、いまもむかしも変わらずディックはディックで、おれにとってSFといえばディックなのだから。

*1:検索したけど見つからない。ブログとかじゃなくて個人が作ったサイトで、たぶん『このSFが読みたい』みたいな雑誌の企画で挙がった作品をリストアップして、既読か未読かのアンケートを取っていた。

*2:亡くなられた方は敬意をこめて呼び捨てにしています。ご了承ください

*3:ウェブサイトで名前と表紙は調べたけど内容はほとんど調べていない