電羊倉庫

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フィリップ・K・ディック『模造記憶』〔有名作と隠れた傑作となんともいえない作品とここでしか読めない短編と〕

 収録作の大部分が既読。主に中期の作品を収録しているらしい。タイトルの通り「つくりもの」を題材にした作品が多い……わけでもなさそう。どちらかというと「追憶売ります」の存在感からタイトルがつけられたんじゃないかな。大森望編『ディック短編傑作選』シリーズで書いた作品の感想は省略して初読の作品のみ記述。

 

「想起装置」(Recall Mechanism)翻訳:友枝康子

 いい意味でも悪い意味でもディックらしくない作品。設定の整合性がとれていて意味のあるオチもついているけど、その反面ディックの持ち味はそれほど感じられない。別のペンネームで書かれていたらディックと気づかないんじゃないかな。予知夢と精神分析医を登場させるのはディックらしいけど、それくらいかな。面白いけど他人に勧めたいほどかと言われると……という作品。全体的にややブラックユーモア的でもある。

 

「囚われのマーケット」(Captive Market)翻訳:山田和子

 上位存在(?)。描写や人物造形や展開が成熟しているという印象(もちろん、ディックにしてはという但し書きがつくけど)がある。あまりそういう小説を読まないから朧げなイメージでしかないけど主流文学目指しているならこういう感じで書いた方が良かったんじゃないかな。徹頭徹尾冷淡で自己中心的な老婆がすべてをコントロールしてしまう恐ろしさは晩年の神学につながるものがある……といえなくもない。感情移入能力を欠いているという意味では生身の人間だけど人造物的なキャラクターでもある。選択したのはいいけど、やっぱり相手方には半分ばれているみたいだから次こそ殺されるのでは……いや、それすら選ぶことができるのか。未来を選択するという意味ではタイムループものに近い。

 

「ミスター・コンピューターが木から落ちた日」(The Day Mr.Computer Fell out of its Tree)翻訳:浅倉久志

 うーん。未発表作品なだけあるなあ、同じ未発表作品でも「欠陥ビーバー」とは大違いだなあ、タイトルは好きかなあ、というのが正直なところ。ディックの小説は全般的にそういう傾向があるけど、これはいくらなんでも願望充足が過ぎるんじゃないかなあ。発狂したコンピューターが引き起こす大惨事、ラジオドラマが大好きな冷凍美女、と笑える設定はそこそこあるから気軽なコメディとしてはそれなりに楽しめる。エリスン「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」とは同じ題材をとっているともいえるけど、こんなに違うものが出力されるのも面白い。

 

「逃避シンドローム」(Retreat Syndrome)翻訳:友枝康子

 現実崩壊。かなり好きな作品。「凍った旅」「追憶売ります」の亜種ともいえる作品。主人公は典型的な信頼できない語り手で客観的真実というもの存在しえない世界であるがゆえに不安感と独特の気持ち悪さが際立つ。なにもわからず盥回しにぐるぐる回る。ガニメデの反乱という社会的な問題が妻との離婚調停という個人的な問題と密着しているのもディックらしい。こういう作品こそ映像化してほしいけどやっぱり難しいんだろうなあ。

 

「逆回りの世界」(Your Appointment Will Be Yesterday)翻訳:小尾芙佐

 同名長編小説の原型ということになるけどかなり違うテイストの作品に仕上がっている。長編の方を読んだのかなり昔だからうろ覚えだけどこんなにコメディっぽい作品ではなかったはず。教祖とのやり取りは不条理系コントにありそうな感じで切実で倦怠感があるだけに楽しく読める。

 

「不思議な死の記憶」(Strange Memories of Death)翻訳:深町眞理子

 なんか好き。なんなんだろう。SFというわけではないしそもそもフィクションなのかも曖昧というかなんだかエッセイ風の作品にも思える。作品系統はまったく違うけど「さよなら、ヴィンセント」を思い出した。《リゾール女》という言葉が忘れ難い印象を残す。

 

 

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 ほかの短編集に比べてコメディ傾向の強い作品が多く、そういう意味で雰囲気は明るいものがある。2024年現在この短編集でしか読めない作品がけっこうあるのも特徴の一つ。新潮文庫で出ているディックの短編集はとりあえずこれだけ買えばOK。個人的に好きな短編が多めに収録されていて満足度の高い一冊だった。ベストはやっぱり「この卑しい地上に」かな。「欠陥ビーバー」「逃避シンドローム」「追憶売ります」も良いけど、やっぱり完成度では頭一つ抜けている。

 

 

収録作一覧(当該短編の感想はリンク先)

「想起装置」
「不屈の蛙」
「あんな目はごめんだ」
「この卑しい地上に」
「ぶざまなオルフェウス」
「囚われのマーケット」
「欠陥ビーバー」
「ミスター・コンピューターが木から落ちた日」
「逃避シンドローム
「逆回りの世界」
「追憶売ります」
「不思議な死の記憶」