電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

死ぬまでにお琴を習いたい

 最近、米津玄師さん*1をよく聴いている。

 それまでも身内にそれなりのファンがいたからそれなりに耳にしてはいた。姉はハチ時代から母は「Lemon」から好きでよく「この曲*2がいい」と話してくれていたけど、そんなにピンとこなくてあまり積極的に聴こうとはしなかった。それが変わったのが5thアルバム『STRAY SHEEP』で、音楽的なことは何もわからない音楽偏差値劣悪人間のおれを高い攻撃力で上からぶん殴るような強烈さがあって一発で打ちのめされて、それから過去の作品を含めてアルバム単位でちゃんと聴くようになった。

 シングル曲はもちろんのこと、アルバム曲なら、「ひまわり」は反骨精神がカッコよくて、「春雷」は存在しない透き通るような初恋の記憶が鮮やかによみがえる。賑やかな描写なのに寂しさのある「vivi」、自己嫌悪の滲む後悔が胸を突きさす「シンデレラグレイ」、優しさと強さそしてささやかな厳しさのある「WOODEN DOLL」も好きだけど、中でもお気に入りは「アイネクライネ」だ。

アイネクライネ

アイネクライネ

  • 米津玄師
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 この曲は岡野昭仁さんのソロライブ「DISPATCHERS vol.2」でカバーされていて、そのときも「おっ、いいじゃん」くらいのことは思っていたけど、改めて聴いてみると恋人同士ではなくて親から子への愛情の歌であることに気づかされた。

〈誰かの居場所を奪い生きるくらいならばもう/あたしは石ころにでもなれたならいいな〉が〈あなたが居場所を失くし彷徨うくらいならばもう/誰かが身代わりになればなんて思うんだ〉へと変わる。自分のことでは弱々しく後ろ向きだったのが、わが子のことでは、強さとある種の残酷さを身につけている。歌詞が全体的に儚さや優しさ、そして弱さを感じさせるだけに、この変化は際立っていて、心を揺さぶられる。長くなるからこれ以上書かないけど〈名前〉を呼ぶ/呼ばれるという関係性も恋人というよりは親子の関係を連想させる。もちろん、これはおれの独自解釈でしかないけど、弱さと哀しさ、そして暖かで儚い愛情が心を震わせる。

 米津のオールタイムベストなのかと聞かれると迷ってしまうけど、少なくとも五指に入るくらいには「アイネクライネ」が好きだ。

 アイネクライネで思い出したんだけど、小学校高学年の頃にクラスの学習発表会的なものでクラシック音楽を演奏することになったんだけど、そのときに演奏することになったのが「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だった。

 具体的な内容はあまり覚えていないけど、小学生にしてはそれなりの種類を演奏することになっていて、音楽室の倉庫に眠っていた楽器をたくさん引っ張りだした記憶がある。もちろん、とはいっても大部分は鍵盤ハーモニカとリコーダーを担当することになる。おれは音楽センスゼロだから当然リコーダーになるかなとぼんやり思っていた。

 で、楽器決めの話し合いで人気のある打楽器系はすぐに決まったけど、地味な割に難しそうな楽器は中々決まらなかった。その一つがアコーディオンだった。結局最後まで決まらなくて、配分の指揮を執っていた子が途方に暮れていたら、それまで黙っていた担任の先生が鶴の一声。

「背が高い順に男四人、お前らアコーディオンをやれ」

 ……えっ? どういうこと? 背の高さと楽器の演奏能力は関係ないでしょ。いや、百歩譲って吹奏楽器だったら肺活量で関係あるのかもしれないけど、アコーディオンはマジで関係ない。先生曰く「アコーディオンは前列に座って演奏するから背が高いほうが見栄えがする」ということらしい。えぇ……最初から演奏に期待してないのかよ。

 いまは中背中肉おじさんだけど小学校高学年くらいまでは田舎の学校ということもあってそれなりに背が高い方だったおれもギリギリ四人に引っかかってしまった。もちろんアコーディオンなんか弾けない。だって鍵盤ハーモニカすらまともに演奏できないんだもん。

 一応指導役に吹奏楽部の女の子が一人ついてくれて熱心に教えてはくれたけど、どうにもならない。バスケ部三人と野球部一人の繊細さのかけらもない小学生を短い指導時間で一人前にするなんて土台無理な話だ。鍵盤の位置も覚えられないし、楽譜も読めないし、そもそも音の違いもわからない。低いドと高いドとか言われても……と困惑したことを覚えている。

 もちろん、ほかの三人も同じだった。どうにもならないまま本番を迎えた。

「ソ・レ・ソ・レソレソシレ、ド・ラ・ド・ラドラファラレ」

 覚えれたのはこれだけ。あとは空気を抜くボタンを押して音が出ないようにしながらひたすら弾いているふりをしていた。ちなみに飾り物の男四人のうちおれを含む三人は無理なものは無理と開き直っていたけど、もう一人はまじめな性格で本番一人だけ真っ青な顔で演奏していたと見に来ていた母から聞いた。発表会自体は拍手喝采で終わったから、アコーディオンはいてもいなくても同じだったらしい。そういう意味で先生の選択は間違ってはいなかった。

 けど、せっかく珍しい楽器を任されたのだからもうちょっと真面目に頑張ってみるべきだったのかな、なんてことをこの歳になると考えてしまう。

 そんな音楽センスのかけらもないおれだけど、人生で唯一褒められた楽器がある。

 琴だ。

 いや本当、冗談ではなくて、マジで。リズム感覚も音感もゼロのおれだけど、どういうわけか中学三年生の音楽の授業で触らせてもらった琴だけは上手く弾けていたらしい。弾いていた感覚はまったく覚えていないけど生まれて初めて音楽の先生に褒められたことだけは覚えている。褒められたんだから上手だったのだと思う。……いま考えるとおれが特段上手かったわけじゃなくて、ほかのクラスメイトがまじめにやっていなかったから相対的におれが褒められていただけだったような気もする。けど、まあ、せっかく音楽で褒められた記憶があるのだから、素直に上手かったのだということにしておこう。

 年代によるかもしれないけど、男が一度は演奏してみたい楽器といったらたいていはギターかベースのようなバンドで演奏する楽器だと思うんだけど、おれはあの日からうすぼんやりと琴にあこがれを抱いている。

 というわけで、おれは時間と金に余裕ができたら琴を演奏できるようになりたい。死ぬまでに一度くらいは挑戦できるんじゃないかなと思っている。弾けるようになったら『三国志演義』で諸葛亮がとった空城の計みたいでかっこいいし。

*1:以下敬称略。

*2:たしか「ゴーゴー幽霊船」や「ししど晴天大迷惑」を薦められていた記憶がある。