電羊倉庫

嘘をつく練習と雑文・感想など。ウェブサイト(https://electricsheepsf.web.fc2.com/index.htm)※「創作」タグの記事は全てフィクションです。

最近見た存在しない映画(2024年1月)

ドリブレッドをおくれ(2010年、アメリカ、監督:クラレンス・メツガー、124分)

 ほんの少しの水ドリブレッドを巡る人々の葛藤を淡々と描いている。背後にある陰謀論的世界と、それに関わっているはずなのに事態の進行から疎外され続ける主人公のK・カフ(K.Cuf)のどこか超然としているようでもただただ狼狽えているようで主体性はないのに次々と人々が接触してくる。〈水〉の行方は結局謎に包まれたまま物語は終了し、カフの絶望とも安堵ともとれる顔のアップで幕を閉じる。これは本当に役者がすごい。どうなっているのかわかるようでわからないこの気持ち悪さと爽快感がたまらない。話の筋自体はたぶん単純なのだけどなんだか深読みしたくなってしまい、ネットで検索するとまあ出るわ出るわ、暗示と比喩と背後で進行している物語のタイムスケジュールの解説が。いくつか巡回しているとまた本編を観たくなる。水が、とても、おいしそう。いくつかの場面にアンクル・サムがストーリーと無関係にこちらを見つめているのがメタフィクション的な表現なのか、それともカメラ自体が誰か無名の人物の視点を借りていることの表現なのか議論が分かれているのが興味深い。ダイオクリシャーンは何もなさないままフェードアウトしてしまったけど「あれは別世界へワツージしたんだ」と言っている人と「あれはニンフェットに捕捉されてグロージングされたんだ」という二種類の説明を見つけたんだけど、ぜんぜん意味がわからない。そもそも「へワツージ」と「グロージング」ってなんだ? そんな言葉本編には出てこなかったぞ。まあ、いいか。忘れがたいギミックやディティールが物語の筋とは無関係にその場面を頭に焼き付けてくる。〈エコー屋敷〉でのささやかな酒宴やヴェスパーヘイヴンのエモリー・ボーツが語る弾道性の法則。哀しさが全身を突き刺し、虚しさが胸にぽっかりと穴をあけて、そして喉が渇く。

《印象的なシーン》「王は首をはねられる寸前だ」

 

 

カラー・プレリュード(2124年、日本、監督:色川虹子、101分)

 色のない世界を舞台に三人の少年が大冒険を繰り広げる、というあらすじを読んだときに「いや、そんなものモノクロ映画になるだけでつまらないだろ」と思ってしまったけど、本作はそんな擦れた大人にもお勧めできる映画だった。最初はたしかにやや単調で地味なシーンが続くけれど、それさえもどこか魅力的になっている。三人の少年の群像劇的な構成だけど、それぞれ個性豊かでまさに凸凹トリオで目が離せなくなる。姿形もさることながら基本的なものの考え方にも違いがあって、それがちゃんと長所にも短所にもなっているところが素晴らしい。特に年少者を主役に沿えると、作劇の都合がよいように思考を統一するかトラブルメーカーとして不自然に孤立させるとかしがちだから、その辺のバランスをとっているのは本当に素晴らしいと思う。

 樹齢百年の大樹がある種のセーブポイントになっているわけだけど、大体20分ごとに大樹に立ち寄って物語の整理が行われるのはテレビアニメを五本程度劇場版に再編集したかのような印象を受ける。あらゆる意味での「色」がテーマになっていて、その喪失と獲得がストーリーの基軸になっている。そういう意味では(設定的には真逆だけど)『色彩、豊かな日常』に近いものはあるけれど、こちらのほうがストーリー性があって個人的には好み。

 後半は設定が反転して極彩色の世界が広がるわけだけど、前半の雰囲気が好きな人からはかなり不評らしい。気持ちはわからないでもないけど、あの展開は三人が出す結論に大きく寄与しているし、多少賛否はあるかもしれないけど感動的なラストに繋がっているからそんなに否定しないでほしいなあ、というのが正直な気持ち。

《印象的なシーン》赤い帽子の少年が図録を手に取るシーン。

Colorless Prelude

Colorless Prelude

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輝くものは全て宝石(2001年、イギリス、監督:ローレンス・ランドール、114分)

 幼年期の純粋さがまぶしい。おれにもキラキラ光っているものがすべて宝石みたいに見えた無垢な時期があったから、心を抉られるし同時にポカポカ暖かい気持ちにもなれる。印象的なタイトルは内容そのものでもあるけど、さらにもう一つ象徴的なニュアンスが潜んでいて素晴らしい……と思ってたら原題は「THE JEWEL」で意訳した邦題だった。製作陣の意図じゃなかったのがちょっと残念だけど、いいタイトルであることには変わりないからよし。

 主人公たちが参加する〈宝石喪失会〉は自助グループのようでもあり同好の士と語り合う場でもあり単なる暇つぶしの会合でもある。あくまで目的が「宝石を取り戻す」ことではなくて「宝石を失ったことを語り合う」会合であることが、社会問題を取り扱いつつコメディとしての明るさを保ってくれている。

 コメディらしく後味の良いハッピーエンド。やっぱりコメディはこのくらいがちょうどいいですね。

《印象的なシーン》海浜でひとつ輝くシーグラス。

 

 

残響で踊る人エコー・ダンサー(2010年、日本、監督:宇佐地真紀、99分)

 表情や仕草から感情を読み取る男性と超能力としての読心能力能力を持った女性が偶然の出会いから交流を始める。彼らはお互いに心が読めるわけだけど、男の方は表面的な情報から推察しているだけだから演技には引っかかるし、女の方は相手の言語的思考を読み取れるだけだから徐々にすれ違っていく、というストーリー。おお、めっちゃ面白そうじゃんと設定だけで観始めた本作だけど……なんか思ってた感じじゃなかった。もうちょっと、なんというか事態を突破してほしかったというか、投げ出しているとは言わないけどちゃんと収束していないような気がする。けど嫌いかと言われると……うーん……。

 やっぱりラストの破綻は印象的。互いに目の前の現実ではなくて跳ね返ってきた残響で踊り続けた周回遅れのダンサーでしかなく最期になって二人がそれに気づくわけだけど、それが周囲には理想の夫婦として認識されていたという皮肉。あっけなく暗転して幕を閉じるのもその皮肉を際立たせている。

 バッドエンドがあまり好きじゃないから評価が低くなったけど、こういう展開が好きで(やや緩めの)SF設定が許せる人ならそれなりに楽しめる映画だと思う。

《印象的なシーン》男の心の中にあった三色の球が瞬く間に融けあい煌く白色に変化し、そしてドス黒い恐怖と失意の色へ変色した場面。

 

 

氷の礫が融けゆくように(2025年、日本、監督:真崎有智夫、30分)

 結晶化した世界の精巧な映像はそれだけで一見の価値あり。絶望的なラストは主人公の表情を敢えて映さないところに妙味がある。狂気の終焉が必ずしも救済になるとは限らない。けれど放浪の果てにはもしかしたら救いがあるのかもしれない、と匂わせているようにも思える。

《印象的なシーン》コンビーフを食べる場面。