電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

最近見た映画(2022年10月)

メメント(2000年、アメリカ、監督:クリストファー・ノーラン、113分)

 めっちゃ面白かった。見てなかったことを後悔した、というレベルで面白かった。こんな感覚は久しぶりだ。描写の順序が順列ではないうえに時系列が二本あるせいで一度観ただけではちゃんと理解するのが難しいけど、上映順序と作中時間の時系列さえ整理できれば、精巧に作り上げられたシークエンスの複合体が作中時系列のちょうど中間、縄の結び目で二本の時間が合致し全ての謎が氷解する、あの素晴らしい瞬間に脊髄から頭頂に痺れるような喜びが登ってくる至福の時を味わえる。ちなみにこのサイトの図説が一番わかりやすかった。情報を整理するのに最適なので一週目が終わったらぜひ。

 メインアイディアの「ある一定以上記憶を保持できない」というのはミュッチャー・ミューラーのスタンドの元ネタ、ということで知っていたけど時系列の工夫については知らなかったから、そういう方面ではものすごく楽しめた。信頼できない語り手に代表される「主観の不確かさ」は大好きな題材の一つなんだけど、これほど完璧に仕上げられた作品には出会ったことがない。自分が何をやっているのか曖昧な状況での不安感を共有するのに最適の構成。もっとも、序盤のレナードのセリフに代表されるように、この映画で信用できないのは主人公だけではないのだけど。

 一週目はテディとナタリーの好感度がコロコロと入れ替わり、二週目は二人のセリフがどれほど意味深だったかがわかった。三週目ではどんな発見ができるのだろう。

《印象的なシーン》「さてと……俺なにしてんだ」

 

 

コラテラル・ダメージ(2002年、アメリカ、監督:アンドリュー・デイヴィス、108分)

 おっ……おお、もう……おっおお、おおおお、おお?うーん、まあ、そんな感じだよねえ……おっ、おお!おおおお!……おお……。って映画。もっと単純明快爽快アクション映画を期待していた(DVDのジャケット裏の紹介文がいかにもそういう感じだった)から暗い展開にちょっと面食らったけど、決して悪い映画ではない。爽快感は薄いけれどアクションは豊富だし戦い方に工夫もあり、にやりと笑みがこぼれる小粋な台詞もないわけではない。自国/敵国のどちらも過剰に持ち上げも貶めたりもしないところも好印象。終盤の展開も意表を突かれる。

 ただ、黒幕の動きがちょっと不自然というか、どこからどこまでが計算で、どのあたりからその計画を仕込んでいたのかがちょっとよくわからないのは残念。やっぱりあの男は最初から最後まで事実上の操り人形だったのかなあ。

《印象的なシーン》車の底に張り付いたゴーディーが死体と目を合わせる場面。

 

 

パニック・フライト(2005年、アメリカ、監督:ウェス・クレイヴン、85分)

 単純明快。善玉と悪玉が明確でストーリーもわかりやすく、観ていてストレスがない。原題と邦題がぜんぜん違うけど個人的にはこっちのほうが内容を表していて良いと思う。時間も丁度いい長さ。個人的には終盤にもう一波乱あると思っていたからちょっと拍子抜けしたのも事実だけど、終わってみればそんなものはないほうが雑然としなくてよかったはず。良くも悪くも予想と期待を裏切らない。

 悪役とはいえちょっと……というセリフが序盤にあるけど終盤に意趣返しに使うのは流石。飛行機内での出来事にもきちんと前振りが存在していて唐突感はないし、作中描写内での納得感はある。ただ、あの老婦人は意味深だったけど、特別な役割を担っていなかったのには拍子抜けした。あと、悪役はあれやられても走って動き回れるなんて大したもんだなあ……。

《印象的なシーン》空港での追跡と逃亡。

 

 

ミッション:インポッシブル(1996年、アメリカ、監督:ブライアン・デ・パルマ、110分)

 任務と裏切りと組織と個人と復讐と復帰。長く続いているシリーズの一作目だけあってスピーディーな展開と胸躍るアクションは純粋に楽しく約二時間があっという間に過ぎていった。冒頭からたくさん人間が出てくるからちょっと混乱したけど、最終的に四人くらいを把握すれば話にはついていける。ただ、登場人物がいまどこにいて何をしているのかイマイチ把握できないことがあった。けど、まあ、大筋だけでも追うことができれば十分ではあるかなあ。理解はアクションシーンで少しずつ追いついてくる。

 メインテーマはいわずもがなの素晴らしさだけど、あえて無音を貫く場面もあり、過不足ない最良のバランスだった。

 原案のテレビ版から改変されたところが多いらしく、テレビ版のファンからは不評らしい。原作改悪なんて言葉があるけど、基本的には日本特有の問題だと思ってたから意外だった。特にテレビシリーズに出ていた重要人物をわざわざ殺さなくても良かったんじゃなかなあ、とファンでもないのに考えてしまう。

《印象的なシーン》IMF本部金庫室への潜入。

 

 

靴屋と彼女のセオリー(2017年、日本、監督:河村永徳、25分)

全体的にやや過剰。けど、まあ、コメディだからなあ。ちょっと大げさだったけど演技力にかけているわけではないし、なにより台詞が聞き取りやすかったのは良し。短い時間の中で起承転結もあるのは良いけど、最後の手術のいかがわしさが最後のオチに活かされていないのはちょっと残念だった。

《印象的なシーン》「東京オリンピックまで帰ってくるな!」

 

 

Two Balloons(2017年、アメリカ、監督:マーク・C・スミス、9分)

 癒される。キッズ向けのラベルが張ってあるけど、むしろ大人のほうが好きなんじゃないかなと思う。自活可能な飛行船/船舶は子供の頃に思い描いた秘密基地の究極体そのもので、いくつになってもワクワクしてしまう。

《印象的なシーン》ノートを切り取って花を作る場面。

湊かなえ『往復書簡』[詳細感想版]

 通常版が読んでもらえているので詳細版を作りました。

 

《構成》

 全編が手紙のやり取りで構成された連作短編集。作品ごとに主要キャラクターは入れ替わるけど、登場人物や赴任先の国など、小さなつながりがある。ただ、それも直接関連しているわけではなく、世界観を共有しているという程度。

 彼らはそれぞれの過去の「ある事件」を中心に手紙をやりとりし、徐々に事件の真相や登場人物の意外な一面が明らかになっていく。立場や性格によって人物への評価が大きく異なること、そして同じ出来事を経験していたはずなのに、それさえ違う印象をもってしまうことがある。主観の曖昧さ、人や物事の多面性がテーマの作品。

 

 

《収録作》

1.十年後の卒業文集

①登場人物

高倉悦子:放送部。既婚。アフリカ在住だが一時帰国中。悦ちゃん
谷口あずみ:放送部。婚約者がいる。最初の文通相手。アズ、あずみん
山崎静香:放送部。浩一と結婚。二番目の文通相手。静ちゃん。
千秋:放送部。音信不通で結婚式にも来ていない。ちーちゃん。
―――――――――――――――――――
浩一:放送部。学生時代は千秋と交際していたが、静香と結婚することになった。
文哉:放送部。千秋の事故について仮説を立てる。
良太:放送部。悦子の元カレ。
大場:放送部の顧問。

②感想

 たしか田中芳樹先生が言ってたと思うけど、日本の編集者って「冒頭に出てくる人数は多くても三人程度に絞れ。たくさんキャラクターを出すと読者が覚えきれずに混乱する」と指導するらしい。たしかにそうかも。この作品は特に綽名が二パターンあったりしたから余計に混乱した。ただ、すぐに慣れたのは主要人物といえるのが悦子、あずみ、静香、千秋の四人だったからだと思う。

 オチを知って読み返すとP69-70で悦子(に扮した千秋)が浩一の欠点を挙げつらねるシーンは、そのまま千秋の不満だったはずで、そう思うとクスっと笑える。ただ、静香との手紙では、静香が千秋にあまりいい印象を持っていなかったことをかなり赤裸々に書いていて、そう思うとちょっとゾッとする。

 手紙の終盤ではあずみと静香の二人とも事故への後悔と不信を告白するけど、千秋そのどちらにも優しく責任や事件性を否定している。これは千秋が真相を問いただしているというよりは、あずみと静香のわだかまりを間接的に解決してあげているって構図に近い。悦子になり切って書いている都合上、悦子の優しさに見えるけど、本当は千秋の優しさだったのだろう。

 同級生で同性同士というのもあるのかもしれないし、もしかしたら見当違いな感想かもしれないけど、ところどころ現在のステータスで間接的にマウントをとっているようにも見える。作中でもちょっと指摘されているけど、特に静香はそれが目立つ。あと同性同士の会話でいうと、P85の静香の文章みたいに相手を怒らせたら、まずは相手の怒りを肯定し素直に自分の間違いを認めてから自分の考えを書く、というのは生き方が上手いというか、もしかしたら井戸端会議的な感覚なのかな、と思ったりした。

 あとはやっぱり細かいネタがちりばめられているのが良かった。あずみへの最後の手紙で「よかったら、千秋にも招待状を送ってあげてください。喜ぶんじゃないかな」と書いているけど、たぶん千秋の本心だったのだろうし、悦子を名乗っていたのが事件の当事者だった千秋だった、というオチへの前振りとしてよくできていたと思う。最後の最後で、「実は伝承では声に出して願掛けすると願いは叶わなくなる」ことが明かされる。五年前の事件で、千秋は声に出して「浩一のお嫁さんになれますように」と願ったけど、声に出してはいけないことを千秋だけが覚えていたわけで、この時点で千秋は相当浩一と別れたかったのだということが読み取れる。高校時代、本当に浩一を好きだったのは誰か、なんてことを考えて読むと面白いかも。

 

  1. 二十年後の宿題

①登場人物

大場敦史:教員。放送部顧問。「十年後の卒業文集」の文中にも登場。
竹沢真智子:引退した教員。大場にかつての教え子たちと連絡を取るよう依頼する
河合真穂(黒田真穂):既婚。竹沢のことを尊敬している。
津田武之:証券会社勤務。 竹沢に感謝している。
根元沙織(宮崎沙織):既婚。二児の母。竹沢には不信感を抱いていた。
古岡辰弥:土木会社勤務。自罰感情が強い。
生田良隆:元いじめられっ子。竹沢に悪感情を持っていた。
藤井利恵(山野梨恵):看護師。竹沢に相談していることがある。

②感想

 収録作の中で一番意外な結末だった。他二作に比べて話し手の人数が多く、事件や人物への印象が二転三転し、矢継ぎ早にいろいろな情報が飛び出すのが印象的。そう考えると、収録作の中で最も長編向きというか、長編にもできただろうなあ、と思う。

 竹沢先生に対する印象は接触した人物順に「好意/感謝」→「不信」→「後悔」→「嫌悪」→「信頼」となっている。元生徒たちの立場や性格からするとかなり説得力がある。語り口や文体も同じで、特に良隆の手記はかなりそれっぽい。ああいうタイプは絶対に一人称は私でちょっと硬い文章を書くはず……と思えるリアリティがある。

 一作目に引き続き読み返すと印象がガラリと変わる。特に辰弥は良隆の手記でも変わるし、最後のオチを知ってからも印象が変わる。ガキ大将、口が悪いけど他人に気を使えるやつ、強引で嫌な奴、自罰感情が強く繊細だけど善性。中でも良隆の「強引で嫌な奴」って印象は彼の性格からいえばかなりリアル。辰弥との会話はオチを知ってから読み返すとかなり面白い。彼が何を確認し、大場に対してどんな感情を持っていたのかが、やや乱暴な言葉の裏に見え隠れする。

 物事とか人間の多面性ってこの連作短編集自体のテーマだと思うけど、それが最も色濃くでている作品だと思う。その反面、他二作(「一年後の通信網」は掌編なので除外)に比べてミステリ要素は低め。オチはどちらかというとおれが書きそうなくらいのハッピーエンドだけど、正直、事件の真相とはあまり関係がないような気もする。……と思ったけど、辰弥と利恵の自罰感情が問題の根本だったという意味では関係ないわけではないのか。

 竹沢は(多少の異論はあると思うけど)良き教師として描かれている。ただ定年まで勤めあげただけあってどこか頑固さ(P175-176の作文への意見、P180で良隆が指摘する教師の偏見)があるけど、それが却ってリアリティに繋がっている。彼女の夫は珍しく(?)非の打ち所がない善人だった。もちろん、描写の少なさも関係しているのだろう(多いと善人設定でもボロがでたりする)し、かなり周囲に毒づいていた良隆の手記で褒められていたから、というのもあるだろうけど。途中までは「男の子たちと遊びに行って水難事故にあったけど、夫は小児性愛者で手を出そうとして抵抗されて起きた事故なんじゃ……」と気が気ではなかった。杞憂に終わって本当に良かった。

 ただひとつちょっと気になるのが、最後の最後にどんでん返し(元教え子に会ってきてほしいというのは方便で、実は利恵の望みをかなえるためだった)はちょっと不誠実な気がする。もしくは理由付けがちょっと弱いような。倫理にもとるとはいわないけど、大場の責任感の強さを利用している感があるのが気になる。まあ、終わり良ければすべて良しかなあ。

 

  1. 十五年後の補習

①登場人物

岡野万里子:純一の恋人。事件当日の記憶がない。
永田純一:教師。国際ボランティア隊としてP国に派遣されている。
一樹:純一と幼馴染。柔道で県の強化選手になるほどの実力者。
康孝:純一と幼馴染。華奢で本ばかり読んでいる。
――――――――――――――――――――――――――
由美:万里子の友人。恋人から暴力を受けている。

②感想

 一作目と二作目に比べて読み直してもそれほど印象は変わらない。

 漫画家では浦沢直樹先生がよく使うけど、記憶喪失は面白い物語の基本っていうことが再確認できた。情報を小出しにしてわくわくさせられるし記憶を回復させればそれまでの前提をひっくり返してオチを作ることができる。事件の真相は、単純な放火と自殺→煙草による失火→純一が全ての黒幕→一樹を殺したのは万里子、康孝を追い詰めたのは純一、と移り変わっていく。

 一樹が物理的に暴力をふるって康孝をいじめていたのは事実だけど、康孝は人に見えないところで一樹を侮辱し精神的な暴力をふるっていた。善悪が単純ではなくて、いじめも一方的とは言えない。物理的な暴力は目に見えやすく、精神的な暴力は目に見えにくい。それに二人の身体能力や学校での立場の違いが(知らなかったとはいえ)万里子や取り巻きの女子たちに偏見を生んでいたことを考えると、彼女たちが正義とも言い切れない。物事や人の多面性というテーマが強く出ていると思う。生き方や暴力について万里子も純一も、彼らなりに信念があるのも印象的。

 証言によって人物や事件への印象が変わるのは他の作品と同じだけど、読み返しても大きな発見はなかった。理由は他二作にはあった意味深な台詞やオチへの前振りが薄いからだろうけど、逆にミステリ要素は他の二作よりずっと強い。なんだか矛盾してみえるけど……。

 P283の「小説は何度も繰り返し読むと新しい発見があるし登場人物のイメージも変わってくる」というのはこの連作短編集のテーマなんだろう。

 ただ、最後の時効の話はどうだろう。純一が罪に問われるなら放火で、あとは康孝への仕打ちから自殺教唆にあたるのかな。他二作に比べて、どこか薄暗く感じるのは、事故ではなく確実に事件で死人がでているのが理由なんだと思う。自己憐憫というと言いすぎだけど、ちょっとモヤモヤする。

 

  1. 一年後の連絡網

①登場人物

近藤亮介:国際ボランティア隊でT国に赴任。
三浦雅晴:国際ボランティア隊でP国に赴任。
梨恵:国際ボランティア隊でT国に赴任。看護師。「二十年後の宿題」に登場。
純一:国際ボランティア隊でP国に赴任。教師。「十五年後の補習」に登場。

②感想

 7P程度のショートショート。一通目の亮介から手紙で二作目に登場した梨恵が国際ボランティア隊でT国に赴任していることが明かされ、二通目の雅晴からの返信で、三作目に登場した万里子が恋人の純一に会いに行っていたことが明かされる。三作目のフォロー(読みようによっては最後のシーンが本当に幻覚に見えるから?)と、二作目と三作目を繋げて、連作全体が同じ世界で起きたことを強調している。文庫版から追加されたらしくて、ハードカバーからの読者へのサービスに近い。

 

 

《全体の感想》

 書簡形式のミステリで期待されることって「藪の中」的な証言の食い違いや、代筆偽作みたいなトリックだと思うけど、その期待に応えられる連作短編集だと思う。ある人の違う一面、物事の違う一面=表面的な付き合いでは分からない一面、もしくは自分でも気づいてなかった別の性質とも言い換えられる。

 イヤミスの女王っていうのが湊かなえ先生の世間一般のイメージだろうし、おれも、『告白』くらいしか読んでなかったからかなり警戒して読み始めたけど、あの後味の悪さや底意地の悪さはかなり薄く、かなり穏当でそれほどドロドロしてもいなかった。同文庫から出ている『山女日記』も「新しい景色が背中を押してくれる連作長篇」と紹介されているから、知らないだけでそういう作風に方向転換したのかもしれない。

 どの短編も最後の一通に意味を持たせているのが良かった。全体のテーマは人間や事件の多面性だけど、「あの日の事件」の性質や役割が三作三様で面白い。それぞれ一作目は「事故はただの事故で、本当に知りたかったのは真相ではなく、当事者二人の感情」二作目は「事故は単純な美談ではなく大人たちの思惑が絡み合っていて、登場人物の重荷になっていた」三作目は「事件の真相はより残酷なものだったけど、明らかになった真相が登場物の心を軽くした」特に二作目と三作目が好対照だと思う。

 三作しかないしどれも面白かったから、ベストを選ぶのは難しいけど、やっぱり「二十年後の宿題」かな。やっぱりこのくらいのハッピーエンドのほうが好き。

 

 

 

フィリップ・K・ディック『変種第二号』[戦争と人造物+サスペンス=不安]

「たそがれの朝食」(Breakfast at Twilight)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊。短編の諸作品の中でも最も明快にディック的な「不安」が描かれている。時間軸の設定が絶妙で、近すぎず遠すぎない時間設定はラストシーンに説得力を持たせてくれるし、最後のセリフの皮肉味を強化している。書かれた時代を考えると時事性が強いけど、現代にも通じる普遍性があるし。もちろん、そういう小難しいことを抜きにしても「目を覚ましたら世界が崩壊しているかもしれないという恐怖感」を純粋に味っても良い。

 

「ゴールデン・マン」(The Golden Man)翻訳:若島正

 迫害される超能力者はディックが好んで取り上げる題材の一つだけど、その中でも娯楽性の高さは頭一つ抜けている。場面転換と視点の切り替えが多いけれど、それがちゃんと作品の完成度に貢献している。特に、クリス視点の描写はその特性を十分に生かしていていて、ディックにしては、という但し書きがつくかもしれなけど、とても「上手い」小説。ラストで語られる対策はどちらかというと外来生物対策に近くて、それがいかに絶望的であるかをわからせてくれる。あと(原語で読んでないから推測だけど)「dominant」が「顕性」ではなく「優性」と訳されているところにちょっとした時代を感じる。

 

「安定社会」(Stability)翻訳:浅倉久志

 上位存在と人造物と現実崩壊。事実上の処女作なだけあって、若さやゆとりが感じられる。設定は詳細に語られないけれど、なんとなくどういうことかは理解できて、自然と人工/進歩と停滞という簡明な構図があり、わかりやすいオチもついている。ディックが意図してのことかはともかく、考察するスペースが残っているところも含めて、読み切り漫画に纏めたらそれなりにウケそう。平原での声や閉じ込められた邪悪な存在は晩年に傾倒した神学の素地でもある……というのは強引すぎるか。

 

「戦利船」(Prize Ship)翻訳:大森望

 内容は解説にある通り。うーん、まあ……うん。上質な作品とは言えないけど、ドタバタコメディとして読めばそれなりに楽しいし、オチもちゃんとついている。けれど、なんというか「ミスター・スペースシップ」といい、ディックは宇宙船と相性が悪いのかもしれない。いや、「猫と宇宙船」は悪い作品ではないし「凍った旅」は傑作だから、宇宙船と戦争の食い合わせが悪いのかも。独自性で覆い隠せていたチープさが溢れてしまっている。

 

「火星潜入」(The Crystal Crypt)翻訳:浅倉久志

 娯楽性が高い作品。単純明快で読んでいて楽しくて作品内部でおおきな破綻もなく序盤に提示された謎もちゃんと説明してオチもキッチリついている。球体の中の世界というアイディアは、まったく別方向の作品だけど「安定社会」や「世界をわが手に」を思い起こさ、特に「安定社会」とはどこかでつながっていたりしないかな、と考えてみると楽しいかもしれない。

 

「歴戦の勇士」(War Veteran)翻訳:浅倉久志

 人造物。二転三転する展開に入り乱れる人間関係、そして魅力的な設定にそれを巧みに利用したオチと、隙が無い作品。ディックにしては珍しく主人公が理知的で前向きに事態を解決しようとしているところも好印象。ギャネットや愚衆のみなさんの蛮行(P229-230)を悪意のデフォルメと思えなくなってしまったのは悲しいところ。昔はここまで極端な描写を「いやいやそこまで人類は愚かじゃないでしょ」と思っていたけど、昨今の情勢を見ているとそんなに気楽なことは言えなくなってしまった。右も左も、上も下も、色とりどりのみんな。

 

「奉仕するもの」(To Serve Master)翻訳:浅倉久志

 人造物。短く凝縮された良質な作品。「鬱積した不安、狂おしい恐怖と憎悪。」の暴力描写(P334)は静かなだけに却って残酷。自業自得とはいえディックの短編の中でも一二を争うほど救いのない終わりが印象深い。

 

「ジョンの世界」(Jon's World)翻訳:浅倉久志

 現実崩壊。解説にある通り「変種第二号」と同じ世界観のようで、ストレートに読めば後日談ということになる。ここでも書いたけど、ディックの沼に一歩踏み出すきっかけになった作品で、救いがあるような絶望的でもあるようなラストシーンとジョンの幻視がとても印象深い。ただ、むかしはどうだったかわからないけどその手術は……いや終盤の行動からして愛していたのは間違いないんだろうけど……。平穏な世界で哲学を語る(P398)という理想像は「ウーブ身重く横たわる」を思い出させるけど、『暗闇のスキャナー』に代表される晩年作品の神学談義の原風景なのかもしれない。

 

「変種第二号」(Second Variety)翻訳:若島正

 偽物。ディックで五指に入るほど好きな作品。負傷兵、少年、そして……と兵士が好むものが的確に選ばれていくのがたまらない。緊迫感のある序盤の導入から設定が明かされる中盤、そして前振りが良く効いたラスト。切迫したサスペンスにディックの不安、そしてこの本の主題でもある戦争……人とそして機械との争いがこの上ないほど均整がとれた作品に仕上がっている。P492の真ん中付近の二文字、そして次のページで視界に入る「二体」の描写はこういうタイプの作品の教科書になってもいいくらいだと思う。

 

――――――――

 本書は「戦争」という明確なコンセプトのもとに編まれた短編集だけど、もちろん全部がそうとはいえない。「ゴールデン・マン」は明らかに違うし「安定社会」と「奉仕するもの」も比較的濃度が低い。また、明るく前向きな作品がかなり少ないことも相まってかなり暗いトーンの短編集になっている。ただ、満足度の高い作品も多いから暗さに耐性がある状態で読み進めるのがいいのかもしれない。

 とても私的な話なんだけど、「たそがれの朝食」を読んでいると9.11のことを思い出す。あのころはイスラム教という言葉すら知らなくて、学校で教えられる平和教育以上のことを真剣に考えたことはなかった。飛行機がビルに突入する映像は怖かった。ぼんやり生きている子供なりに大変なことが起きていると思ったし、戦争が起きて、日本も参戦することになるだろうと思っていた。もちろん、あれには流れがあったのだろうけど、幼かったおれには予兆を理解することはできなかった。だから朝起きて目が覚めたら戦争が起きていた……という「たそがれの朝食」に最も近い感覚だったことをいまでも思い出す。それはいまも変わっていない。

 ベストはやっぱり「変種第二号」。もちろん思い出深い「ジョンの世界」も推したいところだけど、さすがに「変種第二号」には勝てない。そのくらい良く出来た作品に仕上がっている。

 

 

※作品の発表時期や邦題などは「site KIPPLE」を、一部感想などは「Silverboy Club」参考にした。

収録作一覧

「たそがれの朝食」
「ゴールデン・マン」
「安定社会」
「戦利船」
「火星潜入」
「歴戦の勇士」
「奉仕するもの」
「ジョンの世界」
「変種第二号」

 

ハーラン・エリスン『世界の中心で愛を叫んだけもの』[暴力の嵐、愛情の渦、薬物の雷]

 ここで書いた通り、エリスンは好きだけどこの短編集にはどこか苦手意識みたいなものがあった。話の筋は小難しくてよくわからないまま、暴力の嵐のど真ん中に放り込まれて、ただ翻弄されて終わり、とそんなイメージ*1が強くて……。けど、上記のブログにも書いた通り経年で感覚が変わることだってある。だから読み返そうと思ってはいたんだけど……ちょっといろいろあって後回しにしていた。そうこうしているうちにディック作品を再読することになったりと、タイミングが掴めずにいた……と書くとどうにか格好がつくけど、単に忘れていただけだったりもする。まあ、けど、とりあえず再読できた。

 ということで、まずはやっぱりこの作品「世界の中心で愛を叫んだけもの」。記憶よりもずっと短い作品で、文庫本では18ページくらいしかない。だからといって読みやすいかと言われるとそんなことはない。というか、短いから読みにくいような気がする。徹頭徹尾説明らしい説明はなくて、読者への歩み寄りという概念自体を拒絶しているような気さえする。それができるのも短編作品だからであって、もしこれが中編……とまではいかないまでも、一般的な短編くらいの長さがあれば、それこそ「死の鳥」のように直接説明せずとも意味が分かるほどの情報量が得られることもある。それができないからこの作品は多くの人から「良く分からない」と言われる作品になったのだと思う。

 じゃあ今回はわかったのかと言われると……わかった。なんとなくだけど、内容が理解できた。具体的な説明がなくても粗方わかった。わかった。わかったんだ!おれはこの物語を理解できたんだ!

 そんな感覚は三十分もすると夏日の氷のように融けて消えていった。一時間後には物語の流れを説明できなくなり、三時間後には印象的だったはずのエピソードすら思い出せなくなっていた。その時点でもう一度読み直し、また同じ感覚を繰り返し、ちょっとずつだけど、大体の話の流れとふんわりしたイメージだけは頭に残るようになった。これを「作品を理解できた」と言っていいのかはちょっと微妙なところだけど、初めて読んだときよりは理解できたような気がするのは、まあ、進歩かなあ。

 表題作「世界の中心で愛を叫んだけもの」は短く凝縮された暴力の描写が印象的だけど、ほかの作品も基本的には暴力描写が多い。『マッド・マックス』的な単純明快な暴力ですべてが完結する「101号線の決闘」は印象的。ほかにもアクション小説として「サンタ・クロース対スパイダー」や「星ぼしへの脱出」、マクロな暴力では「殺戮すべき多くの世界」、そして精神的な暴力では「鈍いナイフで」と多種多様にある。暴力と理解しがたい確かな愛情を浴びることできる。

 エリスンの描写力は比類がない。具体的に挙げると「名前のない土地」P207-208の殺人の描写、「殺戮すべき多くの世界」P364-365のサイキロープの描写、「ガラスの小鬼が砕けるように」P405のクリスを発見する場面は、本当に凄まじい。

 描写能力については無類のものがあるエリスンだけど、たとえば「不死鳥」はその強烈な描写能力が十分に発揮された作品だけど、オチがかなり古典的で、人によっては「おいおい」とズッコケるかもしれない。おれはわりと好きだけど。ほかにも「サンタ・クロース対スパイダー」も(当時の政治風刺画が含まれているとはいえ)やっていることはB級SF感が強い。そういう意味で特異なSF発想だとか強烈なオチとかそういうものを求めるべき作家ではないのかもしれないとも思った。もちろん、メッセージ性がないとかそういうことではないのだけど。

 ベストは表題作……と言いたいところだけど「聞いていますか?」かな。どうしてもちゃんと理解できる物語の評価が高くなる。ごく個人的なことになるけど、いつか、突然だれからも認識してもらえなくなるかもしれないという恐怖は、昔から、そして今も心の奥底に根付いていて、だから心の琴線をかき鳴らしてきた。

 とりあえずは読み直せた。完全には理解できたわけではないけど、大方の作品は昔より楽しく読めた。また、少し時間をおいて再読するのもいいかもしれない。

 

 以下、書籍の感想とはちょっとズレる話題。

 ドラッグの描写も多いけどこれは時代性もあるらしい……と、どこかで読んだけど覚えていない。エリスンはそういう時事性と無縁なイメージがあったけど、そういうわけではないみたいだ。ドラッグと暴力(≒倫理的なタブー)は当時の流行題材だった、とすると本書の収録作の多くはその範疇にあるともいえる。そう書くとなんだか通俗的でがっかりしてしまいそうだけど、冷静に考えてみれば、そりゃあそうだ。だってあれだけ通俗性に気を付けて普遍的な物語を作っていた星新一にすらそういう面があるのだから。本筋から外れるから詳しくは書かないけど、初期の作品を読んでいると環境問題や人口爆発のような時事ネタが色濃いショートショートもけっこう書かれている。

 変な結論になるけど、どんな素晴らしい神様みたいに見える作家も、その時代の範疇にある、生きた人間だったんだなあ……と思う。

 

 

収録作一覧

世界の中心で愛を叫んだけもの
「101号線の決闘」
「不死鳥」
「眠れ、安らかに」
サンタ・クロース対スパイダー」
「鈍いナイフで」
「ピトル・ポーウォヴ課」
「名前のない土地」
「雪よりも白く」
「星ぼしへの脱出」
「聞いていますか?」
「満員御礼」
「殺戮すべき多くの世界」
「ガラスの小鬼が砕けるように」
「少年と犬」

*1:いや、改めて読んでみたらそんなに間違ってはなかったけど

最近見た存在しない映画(2022年9月)

告白―コンフェッション―(2000年、日本、監督:川本伸治、105分)

 まずはやっぱりビジュアルが素晴らしい。原作の作風が割と劇画寄りなことを加味しても浅井と石倉のどちらも原作のビジュアルを忠実に再現しているのはもっと評価されるべき。原作はほとんどクローズド・サークルで山小屋で物語が完結するけど、本作はけっこうアレンジが入っていて、山に登るより前の人間関係が挿入されている。正直、ちょっと間延びしただけで邪魔だった気はするけど、あれがあったからこそ石倉の激昂に説得力がでている。ほかは特に目立った追加描写はなかったと思うけど、さゆりの顔が意図的に隠されていたのはどういうことだったんだろう。あまり意味がある演出には思えなかったけど、さすがに無意味にあんなことするわけないからなあ……。

 原作の印象的なセリフ回しはたいぶマイルドになっているのがちょっと残念だけど、原作の良さは十分活かされている。山小屋での対峙はテンポも良く迫力があって素晴らしいし、不安を画面の暗さや音で表現しているのも良い。始まりと終わりに同じセリフがナレーションとして挿入されているけど、始まりが二人の声色だったのに終わりが一人になっていたのも、オチを考えるとゾッとする素晴らしい演出だと思う。

 原作からしてもそうだったけど、台詞にならない演技が素晴らしい。結末を知ってからもう一度観ると浅井の表情が硬くなるタイミングにすべて意味があることがわかるはず。そういう意味で何度も観返したくなる良作の映画。

《印象的なシーン》石倉の告白を聴いたときの浅井の表情。

 

 

シリウス・ゼロ(1950年、アメリカ、監督:ニューマン・スター、91分)

 筋書きはシンプルでSF的な特殊効果もそこそこ。ブラックユーモア……というよりはシュールな笑いに近い。大別すると冒険コメディになるのだろうけど、ギミックがかなり凝っていて、特に「帽子をかぶった蝶ネクタイの巨大な駝鳥」は、時代を考えると頭一つ抜けた出来のはず。

 原作がシンプルな短編小説なだけあって、かなり膨らませている。筋書きがシンプルな割にあちこちへと寄り道をしているのは、どうにか尺を稼いで上映時間を伸ばそうとしているようで微笑ましさすら感じる。ちなみにテントにたどり着くまでに出会う珍妙奇天烈な生き物/出来事はそのほとんどが、当時の社会情勢を皮肉ったもので、ブラウンの原作にはそんな要素はなかったから賛否両論らしい。ただ、その辺の世相のことは知らなくても十分楽しめる作品……なのは喜ばしいのか哀しいのか。

《印象的なシーン》にゅっと顔を出す駝鳥。

 

 

悪霊少女(2022年、日本、監督:今井八朔、79分)

 アニメーションと実写を織り交ぜた意欲作……ではあるんだけど、ちょっと繋ぎが雑でアニメと実写が融和しているとは言えないのは残念。ただ、その辺の違和感に目を瞑れば、暖かい画風に疾走感のある動画*1、実写のパートでの絶妙な表情の演技は素晴らしく、ストーリーも原作の音楽を良い意味で膨らませているし挿入歌の位置も完璧、と申し分ない。そういう意味では普通に作ったほうが良かったのでは、と思わざるをえないけど、チャレンジしてみることに意味があるというのも事実だから何とも言えない。

 個人的には父親と母親の態度の違いがより明確になっているところが気に入っている。もちろん、あの描写は歌詞解釈の一つに過ぎないわけだけど、あそこを明確にしたことで、少女が涙の意味合いを使い分けて「大人」になることの意味が強調されているのだと思う。作中に頻出する言葉として「変貌」と「成長」があるけど、そのどちらも極めて肯定的な意味合いで描いているのも興味深い。〈七つの色合い〉を帯びる〈涙〉に象徴される「嘘」はたしかに酷い変貌ではあるのだけど、同時に賢明な「大人」としての成長でもあるのだから。

《印象的なシーン》「うそつき」

悪霊少女

悪霊少女

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組織は文字でいっぱい!(2017年、アメリカ、監督:ヴァイオレット・トゥリーズ・ベル、117分)

 ファンタジー/SFを舞台にしたお仕事コメディ作品の中でもかなりの変わり種で、下級官吏の男がただひたすら文書処理に忙殺される様子をただひたすら描いている……と書くと退屈な映画にみえるけど、ぜんぜんそんなことはない。コメディ部分はブラックユーモア的で笑わせられるし、同時に現代社会にも通じるものがあって苦笑いを零すのがやっとという場面もある。

 元ネタも様々でおれは古代中国系のネタ(城壁に囲まれた都市国家で竹簡にひたすら文字を書き続ける、使ってはいけない文字を書き換える作業が存在する、すれ違いざまに両手を前に組んで挨拶をする、など)しかわからなかったけど、古代地中海世界や日本、それに近代アメリカや現代アフリカの行政ネタも含まれているらしい。どの時代でも事務処理って大変なんだなあ……。

 ちなみに作中の皇帝にも元ネタがいる。おれは衣装が古代中国っぽかったから始皇帝か、もしくはちょっとひねって雍正帝かなと思ったんだけど、実際はフェリペ二世だった*2西洋史は詳しくないからよく知らないけど、フェリペ二世も勤勉な君主だったけど、真面目が過ぎて何でも自分で処理しようとする傾向があり、同時期にイギリスの君主だったエリザベス一世と好対照だったと聞いたことがある。……まあ、結末を考えると製作陣がフェリペ二世とエリザベス一世をどう評価していたのかは明らかで、ちょっと同情してしまう。

《印象的なシーン》副葬品の日誌を発見して狂喜乱舞する史学者。

 

 

なき声(2023年、日本、監督:真崎有智夫、5分)

 シンプルイズベスト……はちょっと言い過ぎだけど、五分のホラー映画にしてはそれなりに良く出来ている。淡々としたモノローグ、視点が窓から部屋の中へと移ることで恐怖を煽り、オチも簡潔でゾッとさせられる。ただ、いくらなんでも内装や衣装がチープすぎるし、飼い猫に至っては登場すらしない。たぶん、窓の外の存在のメイクに予算のほとんどを持っていかれたんだろうなあ……。

《印象的なシーン》窓の向こう側の歪んだ笑顔。

*1:MVを担当したMerry Wijayaの才能が、文字通り爆発するシーンは必見

*2:パンフレットの監督インタビューで言及されていた

最近見た映画(2022年9月)

ガンズ・アキンボ(2019年、イギリス・ニュージーランド、監督:ジェイソン・レイ・ハウデン、98分)

 魔法の杖の代わりに金属の銃を握らされた生き残った男の子っぽいおじさんが、名前を言ってはいけないあの人みたいなスキンヘッドのおじさんに殺し合いYouTuberを強制される物語。

 設定を一目見ただけでだいたいどうなるのかを了解できる、という意味ではとても親切な映画。さっきまで猛者たちを瞬殺していたのに銃の撃ち方すら知らないド素人を殺すのに手間取ったり、そのド素人が覚醒したら急に射撃が上手くなったりすることへの説明は一切ないけど、そんなことを気にするほうがどうかしている。痛快で楽しく、まあそこそこ勧善懲悪でアクションシーンはよくできている。特に終盤は倫理観ゼロヒューマンズによる最低下劣な『トゥルーマン・ショー』といっても過言ではなく、B級映画の面目躍如といったところ。個人的には「生き残ってしまったらエンディングで扱いに困りそうなキャラクター」を上手に処理していったなあ、と感心した。

《印象的なシーン》「いわば殺人スターバックス、皆殺しマクドナルドだ」

 

 

孤独なふりした世界で(2018年、アメリカ、監督:リード・モラーノ、93分)

 タイトルが気になって視聴。かなり好き。本当、冒頭の五分くらいは説明もなく淡々と作業を進めるだけで味気ないけど、それさえどういうわけか魅力的。目を惹く展開や派手なアクションも小粋なコメディも特異なSF的発想もない。なのにこんなに気に入った。まだ、どう表現していいかよくわからないけど、少なくとも今年観た映画の中ではかなり上のほうにくるかもしれない。

 ただ、設定への説明がかなり薄いことや、後半の展開がかなり……古典的というか、はっきり言って陳腐なのは否定できない。ちょっと検索してみたけど、やっぱりそこが引っかかっている人も多いみたいで、さっき挙げた娯楽要素の薄さと併せて人を選ぶ映画なのかもしれない。ただ「謎だらけで終わった意味不明な映画」と言っている人もいたけど、それはちょっと不当だと思う。彼女の首の傷だって終盤に描写があったし、二人の心情の変化や行動原理も意味不明とはいえない。もちろん具体的な言葉による説明は薄いからわかりにくいのは否めないけど……。

 終末後の世界ポストアポカリプスで変わり者の男女二人が共同生活をするという意味ではアルフレッド・べスター「昔を今になすよしもがな」を、ヴィジュアル面での評価は高いけどストーリー自体は良くいっても古典的、悪く言えば陳腐な映画として『ファンタスティック・プラネット』を思い出す。どちらも好きな作品だから、結局こういうのが好きなのかもしれない。

《印象的なシーン》図書館で住所が書き留められた本を必死に探すデル。

 

 

ショウタイム(2002年、アメリカ、監督:トム・ダイ、95分)

 やっぱり堅物のベテランは軽薄な若者と組ませるに限る。最初は「いやいや、いくらなんでも街の治安も報道者の倫理観も劣悪すぎるだろ」と思っていたけど、その辺が受け入れられれば楽しい映画。軽薄な若手でしかなかったセラーズが別方向に才能を開花させたり、人間味が薄かったプレストンが動物に愛着もったりするのも、ベタだけど良かった。終盤の展開も序盤の「ちょっとそれは……」をある程度解消してくれるし、派手な画面で楽しい。往年のポリス映画へのパロディもあるらしいけど、その辺はよくわからなかった。

 個人的に主人公二人に人殺しをさせなかった、させないように工夫したのは好判断だと思う。いや、殺したようなもんだろってシーンはあるけどトドメをささせないっていうのはコメディを作るうえでけっこう重要(特に今作のような刑事ものでは)で、後味がどういうものになるかを決める要素のはずだから。

《印象的なシーン》最後の突入前に二人が同じことを思いつく場面。

 

 

ストーカー(1979年、ソビエト連邦、監督:アンドレイ・タルコフスキー、164分)

 だいぶ前に読んだから記憶があいまいだけど、原作の終盤に出てきた設定をピックアップして膨らませた作品という印象。映像的な素晴らしさは本当に流石で、色調の変化も相まってただ画面を眺めているだけで楽しめる。哲学的な会話はそんなに興味をひかれなかったけど、二度ほどある明らかにカメラに向かって話すシーンはなぜかゾクゾクした。ゾーンの描写が素晴らしい。なんというか少年が思い描く冒険を大人がキッチリ作り上げているというか、深刻で重苦しい映画なのにどこかワクワクしてしまうのはそういうところがあるからだと思う。ちなみに、映像はもちろん褒められるけど音響も素晴らしくて、特に水たまりを踏み抜いた時の水音はしばらくそこだけリピートして聴いたくらい好き。ピチョッチャッピッショ。

 ただ、これは各種感想サイトでも言われていたけど、いくらなんでも長すぎるし派手な展開があるとは言えないから、人を選ぶのは間違いない。おれも薄暗い映画館で観たら眠くなっていたかも。

 ちなみにWikipediaから知ったんだけど製作会社の公式YouTubeチャンネルで無料視聴することができる。当然YouTubeの広告が入るから興ざめするところはあるけど手軽に高画質で合法的に観れるのだからそれくらいはねえ。原語版しかないけど、日本語字幕も実装されていて、精度もそれなり。数か所あからさまに妙な訳出や誤字があるけど、少なくとも自動翻訳ではないみたいでちゃんと場面に合った翻訳になっている。

《印象的なシーン》部屋の直前、雨が降り出す場面。

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ジャックは一体何をした?(2017年、アメリカ、監督:デヴィッド・リンチ、17分)

 セリフ回しは好きだけど微妙に会話がかみ合っていない。何って言われたら良く分からないけど、雰囲気は楽しめる。言葉が分からないはずの猿も撮り方によっては人間っぽい仕草に見えるという実験映像かなあ……と思いながら眺めていた。

《印象的なシーン》妙に薄そうな珈琲。


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ANIMA(2019年、イギリス、監督:ポール・トーマス・アンダーソン、15分)

 映画というかミュージックビデオに近い。それなりにストーリー性はあるけどセリフは一切ないから推測するしかない。ただ、ダンスのレベルは高いし場面展開がそれなりにあって退屈はしないはず。15分でキッチリ終わるところも好印象。

《印象的なシーン》白い坂みたいなところでもみくちゃにされるシーン。


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NHK『星新一の不思議な不思議な短編ドラマ』[色とりどりの作品を押さえた良質なドラマ作品]

 原作にかなり忠実なドラマ。15分という尺も、間延びはしないけどアレンジの幅が程よく残っていて絶妙。素晴らしい。気軽に観れる明るい作品、思想色が強く鬱々とした作品、意外なオチがついた作品、雰囲気を楽しむ作品と、星新一*1の作品の中でも色とりどりに取り揃えられている。

 星新一作品のパブリックイメージは「どんでん返しのオチがついたスマートなショートショート」だと思うけど、1000編以上も書いていれば当然そうではない作品も存在する。何とも言えない雰囲気や特異な状況を楽しむ作品もけっこう多い。雰囲気でいえば「冬の蝶」や「月の光」なんかが比較的有名で、ドラマの作品で言えば「薄暗い星で」が該当する。そういう作品もキッチリ映像化してくれたのは英断……はちょっと言い過ぎだけどかなり良い判断だったと思う。

 事前告知番組でAマッソの加納さんと東野幸治さんが「コントっぽい」と言っていたけど本当にそう思う。コントに詳しいわけじゃないから見当違いなことを書いているかもしれないけど、星新一には良く出来たコントのような作品がけっこう多くて、例えば「すばらしい食事」は前振りも効いているしドタバタは楽しく、そして最後にはゾッとオチが用意されていて、ブラックユーモア系のコントとして本当にそのまま使えるんじゃないかと思うくらいの作品だ。二人の話を聞いていると芸人による星新一作品のコント化なんてチャレンジがあってもいいんじゃないかなと思ったりもした。

 それぞれ基本的には原作に忠実だけど、もちろんいくらかはアレンジが施されている。例えば「白い服の男」は字幕で世界観を説明して分かりやすくなるよう工夫しているし、「生活維持省」は冒頭の芸術家の死や恋人との描写でラストの物悲しさを強調している。特に「窓」はテレビが全盛を誇っていた時代に書かれた作品なだけに現代的なアレンジが強めに出ている。

 全18作品*2の中でベストはどれかと問われると、やっぱり「処刑」になるかなあ。前後編になるだけあって気合が入った作品で、原作ともコミカライズ版とも違った味*3がして面白い。ほかにも「ずれ」は原作のドタバタを楽しい喜劇にキッチリ仕上げているし「ものぐさ太郎」声帯模写の達人という設定を(やや飛び道具的だけど)うまく表現していている。「薄暗い星で」は主役二人の雰囲気がほぼすべてと言っていいくらい役者の存在感がすごく大きなオチはないけど何度も観たくなる魅力がある。「白い服の男」は原作が大好きだから*4というのもあるけど、星新一にしては珍しい直截な暴力をうまくコントロールしつつ主題を損なわず描いている。

 もし、また同じような企画が立つなら、ぜひ「暑さ」をやってほしい。とても好きな作品の一つで、派手さはないけど一昔前にネットで流行った「意味が分かると怖い話」のようなジットリとした切れ味がたまらない。ほかにも「マイ国家」「夜の流れ」、上でも挙げた「すばらしい食事」なんかもショートドラマに向いていると思う。永遠に湧き出る油田のように名作のストックがあるのだし、世間でも好評のようだから長いスパンで続いていけばいいなと一ファンとして思う。ちなみにエンドロールの音楽が素晴らしいからぜひサントラを出してほしい。

 各話の原作については星新一 ショートショート1001を参照した。

 

 

 

放送リスト

ボッコちゃん(脚本/演出:近藤泰教、出演:水原希子
生活維持省(脚本/演出:望月一扶、出演:永山瑛太
不眠症(脚本/演出:尾沼宏星、出演:林遣都
地球から来た男(脚本/演出:永岩祐介、出演:高良健吾
善良な市民同盟(脚本/演出:安里麻里、出演:北山宏光
逃走の道(脚本/演出:渋江修平、出演:村杉蝉之介 コウメ太夫
見失った表情(脚本/演出:菅井祐介、出演:石橋静河
薄暗い星で(脚本/演出:望⽉⼀扶、出演:染谷将太 栗原類
白い服の男(脚本/演出:萩原翔、出演:滝藤賢一 村上虹郎
ものぐさ太郎(脚本/演出:加藤秀章、出演:荒川良々
窓(脚本/演出:平田潤子、出演:奈緒 リリー・フランキー
凍った時間(脚本/演出:望月一扶、出演:村上淳
夜と酒と(脚本/演出:⽣越明美、出演:竹原ピストル 夏帆
ずれ(脚本/演出:宇野丈良、出演:若葉竜也
もてなし(脚本/演出:森山宏昭、出演:柄本時生
鍵(脚本/演出:小関竜平、出演:玉山鉄二
買収に応じます(脚本/演出:近藤泰教、出演:田中直樹 加藤諒
処刑(脚本/演出:柿本ケンサク、出演:窪塚洋介

*1:故人は敬意をこめて呼び捨てにしています。以下すべて同じ。

*2:前後編は一作品としてカウント。

*3:本当に個人的な解釈だけど最後のシーンは「人生の意味は命数を使って何を成し遂げるかにある」と、原作/コミカライズ版とは違ったニュアンスで描かれている。

*4:長くなるから別で書くかもしれないけど、星新一の中でも最もSFらしいのがこの作品だと思う。科学的という意味じゃなくてSF的な性格の悪さが物凄く良い方向に作用している。おれにユートピアディストピアというSF的感性を叩き込んでくれた作品。